エッセイ

59.週刊メルマガ 「強引ぐ マイ ウェイ」  vol. 47      10/04/05 (水) 発行

 皆様、お久しぶりです。先週は、体調を崩してしまったので、ゆっくり寝て休んでいたため、メルマ
ガはお休みさせていただきました。たまっていた疲れが、どっと出たようです。季節の変わり目な
ので、皆様も、お体にはくれぐれもお気をつけ下さい。

 前回のメルマガで、日本人とスペイン人やアメリカ人の表現の違いについて書いたことについて、
お便りが何通かありました。いつもより反響が大きかったです。みんな、日本の、周りに気を使って
縮こまって、本音が言えない風土について、なぜか分からないけれどなんとなくおかしいなと、考え
ている人が多いということです。

 逆に言うと、とても日本的な、本音と建前を分けて波風立てないように自分を押さえ込むタイプの
人は、アメリカやヨーロッパの生活には、あまり向いていないということです。このようなタイプの
人は、本来ならば日本にいるほうが向いているだろうし、アメリカに住んでいても仕事をするなら日
本人の中でやるほうが合っているということだと思います。そうでなければ、本人も気疲れしてしま
うし、相手のアメリカ人も気疲れさせてしまいます。
 20代後半以降の人達は、自分のキャラクターと価値観に合わせて、日本に住むかアメリカや
ヨーロッパに住むかを決める方がいいと思います。

 しかし、10代後半から20代前半まで位の若い人達は、日本で縮こまって、自分を押さえ込んで能
力(その人のポテンシャル)を小さく見積もらないで、もっと伸び伸びと大きく才能を伸ばしてほしい
です。それが、沈みかけている日本の再生の道の1つだと思っています。一人一人のポテンシャル
を最大限に伸ばして活かせば、それは社会に大きく還元されていくことだからです。脳みそは、20
代前半までには固まりはじめ、28歳くらいから脳の老化が始まるので、その前までに、本音と建前
によって自分を縮こまらせてしまう考え方の型を外して、自由に伸び伸びと自分のポテンシャルを
伸ばしてほしいと願っています。20代前半ならまだ間に合うので、私はそういう人達に出会うたび
に、彼らを励ましています。やりたい勉強があれば、どんどんやってください。そして能力を伸ばし
てください。

 生まれ持ったポテンシャルは差がありますが、中には、せっかくポテンシャルが高いのにそれに
気づかず、抜きん出てはいけないという意識で自分のポテンシャルを押さえ込んで、自らの可能性
を縮めてしまっている日本人を、よく見かけます。せっかく素材はいいのに、自分で自分を縮めて押
さえ込んでしまっては、実にもったいないです。同じくらいのポテンシャルなら、例えばスペイン人や
アメリカ人だったら、自分を縮こまらせることなく、伸び伸びと才能を伸ばしていっています。「抜き
ん出ないように縮んでいなければならない」というのか、「好きなだけ伸び伸びと才能を伸ばしても
大丈夫なんだ」という、意識の違いが原因です。スペインのピカソやダリのようなケタ外れの芸術家
が出てこないのは、そのせいだと思います。

「人間が演奏できない七福神の曲」

 さて、七福神の音楽は、8月15日に録音が終わりましたが、じっくり聴いて検討した結果、一部分
をオーバーダブ(録音の音源の上にさらに重ねて再録音すること)をして、もっと丁寧に編集しなお
すことに決まりました。音の調節をしなおしたいです。例えば、ベースをほんの少し大きくして、ドラ
ムスとパーカッションをもっと大きめにして、サックスを少し小さくする、などです。音の調節は、きり
がないので、たぶん、これで終わりということはないですが、自分で納得のいく音になるまでは、一
人でスタジオにこもってミックスし続けようと思っています。何日も、結構時間のかかる、地道な作業
です。コストもかかってしまいますが、ちょっとでもいい音楽作品を、皆様に提供したいという一心
で、出来るところまでは丁寧に仕上げます。

 実は、全ての録音が終わった時には、参加したミュージシャン達は、「あまりにも難解な曲で、聴
いたことがないものがあるので、もしかしたら、本当に神様から送られてきた曲なのかもしれない」
と、うすうす理解していました。中には、人間が演奏できない曲もありました。今日は、これについて
書きます。

*3曲目 "Coming Down from the Universe"

 アルバムの3曲目に入っている、「七福神たちが宇宙から、私達のいる下界に降りてくる」という
内容の曲があるのですが、これがまた、参加ミュージシャン達にとって、思った以上に難しい曲だっ
たのです。デモテープは、一見、ぱっと聴いたときは、簡単そうに聴こえるので、プロの中でも世界
水準のジャズ・ミュージシャン達が手こずっている姿を見て、私はびっくりしてしまいました。自分の
予想では、もっと簡単そうに思っていたからです。

 私が作曲したとはいえ、しかも、初めての作曲だったのに、こんな複雑な曲を作ってしまったの
で、自分でも驚いています。私以上に驚いていたのは、参加したミュージシャン達のほうでした。彼
らは全員、40代後半のベテランです。オリエンタルはとても若く見られるので、私のことも、彼らは
見かけで判断して、10代後半か20歳くらいに思っていて、「無名の小娘の作った曲だから、大丈夫
だろう、なんとかなるだろう」なんて考えていたのでしょうね。それが、録音が進むに連れて、みんな
の形相が変わってきて、必死になってきて、驚きの表情になっていきました。歯を食いしばって必死
で演奏している人も何人かいました。

「こんな若い小娘の、しかもファーストアルバムなのに、俺にとって難しい曲を作ってきやがって、こ
いつは、もしかして、ジェニュイン(本物:ここでのニュアンスは、生まれつきの持って生まれた才能)
なんじゃないか?」と、3曲目くらいから、みんな、はたと気づき始めたのです。

 どこが難しいかというと、コード進行がとても複雑なのです。みんな、前もって練習が必要でした。
録音のために、デモテープの音楽を、全て楽譜に起こしましたが、複雑極まりないコード名が、ずら
ずらと続くのです。"何?このコードは?"という感じで、いつものように、パッとコード名を見ただけ
では演奏できません。

 私の曲はジャズで一般的に使われるコード進行とは、全く違ったものです。ジャズは、コード進行
のパターンがあるので、それにあわせて練習して精進していけば、やがてだんだんと何でも演奏で
きるようになっていくものなのです。

 しかし、私の曲(七福神の曲)は、ジャズのコード進行でもないし、他の曲で参考になるようなコー
ド進行に当てはまらない、強烈に独創的なものなのです。だから、練習してクリアするしか、方法が
なかった曲です。

 特に、この曲は、ベーシストが、私が作った通りには全くといっていいほど演奏できず、みんなが
ピザを食べて休憩している間も一人で練習し続けていましたが、彼はとうとう根を上げて、"I can't ! "
と言いました。それで、仕方がないので、「あなたが出来るように適当に変えて弾いて下さい。曲が
変わってもかまわないので。神様の音楽なので、難しすぎるのです。」と、私はなぐさめました。この
ベーシストも、巨匠のディジー・ガレスビーと活動していたような、世界水準の人なのに! 驚いた
のは、私のほうでした。彼は、きっと、この日、くやしくて夜は、寝られなかったかも知れません。

 この曲は、ダブルベースで、私はベースラインを2つ作って、組み合わせたので、片方をピアノに
低い鍵盤でひいてもらって、もう片方をベーシストに弾いてもらう予定でした。当日、ベーシストが弾
くことが出来なかったので、私が作った曲とは全くといっていいほど、変わってしまいました。

 この曲は、改めて、私が一人で、オルガンの下の方の鍵盤を使って、ベーシストが出来なかった
複雑なベースラインを弾いて、上からかぶせて録音しなおして、加える予定です。10月中には終わ
らせます。この曲は特に、ベースラインが独特で、それが個性となっている大切なキーポイントな
ので、どうしても、このベースラインを加えなければならないと思い直しています。できるだけ、七福
神が送ってきた音楽に近づけて、それを再現したいです。

*"Ritual for Purification"

 浄化の曲は、これもまた難解な曲でした。これは、全員が、" Very hard tune! "といっ
て、苦労していました。何度も何度も、演奏途中に、誰かが"失敗したからもう一回やり直してく
れー!"といって、止めて最初から録り直しました。恐るべし難しい曲です。

 これも、コード進行が難しくて、リズムが裏拍子ばっかりなので、とても演奏しにくい曲です。

 これは浄化のパワーのある曲なので、ぐるぐると回っているような、渦が起こる曲です。落ち込ん
でいたり、うつ気味の人は、よくない霊が近寄ってきていますが、そういうのを含めて、浄化の力が
ある曲です。うつ気味の落ち込んでいる人が聴くと、ちょっと気分が悪くなるかもしれません。逆に言
うと、だからこそ、それだけ、浄化の作用があるということだと思います。

 明るい前向きな、精神状態がいい人が聞くと、なんともない曲かもしれません。これも、私自身が
作曲しているのではなく、宇宙霊から送られてきた、浄化の目的の曲なのです。これは、皆様のお
役に立てる曲だと自負しています。

 ドラマーは、「これは人間がたたけるリズムではない! 人間がたたけるように、ちょっと変えさせ
てもらったよ。」と言っていました。

 これも、デモを聴いたら、簡単そうに聴こえるのですが。リズムがそんなに複雑かなあ、と思って
もう一度よく聴いて観察すると、な・な・なんと、リズムは、「7ビート!」でした。

「ああ、七福神の曲だから、7ビートになっているんだろうな。」と納得しました。聴いたことのないリ
ズムです。これは、私が頭で考えて作っているのではなく、七福神からチャネリングして受け取った
曲なのです。頭で考えて、7ビートなんて作ることは出来ませんから。

 結局、7ビートは無理なので、少し変えて、「サルサ・グルーブ」と名づけて、新しいリズムを作り
ました。これが、人間がたたけるリズムの範囲内です。

* 録音後、ミュージシャン達は、霊界からの音楽だと身にしみて納得!

 私は実は、5歳から18歳まで長年オルガンを学んで、子供に教える免許も取得しているため、音
楽理論はマスターしてあるので、コードについても知識はありますが、作曲した本人もついていけな
いような曲でした。

 たまに人に、"パッとやって、ちょっとやっただけで、音楽が上手くいくと思ってるのか?なめんな
よ。"みたいなことを思われたりしましたが、私は外にいちいち言っていないだけで、実は、音楽の
下積みは英才教育から始まり、今まで辞めずに続けてきています。その姿を全く知らない人は、ず
るいと思う人もいるということを知って、日本に向けては、幼少時から音楽を続けているということを
わざわざ言わなければならないのかなと、気が付き始めた今日この頃です。

 アメリカでは、今まで私が積み上げてきたことをいちいち言わなくても、出てきた作品が素晴らし
いかどうかのほうが大事なことなので、問題ないです。アメリカは、ほんとに、いい意味でも悪い意
味でも実力主義です。その人が今までどんなに一生懸命やってきたかという姿勢は一切見てくれ
ない代わりに、いい作品を作っているかどうかだけを重視します。その人がどう取り組んでいるの
かということは、見ないですね。結果のみが問われます。ですから、私にとっては、アメリカは音楽
の仕事をしやすかったので、スムースに事が運びました。

 今回の音楽制作は、作曲、編曲の一部、ミュージシャンの選考とスカウト、交渉、プロデュースも
全て自分でやり遂げたので、何も音楽をやったことがない人がいきなりは出来ない仕事です。5歳
から続けた音楽の下積みの成果が、表れました。3年ほど続けたDJ活動も、とても役に立ちました。
何事も、楽して上手くいく世界はないですね。長い間かけて、こつこつと積み上げていかなければ、
いいものは作れないと思います。

 今回参加してくださったミュージシャン達は、私の意図、音楽の下積みの知識、才能をよく理解
して下さったし、難解な曲にチャレンジしたことをとてもエキサイティングに感じてくださり、今後の
録音や音楽活動にも参加してくださることになりました。私には、それだけで十分幸せです。一部
の人々でも、自分の音楽を理解してくださる人がいるということは、とてもありがたく思っています。
彼らには、とても感謝しています。

 録音が終わると、彼らは全員、最初の印象以上に、私に才能があったことを身にしみて理解し
てくれて、見直されました。みんな、握手が固かったです!あまりにも難解な曲だったので、みん
な、本当に霊界からの曲なのではないかと、納得してしまった様子です。
 

58.週刊メルマガ 「強引ぐ マイ ウェイ」  vol. 46      9/21/05 (水) 発行

皆様、こんにちは。お元気ですか?

 私は、最近は特に、新しい面白い人々との出会いが急速に増えて、エキサイティングな日々になっ
てきました。毎日忙しいですが、楽しいです。

私は、ニューヨークに来て以来、日本のメディアでライターの仕事もしていることもあり、今までは
ずっと行動半径が狭くて、身の周りの日本人達と関わることが多かったのです。

 それが、七福神の音楽の録音がきっかけで、ミュージシャンが私以外全員アメリカ人ということで、
そこからアメリカ人の友人達が増えています。私の身の周りが、今までとは打って変わって、急激
に国際的になってきました。

七福神が、
「あなたはニューヨークで、日本人とだけつるんでいてはいけません。ヒントは多様性です。行動半
径をもっと広げなさい」
というメッセージを私に送ってきていたので、だんだんそのように、私の日常が変化してきているの
だと思います。

今日は、アメリカ人について気づいたことを書きます。日本人とアメリカ人の表現の違いについて。
比較文化ですね。このメッセージは、ぜひ日本にいる若い人達、特に20代前半までの人々に向
かって送りたいです。彼らは日本で縮こまらないで、伸び伸びとしてほしいし、それぞれの才能や
能力を伸ばしていってほしいです。


* スペインとアメリカの省エネさ

 スペイン人はとてもストレートで、本音と建前とか、裏表が無くて友達付き合いがとても楽でした
が、アメリカ人もそうですね。少なくとも、私の周りにいるアメリカ人達は、とてもストレートにはっき
り物を言います。彼らは、
「こう言ったら嫌われる」とか考えずに、率直に物を言ってくれます。
考えていることと言っていることが、一致しています。ですから、お互いに信用できるいい友人関係
を築くことができます。これは、日本から出て気づいたことですが、海外では友達付き合いの基本
ですね。

 友達かそうでないかの違いは、考えていることと言っていることが一致しているかどうかが、大
きな要因になります。

 私にとっては、このようなスペインやアメリカの、ストレートに物を言い合える風土のほうが、とて
も合っていることに気づいて、伸び伸びと生活することができました。

 「伸び伸び」するということは、「余計なことに気を使わなくていい」ということなので、「自分のエネ
ルギーを余計なことに使う必要が無い」ということです。この環境は、私にとって、とても「省エネ」
でした。省エネのお陰で、伸び伸びして、勉強に打ち込むことができたし、自分の才能と能力を思
う存分伸ばすことに集中できました。人に気を使わせない風土のスペインを留学先に選んで、と
てもよかったです。

 スペインだけでなく、アメリカも、人に気を使わせない風土で、省エネです。よく考えたら、ヨーロッ
パやアメリカのほうが日本よりも大きいので、世界的に観れば、日本の「本音と建前」の人に気を
使わせる風土のほうが、特殊です。各人の才能や能力を存分に伸ばすという点で観れば、日本の
この風土は、マイナスに働きます。本音と建前を常に考えて、周りに波風を立てないように気を使
い続けていることは、自分のエネルギーをその分無駄に使っていることなので、才能を伸ばすこと
にエネルギーを集中できないということになります。

 人間のエネルギーには限りがあるので、一生を長いスパンで見れば、若いうちにできるだけ才能
と能力を伸ばすことに集中して、ゆるぎない土台を作ってから活躍するようにするのがいいと思い
ます。ちまちまと、「周りに出遅れたらまずい」なんて考えてあせらずに、伸び伸びと能力を伸ばして
ください。

 何の分野でもいいので、ゆるぎなく自分の才能を伸ばして築いたら、アメリカやヨーロッパ
では、自然に活躍のフィールドが広がります。あせる必要はありません。

 勉強期間は長ければ長いほどいいです。

 ヨーロッパは貴族階級社会ですが、貴族の子息は、35歳くらいまではずっと勉強を続けて、世界中を留学して歩きます。
人間の教育に一番投資するのです。そして、35歳以降になってからぼちぼち、
「思う存分勉強したから、そろそろ、何か働き始めようかなあ」
と彼らは考え始めます。
伸び伸びとして、ゆるぎない何かの能力を確立してからのほうが、その後、活躍のフィールドが広
がっています。驚きですね。
貴族の友人ができて、この風習を知った時、

「ああ、まだまだ日本は豊かな国ではないのだな。若者に余分なエネルギーを消耗させて、
縮こまらせて、才能を伸ばさせない国なんだな」とつくづく思いました。

 今後は、20代前半までの若い人々に、ぜひこれを伝えていきたいです。彼ら若い人々は、これ
からの日本を背負っていると思うので、彼らに、できるだけ、伸び伸びと周りを気にせずに才能と
能力を伸ばして欲しいと願っています。

 日本のほうが特殊なのだから、日本にいて周りに気を使ってエネルギーを消耗して縮こまってい
るのなら、思い切ってヨーロッパやアメリカに来て、率直にどんどん現地の人々の中へ入って行っ
て、各自の才能を伸ばして欲しいです。


* アメリカで対等に仲間に入れてもらうには

 私は日本生まれで日本育ちなので、日本にいた頃は、日本人の「本音と建前」の裏表のあるとこ
ろは、「周りと波風立てないようにするための、大人としての仕方がないエチケット」なのだろうなと
思っていました。皆、無意識のレベルまで、「本音と建前」が染み付いてしまっている人が多いです
よね。条件反射のように、いつもそうやってしまうのです。しかし、「本音と建前」が常にあるというこ
とは、「考えていることと反対のことを言っている」ということなので、つまり、「ウソつきである」とも言
えるので、よく考えると、「信用できない奴だ」ということになります。

 これを、このまま、よく考えないで海外で外国人に対して同じようにやってしまうと、
「あの日本人は、何を考えているのかよく分からない奴だ、信用できない奴だ」
と捉えられてしまいます。これでは、なかなか日本人の枠から抜け出ることができませんね。
ニューヨークで、日本人でジャズをやっている人々からよく聞くことですが、

「私が日本人だから差別されて、世界的なジャズミュージシャン達に、なかなか仲間に入れてもらえ
ない、黒人じゃないとだめなんだ」
などと言っている人が多いのです。

これは、こちらに住んでいるうちにだんだん分かってきましたが、才能や実力のせいだけではない
と思います。本人のキャラクターのほうが、大きな原因ではないかと思います。日本にいた時と同
じように、アメリカ人ミュージシャンに対しても「本音と建前」を使い分けて、いつもニコニコしてい
ては、そりゃあ、相手は
「こいつ、何を考えているのか分からない」
と気持ち悪がることでしょう。

 今回、私が、ファーストアルバムで初めての録音だったにもかかわらず、世界水準のアメリカ人
ジャズミュージシャン達7人に、参加していただけた理由は、私が一切「本音と建前」で話さずに、
率直に「本音のみ」で話をするように努めていたからだと思います。私は常に率直に物を言ってい
たので、彼らの多大なる信用を獲得できたのだと考えています。自分の才能のお陰だけではなく、
キャラクターのお陰もあります。

 世界的ミュージシャンといっても、向こうだって人間なので、彼らが友達になりたくなるようなキャラ
に自分がなればいいのです。
 

57.週刊メルマガ 「強引ぐ マイ ウェイ」  vol. 45      9/13/05 (火) 発行

 皆様、こんにちは。お元気ですか?ニューヨークは、秋らしくなってきました。写生教室のために
セントラルパークに行くと、涼しくて気持ちがよかったです。

 さて、今回も、前回のタロットカードについての続きを書きます。手相鑑定とタロット鑑定は、本職
のアート活動とは違って副業なのですが、もうかれこれ7年もの間、ずっとお客さんが途切れること
なかったので、細々ながら続けさせていただきました。孤独な芸術制作と違って、様々な人と出
会って悩み事を改善するお手伝いができるので、充実感があったため、続けてこれたのだと思い
ます。人のお役に立てると嬉しいものです。これからも、できる範囲で鑑定を続けるつもりです。


「タロットカードについて」2

*タロットカードとの対話

 前回書きましたが、私が使い込んでいるタロットカードは、スペインで手に入れたもので、世界最
古の2つのタロットカードのうちの、1つだと言われているものです。22枚一組です。

 使っているうちに、いつからか、私のカードには何か霊的存在が宿っています。それから私は、
カードと会話をするようになり、今でもその会話(チャネリング)は続いています。きっと、タロットカ
ードとは、霊界と人間界との橋渡しをする、交信機器のような作用をするのだと思います。私は、
タロットカードを通して私にメッセージを伝えてくる霊的存在の彼らのことを、「先生方」と呼んでい
ます。

 カードは、右手で反時計回りに混ぜますが、私の右手の指先から、カードが言いたいことが、ダ
イレクトに伝わってきます。テレパシーによる、霊的存在と私の会話なので、その信号は、激しいも
のです。見逃すようなかすかな信号ではありません。ものすごく強い信号なのですぐに分かるし、
無視できないほどの強烈な衝撃で伝わってきます。彼らは、言葉で伝えてくるわけではないので、
強い衝撃で私に理解させようと試みるのでしょう。

 カードを混ぜていると、
「ここで止まれ!」と、カードたちは私に強い衝撃で知らせます。

 私はそこですぐにカードを止めて、そっと集めて、上から開いていき、解読します。そうすると、
質問の答えが出てきます。カードを眺めているうちに、彼らの言いたいことが聞こえてきます。そ
れをお客さんに答えています。

 タロットカードはウソをつきません。恐ろしいものですね。お客さんが伏せていることまで出てきま
す。ですから、私はむやみにはタロットカードでは質問しないようにしています。必要最小限だけの
質問にしています。

 自分のことについては、自力で考えて決断するようにしているので、タロットカードには質問しませ
ん。敬意を払っています。

*質問を絞るということ

 タロットカードに質問する時は、カードたちは、私に、
「質問者が誰であるか特定できる情報として、名前(漢字で)、生年月日を言って下さい」と伝えてき
ます。そして、

「ある場所について知りたい時は、その住所を言って下さい」とか、

「目の前にいない人について聞きたい時は、その人物の情報として、名前と生年月日を言って下
さい、できれば住所も教えてくれるとより特定できます」と言います。

ですから、私は最初、タロットカードの使い方の手ほどきは、スペインの祈祷師に教えていただき
ましたが、そのあとはカードたちとのチャネリング会話によって、使い方をカードから直接教えてい
ただきました。

*的を得ない質問はカードが怒ります

 お客さん自身が自分の状況と質問内容を整理できていなくて、頭の中がまとまっていない状態の
時は、いいかげんでくだらない質問をカードにすると、カードが怒ることがありました。私は、お客様
に対しては、丁寧に応対させていただくことを心がけているので、カードが怒っても伝えることはで
きませんでした。

 質問者が一度聞いた質問を、形を変えてもう一度聞いたときのことです。私は、しばらく考えて、
仕方なく黙ってカードを混ぜていました。

 すると突然、カードを混ぜていた私の右手指先から、ものすごく強い不愉快な衝撃が伝わってき
て、カードが拒否しているのが分かりました。その衝撃は、耐えられないほどの吐き気として、私に
伝えられます。思わず、混ぜていた手を止めてしまいました。

「あんた、これについては、今さっき答えたじゃないか! つい今しがた聞いてきた質問と同じ内容
の質問を、私にしないでくれ」とカードが私に伝えてくるので、

「はい。ごめんなさい。」と私は心の中で答えました。目の前のお客さんには言いませんでした。

「あんたね、この人は、自分で自分が何を考えているのか、頭の中がまとまっていない状態なのだ
から、まず、自分の状況を客観的に見てもらって、質問を絞ってもらわないとダメだよ。」とカードは
私に伝えてきました。

「はい。先生方、申し訳ございません。もっと本人に自分の問題について考えてもらって、質問を絞
るべきでした。」と私がカードにテレパシーで答えると、

「質問者自身に、もっとよく自分のことについてよく考えてもらって、どうしても困っている時だけ、質
問をできるだけ絞って、私達カードに聞きなさい」と先生方は答えました。

 タロットカードは、まるで一人の人間のようで親しみがもてますね。ごもっともなことを言っておられ
ます。

 カードたちは、私に分かりやすい信号として、強い衝撃を送ってくるのです。カードが嫌がっている
時は、私はその度に、一瞬ですが強い吐き気を感じるので、タロット鑑定は、決して生易しいもの
ではないですね。覚悟がいります。

「どんなに困っている質問者でも、その問題を招いたのは、自分自身なのですから、自分でよく考
えて、学ばなければなりません。特に、カップルや夫婦の問題は、片方だけが悪いということは、
決してありません。恋人というのは、自分と同じようなレベルの波動のもの同士が惹かれあってくっ
つくのですから。相手の問題の中に、自分の問題があるのです。傲慢な人は、どうどう巡りをしてし
まいがちです。私達カードに聞かずに、自分で考えるということは、とても大事なことなのです。」と、
カードは語っていました。

 逆に、カードによって、自分の潜在的能力に気づいていない人を見つけて、励ますことができたと
きや、その後、自信をつけて活躍してくださっている様子をお便りで頂いたときは、とても嬉しく、感
慨深いです。

 人生の問題は、結局は、自分の胸に聞いて考え抜いてみなければ、本当には解決していけない
のですね。タロットカードの先生方に教えていただくことは、計り知れないです。
 

56.週刊メルマガ 「強引ぐ マイ ウェイ」  vol. 44      9/06/05 (火) 発行

皆様、こんにちは。お元気ですか? ニューヨークは涼しくなりました。過ご
しやすい季節です。

 さて、今回は、タロットカードについて書きます。最近、霊感とか占いとかに
は全く興味がない知人が私のタロットカードを一目見て、それに漂っている非常
に強い霊力を感じて驚いていたからです。彼は、ただならぬ何か強い力を、カー
ドから感じていました。私が机の上にタロットを置くと、彼はそれを見て、

「何これ? なんか、これには、ただならぬ雰囲気が漂っているなあ。これ、な
んかあるなあって、僕でも分かるよ。タロットカードなんて、僕はバカにしてい
たのに!」と、ギョッとしてビビッてしまいました。

「ええ? そう? 私には、このカードは見慣れているから、今さら、そんな
カードの雰囲気なんて何とも感じないなあ。そんなに、このカードは、何かあり
そうに感じるの?」

「うん。パッと見て、何だこれは! っていう感じが漂っているよ。ああ、びっ
くりした。タロットなんて、バカにしていたのに。」と、彼は、ヒイていまし
たね。

 それから、私は、彼にタロットにまつわる数々のエピソードを話すと、とても
面白がっていたので、メルマガでも、この話を公開していくことにしました。霊
や占いなんてバカにしていて全く興味のない彼が、興味津々で面白がっている
ので、きっと読者の皆様にとっても面白いお話だと思います。

 私は、スペインの祈祷師からタロット占いを学んで来て、タロットを頻繁に使
い始めてから3年が経ちました。今では、毎週何回か使います。最初は、半信半
疑だったのですが、最近では、タロットは頼りになる分身です。

 
「タロットカードについて」1

* タロットを使うようになったきっかけ

 スペインで手相鑑定をしていた頃、私の鑑定が評判になり、お客さんが増えて
いきました。当たりだすと、お客さんの方から私を探し出して来るようになりま
した。しまいには、旅行中だったアルゼンチンの大臣や、世界的にメジャーなス
ター歌手までが私の鑑定に訪れました。
 
 そして、現地で祈祷師(クランデーロ)と知り合いになりました。スペイン
には、クランデーロと呼ばれる、祈祷師がいます。祈祷師とは、それでご飯を食
べている、れっきとした職業なのです。彼らは、おまじないや占いをしていま
す。おまじないは、目的別に色違いのロウソクを使うようです。あとは、色別の
天然石を使って、悪くなった体の調子を整えたりします。スペインやスイスで
は、寝そべって、7色の天然石を体の7つのチャクラに置いて、10分くらいお
いて体調を整えることがあります。エイズ患者の症状も、この方法で治まるらし
いし、水晶を身につけることで、頭痛が治ることもあります。ヨーロッパの古い
国は、歴史が長いので、不思議なことが色々行われているようですね。スペイン
の祈祷師の占いは、タロットカードを使います。知り合った祈祷師に、

「あなたは手相鑑定が出来るのだから、タロットカードを使って占いが出来るは
ずだよ。タロットをやってみたらどう?」と勧められたので、

「タロットは、正直言って、信じられないのです。あれは、偶然性もあるんじゃ
ないかと疑っています。どうして、出てきたカードで、大事なことが占えるので
しょうか?」と尋ねると、

「タロット占いは、出来ない人はいくらやっても出来ないのですよ。タロットで
占える人は、そのように生まれるのです。(" Nace Asi. ")」

「え?" Nace Asi ?"(生まれつきなのですか?)」

「そうです。あなたは手相鑑定が出来るでしょう? タロットも手相も、同じ仕
組みです。手相鑑定が出来る人はタロットも同じように出来ます。そういうもの
なのです。あなたはタロット占いが出来るはずだから、やってごらんなさい」
と彼女は言うので、私は、タロット占いを少し教えていただくことになりまし
た。彼女は、数々のタロットカードの販売もしているので、どれを買ったらいい
のか、聞いてみました。

「タロットカードは、とてもたくさんの種類がありますが、一体、どれを買った
らいいのでしょうか? 初めて持つ一つ目のカードは、どれがいいですか?」

「これがおすすめです」といって、彼女は、長細い大きなカードを一組選びま
した。

「22枚の大アルカナだけのカードで、世界最古のタロットカードだと言われて
いる2つのカードのうちの一つです。誰が、どこで描いたのか分からない、とて
も古い絵柄です。スペインの祈祷師達は、いくつものカードを使い分けることが
多いですが、彼らの中には結局一生の間、このカードだけを使い続ける人も大勢
いるのですよ。私もこのカードを主に愛用しています。ですから、最初買うに
は、このカードだけで十分です。あなたも、このカードだけを使うことになるの
かもしれないのですから。」と、彼女は私に説明してくれました。

「このカードは、大昔、どこからスペインへ伝わってきたのですか?」と私が尋
ねると、

「さあ、分かりません。エジプトの方面かなあ? カードの端に、カバラの文字
が書かれてあるでしょう?」

「スペインのジプシー達が使うタロットカードは、これですか?」

「いいえ、彼らは、ジプシーのタロットカードを使います。」と言って、ジプ
シーのタロットも見せてくださいました。一回り小さい大きさのカードでした。
並べ方も違うとのことです。

 後日、最近になって分かりましたが、カードのカバラの文字とは、4000年
の歴史があるユダヤ教の、古い文字のことでした。カバラの文字は22文字で、
22枚のタロットカードに対応しています。

 タロットカードは、もともとは22枚のものだけだったのですが、後の時代に
なって、小アルカナカードも加えて合計で78枚のものも作られていったそうで
す。


* タロットカードとの対話

 ある日の事件がきっかけで、私は、それ以来、タロットカードの言っているこ
とに耳を傾け、カードと対話するようになりました。今も、彼らとの対話は続い
ています。

 友人と私の3人で、雑談をしながら、タロットで占ってあげていた時のこと
です。質問者が質問を考えている間、私は手持ち無沙汰になって、無意識で、何
も考えずに、タロットカードを切っていました。しばらくすると、突然、激しく
気持ち悪くなって、吐きそうになり、思わずタロットカードをパッと手放して
テーブルに置き、胸を押さえました。すると、"あれ?"とびっくり、カードを
手から離した瞬間に、気持ち悪さはすっかり治っていたのです。直感的に、カー
ドが怒ったのだと理解しました。

「どうしたの?」と、目の前で、2人の友人が心配そうな顔をしていました。

「"用もないのにカードを切るな!"って、タロットカードが怒ったんだよ。
ものすごく気持ち悪くなって吐きそうになったから、手を離したら、急に治った
んだもん。このカード、生きているよ。」と私は、今、何が起こったのか、友人
2人に説明しました。彼らは、私の様子を目の前で一部始終、見ていたのです
から、本当に、目を丸くして驚いていました。

「ええ? きっと、用もないのに、体を触られているのと同じなんだよ、タロッ
トカードにとっては。これからは、もっと丁重に扱ったほうがいいんじゃな
いの?」と、友人は言いました。

「うん。そうだね。このカード、まるで生きているみたいだから、私は、もう一
生このカードを使い続けなくてはならないし、決して捨てることは出来ないな。
捨てたり、使わなくなったら、カードに恨まれそうだよ。そんなことしたら、そ
りゃ、怒るだろうね。他のカードも買えないな。」と私はゾーっとするととも
に、大変なことに片足を突っ込んでしまったのだな、もう後戻りできないな、と
真摯な気持ちになりました。

 そして友人と別れて一人になった時に、私はタロットカードに話しかけまし
た。
「タロットカードさん、これからは、用もないのにあなたを切ることもしませ
ん。質問もむやみにしません。どうしても聞きたい重要な質問に絞って、あなた
に尋ねます。自分についての質問はあなたにしないようにします。私のことは自
分でできるだけ考えますから。ただし、道に迷っている人々の質問についてだ
け、あなたにお答えいただくようにします。その時も、質問を厳選して、あなた
に答えていただきます。どうか、ご立腹なさらないようにして下さい。」

 すると、カードはこう私に答えました。霊と会話する時のように、テレパシー
を私に送ってきました。
「よろしい。貴女が自分についての質問をせずに、人のためだけに質問をすると
いう姿勢は、とても良いです。自分のことは、カードに聞かないようにしなさ
い。私のカードを、常に布で包んでおいてくれないかな? 裸で放っておかない
でおくれ。」とカードは言うので、

「はあ。布で包んでほしいのですか?」と私が聞くと、

「そうです。布で包んでほしい。シルクの布がいい。化繊は嫌いなのです。木綿
もゴワゴワして嫌だ。できれば、紫色の、無地の布がいいな。模様の入った布は
嫌いなのです。花柄も嫌だ。無地がいい。」

「はい、分かりました。ご用意いたします」と私は答えて、きょとんとしてしま
いました。カードにも、人間と同じように、好みっていうものがあるのですね。
花柄が嫌いで無地が良いなんて、好みがはっきりしているのですね。笑ってしま
いました。カードには男の神様が付いているのかな? カードは、男のような性
別を感じます。力強い感じです。男の神様だったら、そりゃあ、花柄はカッコ悪
くて嫌でしょうね。分かる気がします。

 その後、私は、無地の小さめのスカーフを探しましたが、紫色一色の無地のシ
ルクスカーフなんて、なかなか売っていませんでした。大抵は模様入りですか
ら。すぐに見つかったのは、フェラガモの無地の、黒っぽいオーガンジーのシル
クスカーフです。紫ではないけれど、今のところ、カードにはこれで我慢してい
ただいています。紫のものは、今後もめげずに探します(笑)。

 タロットカードと私の対話シリーズの、続きはまた次回! お楽しみに!
 

55.週刊メルマガ 「強引ぐ マイ ウェイ」    vol. 39      8/02/05 (火) 発行

 皆様、こんにちは。お元気ですか? マンハッタンは、夏は異様に空気が悪
くて、肺に良くなさそうです。私は郊外に住んでいるので、マンハッタンに出
かけるたびに、その空気の悪さに驚きます。肺が重くなる感じです。きっと気
温が上がると、スモッグが出やすいのではないかと思いました。

 たくさんのお便りをいただき、ありがとうございました。皆様の励ましのお
言葉は、とても嬉しく、感謝しております。これからも、どしどし、お便りを
お待ちしています。どんな小さなことでも嬉しいので、お便りをメールでお送
りください。出来る限り、お返事を書いています。いつも、このメルマガを楽
しみに待っていてくださる人達がいるので、ありがたく思っています。過去の
メルマガを友人たちに配ってくださっている方々もいらっしゃるので、感謝の
気持ちでいっぱいです。

 メルマガをはじめ、文章は、一つの出会いなのですね。波長が合わない人は
読まないだろうし、波長が合っている人が読み続けてくださっているものです。
同じ文章でも、人によって全く違う反応が返ってくるので、人の受け取り方の
違いを目の当たりにして、学んでいます。結局、読者の方々は、文章の中に、
自分を見つけて、自分と出会っているのですね。

 途中から、七福神の音楽を制作するようになっていったことを、メルマガで
同時進行でお伝えすることになり、こういう形で、読者の皆様とこのチャレン
ジングな「七福神とのコンタクト」を共有できるという機会は、私にとっても
面白い体験です。きっとこれは、何年か後で振り返ると、興味深い記録として
残っていることでしょう。

 七福神の仕事なので、これから、さらに何か面白いことが私の身に起こって
くるでしょう。私自身は、彼らに奉納させていただく心構えで曲を制作してい
ます。謙虚な気持ちだし、私自身(エゴ)が作っている曲だとは思えません。
この七福神の曲を楽しみに待ってくださっている、応援してくださっている方々
にも、宇宙と七福神のご利益がありますようにと、毎日毎日、お祈りしています。


「レコード録音準備」2

 レコーディングの準備は進んできています。半信半疑だった私自身も実感が
出てきました。体調に気をつけて、よく食べて体力をつけるようにしています。
3キロくらい太ってから録音に臨もうと計画しています。結構1日中、長時間の
録音になるので、体力仕事ですね。演奏に集中力を持続させなければならない
です。

 アレンジの話し合いをしていますが、各パートをどのように演奏してもらって、
どんなハーモニーを作っていくか、録音当日まで決定はできないでしょう。メロ
ディーは誰に演奏してもらうかなどなど。大人数の演奏なので、その分アレンジ
が大変です。私は、サウンドのプロデューサーで、バンド全体のリーダーなの
で、当日は、「こっちの音のほうがいい」とか、「ここをこのように演奏して
ください」とか、全ての音を自分の耳で判断し、選んでいかなければならない
のです。
 
 グレイトミュージシャン達が演奏するということで、当日録音を見学したい
という人達がいますが、全部断りました。私も演奏するので、できるだけ集中
するために、ミュージシャンと私のみが現場に参加します。私は一人で行って
きます。


*運命のスタジオ決定

 どこで録音するか、スタジオも決めました。私にとって運命的なスタジオで、
ここの情報を得た瞬間、全身に鳥肌が立ちました。昔から私が憧れていたスタ
ジオです。 ここに決定! 明らかに、七福神と宇宙の計らいが感じられて、
「やっぱり上の先生方が動いているんだな、私の力ではない」と悟りました。
スティービー・ワンダー、アル・クーパー、ザ・バンドなどもここで録音した
ことがあります。数々の名盤が生まれたスタジオなのです。どこのスタジオで
あるかは、録音が済んでからお知らせいたしますね。

 大人数のバンドを、それぞれの音をセパレートで録音して、後でミキシング
(音の調節)が自由に出来るように、この本格的なスタジオを選びました。ミ
キシングの作業も全て私が最後の決定をします。例えば、「もうちょっとドラ
ムスの音を大きくしてほしい」とか、全体の音を何度も聴いて、全ての楽器の
パートの音を調節するのです。これは、私が2〜3年毎週末クラブDJをしてい
た時の経験が、そのまま役に立ちます。DJをやっていなかったら、チンプンカ
ンプンなことでした。

「やっぱり、七福神たちに、予行演習としてDJをさせられていたんだな」と、
実感しました。

 私と七福神との会話です。
「録音のスタジオは、どうやって選びましょうか?」と尋ねると、

「スタジオは、私たちのほうで、8年前から選んで決めています。もう霊界で
は、貴女のこの録音は起こっているので、心配しなくても大丈夫です。あとは、
先に起こっている霊界の出来事がこの現実界に現れてくるだけです」

「ええ? 8年前から今回のスタジオが決まっていたのですか?」

「そうです。録音の日時も8年前から決まっていました。」

「日時も決まっていたのですか?」

「そうです。場所、日時は重要です。今回の録音は、その場所に住んでいる、
"音楽の精霊たち"の協力をいただきます。この場所は、世界的に見て、音楽
の精霊たちが、一番集中的に集まって住んでいる場所なのですよ。日時も、あ
なた達ミュージシャンに、音楽の精霊たちと霊界からのエネルギーが一番流れ
込むことが出来る、一番エネルギーの高い時に決まりました。ですから、この
音楽には、強力な霊的力が封じ込められ、強力なパワーを発する音になるので
す。」

「音楽の精霊たち? そういう霊的なものの力を借りるのですか? 音楽の精
霊が世界で一番集中的に集まっている場所だと、なぜ決め付けるのですか? 
どうしてそう断言するのですか? 一番って言い切るなんて、私にとったら
本当ですか?'と突っ込みたくなってしまいますが。」

「そうです。音楽の精霊たちが世界で一番集まっているところで、今でも彼ら
はそこに住んでいます。貴女は、私達のお導きの内容について、一旦自分の胸
に聞いてごらんなさい。このスタジオの場所を聞いた瞬間、鳥肌が立ったでしょ
う? 録音に参加するミュージシャン達と貴女の波長と、この音楽の精霊たち
の波長が合っているので、精霊たちとのエネルギー交換が可能なのです。精霊
と波長の合っていない人がその場で録音しても、精霊との交流は何も起こらな
いのです。貴女は、全て分かっているのですよ。」

「それでは、私にDJをさせて、予行演習になるように訓練したのも、貴方方の
お導きだったのですか?」

「そうです。もし、貴女がDJをしていなかったとしたら、いきなり音楽を録音
したり、グレイトミュージシャン達と演奏する準備は出来ていなかったでしょ
う? 何事も積み重ねですから。最初から、プロの人は一人もいませんよ。 
貴女も、少しずつ、最初はプロのDJとして数年間活動する修行が必要だったの
ですよ」


*オーバー・ダブ

 七福神の音楽は、太鼓の音が多用されていて、パーカッシブ(パーカッショ
ンの音がたくさん入っている)です。太鼓って、浄化に重要な音なのだそうで
す。皮を人間が手で叩く音は、とても浄化のエネルギーがあるのです。私の前
に出現したことがある、私の守り神の一人である、浄化の神様である不動明王
も、太鼓の音を使います。

 録音は、打楽器には、ドラマー1人と、パーカッショニスト(コンガ)1人を
雇いましたが、私の頭で鳴っている音とイメージは、もっとパーカッシブなも
のです。ダブル・ドラムス、ダブル・パーカッションですね(ドラムス、パー
カッションがそれぞれ2人ずつ)。ですから、一旦、みんなで同時にジャムセッ
ションで録音した後に、オーバー・ダブ(再度、二重録音)をして、できるだ
け私のイメージの音に近づけます。ドラマーとパーカッショニストに後日もう
一度来ていただいて、ドラマーにボンゴ、パーカッショニストにコンガを叩い
ていただきます。そして、私もさらに小さなパーカッション(シェーカー、カ
ウベルなど)を多用して、彼らと一緒にオーバー・ダブをします。

*ダブル・ベース

 ある録音参加メンバーとの会話です。
「貴女の音楽は、とても変わった、凝ったつくりになっていますね。ダブル・
ベース(ベースが2人)ですね」

「あ、そうでしたか。そういえば、ダブル・ベースになっていますね。全く気
づきませんでした。これは、私が頭で考えて、自分で作っている音楽ではなく
て、霊界から送られてくる音楽をそのままチャネリングしているので、それで
変わったつくりになっているのですよ」

「ベースが2人もいるなんて、変わっていますね。ダブル・ベースの音楽は、
作ろうと思ったら難しいものなのです。複雑です。それなのに、音のバランス
が取れているので、貴女の作曲の才能は、個性的だし素晴らしいです」

「いえ、作曲の才能っていうより、チャネリングの才能なのです。そんな難し
い、ダブル・ベースだって分かって作っているのではないのです。私の力では
ないです。頭で考えて作った音楽ではありません。霊界の音楽です。だからこ
そ、貴方達が今まで聞いたことのない音楽なのですよ。地球上で、私以外の誰
も、チャネリングして受信できなかった霊界の音楽なのですから。だからこそ、
私がこの音楽を受信して作らなければならないのです。それが私のお役目なの
です。」

54.週刊メルマガ 「強引ぐ マイ ウェイ」  vol. 38       7/26/05 (火) 発行

 こんにちは。皆様、お元気ですか?ニューヨークは、暑いです。私が主宰し
ている、日曜日のセントラルパーク写生教室(夏季限定)に出かけると、涼し
くて気持ちがよく、蘇りました。少人数ですが、続いています。早いもので、
2年以上が過ぎました。3回目の夏になりました。冬季のデッサン教室と合わ
せて、自分自身が描き続けるペースとしても、続けていきたいと思います。公
園で座って楽しんでいる間に、毎回1枚のペースで仕上がるので、自分にとっ
ても、いい機会です。

 「レコード録音準備」

* 参加ジャズミュージシャン決定

 七福神と交信して、彼らが私に送ってきた曲のアルバムのレコーディング
準備は順調に進んでいます。参加してくださるジャズ・ミュージシャン達も
決定しました。大人数でジャム・セッションします。分厚い音のゴージャス
なサウンドになりそうです。

 この音楽を聴いて下さる方々のために、自分が出来る限り、いいミュージ
シャンを集めて、出来るだけいい音を残すつもりです。
ミュージシャン集めにも、自分のベストを尽くしました。メンバーは、全員が
ソウルを持つグレイトミュージシャンで、宇宙とつながって、そこから直接音
を降ろしてくることができる人達ばかりです。

 七福神は、素晴らしい一流のミュージシャンを集めるためにも、駆け回っ
て協力し続けてくださいました。彼らにも感謝しています。私の力だけでは
ありません。宇宙の力と、七福神たちの力が大きいです。彼らは、それだけ、
出来るだけいい音楽をこの世に提供したいのですね。私自身も、彼らに奉納
させていただく心構えで、真剣に取り組んでいます。
 
 参加ミュージシャン達は、全員、私よりも一回りくらい年上で、ジャズ・
ミュージシャンとして成功している方々です。マイルス・デイヴィスの録音
に参加した方や、ディジー・ガレスビーと活動している方もいます。

 私が大ファンである某ギタリストにもコンタクトを取って、参加していただけるこ
とになりました。ヴァージンレコードからアルバムを出している方です。彼
のギターは、シビレます! ジャーン、と一音出しただけで、全然違います。
明らかに抜きん出ています。3年前にニューヨークでお会いしたことがあり
ました。彼に、ギターを入れていただけるなんて、そんなことが起こるなん
て、生きていて良かったと思いました。

 こんな素晴らしい、世界水準のミュージシャン達に、私の作った七福神の
音楽のデモCDを送って聴いていただいて、参加してくださることになったな
んて、自分にとって信じられないことです。まさか、自分の人生で、こんな
ことが起こるなんて想像もしていなかったし、その欲望も全くなかったし、
予定していませんでした。

 作曲もデモ制作も、全て自分一人でやり遂げなくてはならない状況で、
MIDIの使い方も分からず、しかも初めてのことだったので、最初は半信半疑
で、"これでいいのかな? 人が客観的に聴いたらどう感じるのかな?"
と不安でいっぱいだったのですから。

 根性で、毎晩徹夜を続けて、一人でMIDIの使い方を勉強しつつ、作曲をや
り遂げました。でも、努力の量ではなく、出てきた作品の結果だけが評価さ
れるので、おそらく、"こんな音楽、僕らのレベルでは、お粗末だ"とか、
"素人っぽいから一緒には演奏できない"とか言われるだろうな、きっと断
られるだろうなと覚悟していたので、ダメもとで彼らにデモCDを聞いていた
だいたのです。そうしたら、自分の予測に反して、デモを送ったミュージ
シャン全員が、一人残さず、

"これは素晴らしい音楽だ、個性的だ、これをジャズでやったらものすごく
面白い作品になるだろう。自分にとっても、エキサイティングなので、喜ん
で参加したい"という意向を伝えてきたのです。これには、びっくりです。
デモを送った方々に百発百中で、すぐにミュージシャンが決まってしまった
のですから。

 音楽を聴きなれた、耳の感覚が肥えたプロの言っていることなので、確か
なことなのだと彼らの意見を信用しています。ですから、ますます、"おか
しいなあ・・・キツネにつままれたみたいだなあ・・・"と私は思ってしま
いました。変ですよね。宇宙と七福神の力が大きいということを実感してい
ます。私の実力だなんて言うことはできません。宇宙に対してとても謙虚な
静かな姿勢です。七福神の活動と関係が深いので、アルバム発売の直前に、
メルマガで、ミュージシャン紹介をしていきたいと思います。

* ピアニストとの会話
 
 デモを聴いていただいたピアニストの家に遊びに行って、ゆっくり話をし
ました。ソニーからアルバムを出している方で、日本にも行ったことがあり
ます。彼はこの音楽をとても気に入ってくださっていました。

"この音楽はMIDIで作ったの?"

"そうです。パソコンで。"

"これ、全部自分で作ったの?"

"そうですよ、もちろん。全部私一人で作りました。"

"え?全部一人でこんなデモを作ったの?こんな複雑なリズムを、自分で作っ
たの?あなたがですか?"と、彼はぽかんとしていました。

 彼の目には、私は十代後半の少女くらいにしか映っていなかったのです。オリ
エンタルは若く見られるので、いいんだか悪いんだか、分かりませんね。

 そんなわけですが、彼にも、年も聞かれていないのに、あのお、私、大人なん
ですけどおおおおお、なんていう必要もないと、思い直して、
"そうです、複雑きわまりないリズムが宇宙から聴こえてくるので、そのまん
まできるだけ再現して、自分で作りました。聞いたことのない、他の音楽に無
い、新しいリズムでしょう?"

"はい、新しいリズムだねえ。他の音楽と似ていない。これをMIDIだけで作っ
たなんて、すごいなあ・・・"と彼は絶句していました。

"私自身が作っている音楽じゃないのです。全部、上から聴こえてくる音を実
現化しただけなのです。証明できないことですが。音楽を作曲してみようとし
たことは、私にとって今回が初めてだと言えば、あなたは理解できるでしょ
う? 初めて作曲した人が、ここまでは作りこめないでしょう? これは、私
の力ではありません。宇宙の力です。"

"ええ? 作曲は、今回が初めてなのですか? 信じられない。こんなことっ
て、世の中にあるのですね。私は、クリスチャンなので、奇跡を起こすことが
出来る人はキリストしかいないと思っているので、正直言って信じがたいです
が。信じられないけれど、私はあなたの言っていることをリスペクトします。
これだけの音楽が現実に出てきているのだからね。"

"そうです。私は、宇宙から音楽が聞こえてくるようになってしまったのです。"

 他の参加ミュージシャンにも同じ事を言われました。
"これ、MIDIだけで作ったの?"

"そうです。MIDIだけしか使っていないですよ。パソコンで。一人でやりま
した。"

"ええー? MIDIだけ? 本当? 信じられない! ジーザス!"

"リズムも個性的だけど、特に、ベースラインが変わっているねえ。こんな変
なベースは聴いたことがない。変わっているけれど、音がキマッているよね。"

"聴いたことがないのは当たり前です。だって、宇宙から聴こえてきた音を
そのまんま作ったのだから。私だって、こんな音楽は聴いたことがないので
すから。私が作っているのではありません。この世の音楽と違って、霊界の
音楽は計算された音作りとは全く違うのです。"

"はっはっは。あんた、ほんとにグレイトアーティストだねえ。クレイジー
だねえ。僕も宇宙から音が聞こえてくるから、クレイジーだけど。同類だ。
あなたは、ジェニュイン(本物)だ。"

"そうですね。仲間ですね。霊界の音は、ナチュラルで、ちょっとへこんで
いたり、いぼいぼがあったりして、研磨されていない状態なのです。それも
いくつもの楽器の音が、出来上がったハーモニーになって同時に聞こえてく
るのです。私はその音を音楽理論で直さずに、できるだけそのまま形にしま
した。"


* 五人種揃いました

 七福神のメッセージとコンセプトである、
"多様性"つまり、"多様性を受け入れて、人種を超えて地球の人類がみん
な仲良くして欲しい"ということは、今回のジャズミュージシャンの決定に
も現れています。

 なんと、数えたら、五人種も揃っていたのです。オリエンタル、黒人、
白人、ラティーノス、ネイティブアメリカン(赤色人種)と黒人のハーフです。

 私達バンドのメンバーが、人種を超えて、理解しあって音楽を作り上げる
こと自体が、メッセージなのです。


* 七福神がなぜ私に吸い寄せられてきたのか?

 私は、七福神を信じていたわけでもないし、拝んだわけでもないのに、彼
らは私に出現して音楽を送ってきました。七福神は私のファンなのですね。

 別に、彼らに好かれようと思ってこれまで生きてきたわけではないですが、
私の考え方とこれまでの生き方が、たまたま、七福神の波動と一致していた
というだけです。それで、波動が一致したので、七福神を私が呼び寄せてし
まったということです。

 続きは次回! お楽しみに。

53.週刊メルマガ 「強引ぐ マイ ウェイ」   vol. 37       7/19/05 (火) 発行

 皆様、こんにちは。ニューヨークは暑い日が続いています。なるべく外出し
たくないですが、毎日、あれやこれやと忙しく動き回っています。夏バテしな
いように、、ベトナミーズのフォーを時々食べています。

 さて、七福神が送ってきている音楽のアルバム制作は、少しずつ進行してい
ます。レコーディングに参加してくださるミュージシャンも、決まってきまし
た。まさか、自分では想像もしていなかったような、世界的に活躍しているグ
レイトミュージシャン達が私の音楽を絶賛して参加してくださるので、本当に
驚いています。自分で予定していた以上の、想像していた以上の良いクオリ
ティーで音を作る計画が進んでいるので、これは、目に見えない宇宙の大きな
計画の力が働いていることを実感しています。私の力だけではないです。宇宙
に感謝いたします。

 七福神のアルバムのレコーディングは、たくさんのミュージシャンに参加し
ていただいて、分厚くゴージャスなサウンドに仕上げます。夢は、大人数の
ビッグバンドで生演奏をすることです。いつか実現できればいいなと思いま
す。私は、昔から、トリオとかカルテット(3人、4人のバンド)よりも、
7人以上15人未満くらいの大所帯のジャズバンド、ラテンソウルバンドが
大好きだったのです。分厚くハーモニーが重なった生演奏は、すごく熱いパ
ワーに満ちていて、ライブに行くととても元気が出ます。ミュージシャンを
大勢雇うと、人件費がふくらんで高くついてしまいますが、いつかライブを
することになったら、せっかくなら、大人数のバンドで演奏を実現させたい
ものです。想像しただけでワクワクして、楽しみです。

 パーカッシヴな音楽のリズムは、浄化の作用があり、宇宙と自分の魂がコ
ネクトしやすくなる、ひとつの方法です。このアルバムの音楽を聴いて下さ
る方が、心をピュアにして音に自分の魂を埋没させると、自然に宇宙とのコ
ネクトができますように! と祈りながら曲を作りました。引き続き、制作
を続けていますので、お楽しみに!


「コントロール 1」

 さて、霊界のからくりについて、少しずつ書こうと考えていますが、なん
せ、膨大な量になってしまうので、もっともっと年を取ってから、じっくり
と取り掛かりたいです。幼少時の2歳から7歳の5年間ほど、守護霊の某お
坊さんが、毎日私の前に現れ、私と彼はテレパシーで会話をして、様々なこ
とを教えていただきました。

 霊界の仕組みについて、カルマの法則(やったことは返ってくる)、将来の自
分の配偶者の姿と情報などなど、色々なことを教わりました。
会話方法は、1秒間で全内容がドカンと自分の頭頂から入ってくる、テレパシー
によるものでした。話せば2時間くらいかかるような内容が、1秒でやり取りされ
るのです。言葉による情報交換ではないので、隠し事も出来ないし、考えて
いることはお互いに全てお見通しでした。

 私のこの体験は、今でもずっと続いていて、進行中です。どんな本にも書
かれていないような体験なので、いつか文章化して、他の人々にも情報を分
かち合えるように準備しようと思っています。なぜなら、私は霊感で幼い時
から、宇宙霊と交信し続けていたお陰で、宇宙の法則について詳しく指導を
受け、その法則に沿って正しく生きてくることが出来たお陰で、現在の私が
あるからです。

 実際に、幼少時に守護霊のお坊さんが私に5年間に渡って見せていた男性
がこの世に存在し、彼は私の配偶者になったこともあり、私の見ていた霊界
交信は、信憑性が高いことが徐々に実感として分かってきました。

 まだまだ、自分の配偶者の情報の他にも、霊界交信で得た将来の情報があ
るので、今後、それらが続々と実現化しだしたときには、もっと私自身が自信を
持って、皆様に霊界の仕組みを説明できるようになってくるでしょう。

 その情報の一つが、今回取り組んでいる、音楽制作です。これについては、
また改めて説明いたします。
皆様にも、霊界の仕組みの情報を知らせることによって、人生が明るく幸せな
方向に、宇宙の法則に沿って正しい方向に向かっていっていただきたいと願い
ます。私の情報が、新しい視点と人生の価値観を持つきっかけになっていただ
けたら幸いです。

 今回は、コントロールについて書きます。自分の思考のコントロールが、
人生で一番重要です。これを知っているかいないかで、人生が大きく変わり
ます。

 方法を知らないばっかりに、宇宙の法則から観れば間違ったことをし
ている人々も大勢いるので、その度に、なんとか教えてあげたいと思いつつ、
口をつぐんでいます。時々教えてみようと試みると、かえって刃向かってこ
られることもあるため、放っておくことを選んできました。今日は、一歩踏
み込んで語ってみようと思います。本人がそのままでいいのなら、私はそれ
以上何も言いません。
 ただ、ヒントだけは与えてあげたいと考えています。

 私は、幼少時から、それぞれの人間の霊体のレベル(霊格)が観えてしま
うのです。細かい階段状に、低い霊格から高い霊格まで、非常に大きな差が
あります。この差はどこから来るのかといえば、前世までにしてきたカルマ
によって、魂にフタをつけてきてしまった状況がそのまま現れているのです。

 また、この人生を生きているだけで、間違った方向に進んできていて、悪い
カルマをどんどん増やしてきてしまっている人も多いです。どこからどう修
正したらいいのか分からないような人もいます。目覚めるか眠っているかの
違いのようなものだと思います。今までは、私は、特に霊格が高く生まれて
いる5000万人に一人くらいの人には、見つける度に、それを詳しく本人
に説明して、自覚を持って進んで人類に貢献していただくように助言をして
きました。霊格は、そのくらい、細かく段階状に高低に違いがあります。

 霊界とこの世は、鏡合わせのようになっています。思考は、その内容が波 
動となって、自分の頭から外に向かってはみ出ています。自分が考えている
ことは、それが波動となって、ラジオやテレビの電波のように、テレパシー
となって外にはみ出ているというわけです。自分の頭は、電波を発している
放送局のようなものなのです。

 これはどういうことかというと、自分が発している思考の波動が、それと同じ
種類の波動の霊を、霊界やこの世に浮遊している霊達の中から呼び出すこと
と同じなのです。自分と同調した波長の霊を、自分のもとに呼び出し、自分に
引き寄せてしまいます。

 自分が霊界に対して呼び出した霊が、神様やエンジェルなどのいい霊なら、
いくらでも自分に引き寄せても大歓迎ですが、もしも自縛霊などのよくない
波動の霊を引き寄せてしまっているなら、どうでしょう?皆様も、できれば、
悪い霊は引き寄せたくはないですよね?

 神様やエンジェルに好かれて同調してくれて、自分に引き寄せている人は、
とても自由でハッピーな毎日と人生が実現化します。引き寄せている神様や
エンジェルと同じような人生が展開してくるのです。

 その反対に、悪霊を引き寄せている人々は、その悪霊たちと同じような人生
が展開してきます。

 霊界で起こっていることと、この世の出来事は、そのくらいそっくりで、鏡あ
わせになっているのです。悪霊も、とても強いものがいますが、神様系と悪
霊の違いは、人生の最後に大どんでん返しが来ることです。高いところまで
強く引き上げるだけ引き上げて、一気にパシャンとどん底まで突き落とすよ
うなことをします。

 ですから、どんな御霊に好かれて引き寄せたいのか、自分で思考を完全にコ
ントロールしなければなりません。1日24時間、常に自分の思考をチェックして
修正し続けて、人生を最初から最後までその姿勢で貫くことが大切なのです。
1分たりとも、気を抜くことはできません。

 考えていることや、こっそりやっていることがばれないと思っている人は、
浅はかです。霊界には全てばれています。思考とは、波動を発することなの
ですから、隠しようがないからです。それに、やったことは、消せません。
その増やしてしまったカルマの時点から、自分なりに出来ることをやって、
人生をまっとうしなければなりません。全て自分の責任なので、素直に今ま
でやってきてしまったことを受け入れて、いさぎよく生きていきましょう。

 神様やエンジェルがついてくれると、自分が行く先々で、移動して歩く土
地にいるいい氏神様など、自分についている神様と同じようないい波動の神
様たちが同調して、自分にくっついてきます。移動する度に、どんどん守護
してくれる神様が増えてくるのです。ですから、私は呼ばれた場所には、で
きるだけ移動して、いい霊をくっつけて従えて帰ってくるように気をつけて
います。もちろん、常に自分の思考をいい方向に、神様達に同調するように
コントロールしているからです。当たり前のことなのです。自分の思考は、
磁石と同じ働きをします。

 その反対で、もし、1体でも悪霊や自縛霊と同調してくっつけてきてしまっ
ている人は、どうなっているでしょうか? その人が移動する度に、その土
地に潜んでいる、同じような悪い波長の自縛霊をくっつけてきて、どんどん、
山のように増やしてきてしまいます。これを、憑依現象と言います。その自
縛霊は、どんどん増え続けて、200体以上になってしまっている人も大勢
います。顔付き、顔の表情が変わってくるので、周りの人も気が付くでしょ
う。

 本人が、自分の思考、それに付随する行動と価値観を根本的に変えて、
いい方向に正さない限り、自分にくっついてきてくれる霊の種類を変えるこ
とはできないのです。霊能者が除霊しても、本人が考えを正さない限り、ま
たすぐに自縛霊をくっつけてきてしまいます。どうどう巡りですね。それも、
常に、1日24時間の1分たりとも油断して悪い方向に考えたら、悪霊が
寄ってくるので、いつも気を付けておかなくてはならないのです。

 全て、本人の責任だと言ってしまえばそれまでなのですが、この事実を知ら
ない人には、教えてあげなければならないことだと私は思います。

 自分の考えや価値観について、常にコントロールして修正し続けなければ
なりませんが、最初は訓練のように大変な努力が必要であっても、やがて何
度も繰り返しているうちに、記憶が条件反射のレベルにまで到達してくるの
で、そうなれば、無意識の状況のときでも自動的に考え方を修正し続けてい
るようになってきますから、安心してください。慣れれば、簡単に、意識し
なくても常に修正し続けているようになります。自動車の運転のようなもの
です。

 私は、この事実を幼少時の2歳の頃から、守護霊の某お坊さんに教えられ、
たたきこまれました。その通りにずっと、2歳から気を付け続けて現在に至っ
ているのです。ですから、自由に自分の思考をコントロールして、神様やエン
ジェルの波動に合うように、彼らに味方についてもらうように、努力し続けて
いるのです。これが、私の秘密です。

 周りからは、私は運が良いように見えるようですが、そのようにしているのは、
2歳から毎日続けている自分の思考の完全なコントロールのお陰なのです。
全て自分の責任で行っています。

 今回、この具体的な方法をメルマガ公開し始めた理由は、2004年1月
25日に七福神が出現し、一曲聞かされて、11月半ばから彼らは私に音楽
を送り続けてきて、その音楽を作ってアルバム化しているという体験によっ
て、七福神を信仰していないにもかかわらず、私は彼らに好かれて、彼らが
私に引き寄せられてコンタクトを取ってきているということからです。

 2歳から続けている思考のコントロールと、考え方と今までの人生の全てが、七
福神の波動と一致して、彼らを私自身が引き寄せてしまったということなの
です。七福神は、私のファンなのですね。

 次回は、なぜ私が七福神に好かれるようになったのか、語るつもりです。
きっと、皆様の今後の人生にも、大いに参考になるお話だと自負しています。
私の体験を皆様におすそ分けさせていただきたく思います。お楽しみに!

52.週刊メルマガ 「強引ぐ マイ ウェイ」 vol. 36       7/12/05 (火) 発行

 先週は、自分で愛用する予定でデザインした、0.6カラットのマダガスカル産の青いサファ
イアを使ったリングが完成しました。小さめですが、素晴らしい色の、美しい宝石です。指先に
つけていると、美しいサファイアが目に入ってきて、ヒーリング効果が大きいです。そのパワー
の強さを感じて、「オ・オ・オ・・・」とシビレます。近々、ウェブサイトに写真をアップします。次
は、ルビーで何かを作りたいです。少しずつ、本物の宝石を集めていくつもりです。宝石のパ
ワーは、恐るべきものだと実感しました。私にとっては、運を集める集積装置です。ジュエリー
たちが私にパワーを与えてくださることに、とても感謝して、愛でています。

 さて、最近ずっと取り組んでいる、音楽製作についてメルマガに書いたところ、読者の方々
から、励ましと応援のお便りをいただきました。本当にありがとうございます。七福神が送っ
てきている音楽を私がチャネリングして制作していますが、この音楽をとても楽しみにしてく
ださっている人達がいるので、私も元気が出て、作曲を続けています。

 七福神の音楽がきっかけで、チャネリングで音楽を作り始めてから3ヶ月が過ぎましたが、
私の魂の中に、新たな作曲のパイプが開いて、宇宙とつながったようです。曲を作り始めて、
どんどん出てくるようになってきました。宇宙から曲が降りてくるのが、止まらなくなってきま
した。今後、活動が忙しくなってきたとしても、少しずつ作曲は続けます。音楽を作っている
ときは、自分自身の魂がとても生き生きしています。楽しいです。


 「音楽活動の兆し 3」

 デモCDを、徐々に、参加をお願いしたいグレイトミュージシャン達に渡して、聴いていただ
いています。少しずつ、参加してくれるミュージシャンが集まってきているところです。

 最初に私の音楽を絶賛してくださったジャズミュージシャンが、その友人のピアニストにデ
モを渡して下さいました。彼は、

「まず、この音楽を聴いてみてくれ。僕はとても面白いと思うんだ。素晴らしい音楽なんだ」
といって、何の予備知識も与えず、人種も性別もふせてその場で聴いてもらったそうです。する
と、そのピアニストは、

「なんか、仏教徒のようなイメージを感じる。宗教家か、スピリチュアルな人が作った音楽な
のですか?」と聞いたそうです。私の友人のジャズマンは、びっくりしてしまいました。

「その通りなんだ! 仏教徒ではないけれど、日本人女性で、とてもスピリチュアルな人が、
宇宙とのチャネリングで降りてきた曲を作ったんだよ。彼女も、僕たちと同じグレイトミュージ
シャンのソウルを持っていて、彼女の魂は宇宙とつながっているんだよ! 僕たちの魂も、
宇宙とつながっているじゃないか! 同じ種類の仲間なんだよ。彼女と、何か音楽を作らな
ければならない!」と彼は説明したそうです。

 このピアニストも、録音に参加したいとノリノリです。彼にも色々と協力を頼むことになりま
した。ハモンドオルガンを弾いてもらう予定です。彼は、録音の前に私と会って話をしたい、
イメージを膨らませたいという意向を伝えてきたので、なんと、明日、お会いすることになり
ました。郊外にお住まいの方なので、訪ねていきます。また新しい友人の輪が広がると思っ
たら、ワクワクします。とても楽しみです。素晴らしい友人と知り合えるということは、エキサ
イティングで、刺激的です。友人から学ぶことは多いからです。

 こんな、世界水準の、一流のジャスマン達に、私の作った七福神の音楽を評価していた
だけたなんて、自分でもまだ半信半疑で、キツネにつままれたようです。自分では、彼らの
ようなレベルの人達には相手にしてもらえないお粗末な音楽のレベルだろうと思い込んでい
たからです。意外なことで、びっくりしています。

 私は、思い返せば、いつも音楽が大好きで、止められませんでした。今回のこのレコーディ
ングと活動につながったのは、今まで長々と蓄積してきた音楽の素養のお陰です。私の場
合は、本当に、「好きこそものの、上手なれ」です。好きなことには、長年、情熱を傾け続け
てしまうものなのです。

 ですから、その大好きな音楽で、私の個性であるサイキックの霊感を通して、チャネリング
で音楽をこの世に出して、その霊界の音楽が聴いてくださる人々のためになるなら、とても
やりがいがあるお役目だと思いました。天から授かったこの啓示を、とてもうれしく、ありが
たく思い、感謝しています。

 「なんで今頃、音楽活動の啓示が天から降りてきたのですか? どうして今なのでしょう
か?」と、私は七福神その他、宇宙霊の先生方に尋ねました。いつものチャネリング会話
です。

「それは、長い年月をかけて、音楽分野の技術と知識、またその他の経験と知識を積み上
げて蓄えた後に、内容とクオリティーのいいものを、人々に提供できるようにするためだった
のです。土台作りが一番大事なのです。勉強期間は長ければ長いほどいいのです。」とい
う答えが返ってきました。

「そうですか。納得しました。今まで、自由に好きなことを思う存分させていただき、吸収させ
ていただけたので、これからは、人々に、自分が吸収してきたものを表現して発信し、還元さ
せていただきたいと思います。私が作ったものに触れて、ハッピーになって下されば嬉しい
です。」と私は答え、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

「音楽の力は、とても大きいのです。あなたは、プラスのハッピーな波動を音で表現していく
役割があります。文章や絵は、肉体が衰えてからでも書けるので、体がエネルギッシュなう
ちは、しばらく音楽で表現をすることになるでしょう。あなたは、なぜスペイン語を話せるように
マスターしてあるのか分かりますか?それにも理由があったのですよ。これも私たちの導き
だったのです。」

「もしかして、音楽活動で、英語とスペイン語と両方でちゃんぽんにして使うためだったので
すか?」

「そうです。あなたは、黒人もラティーノも率いて、スペイン語も使って活動していくお役目で
す。音楽はその媒体です」

「そうですか。そのために、最上級レベルまでスペイン語をマスターさせられたのですね。も
しかして、私が幼い時から歌が大嫌いで、楽器を弾くことと踊ることが好きだったのも、理由
があるのでしょう? それは将来、ある歌手とともに活動するためで、私はあえて歌わないため
だったのでしょう? もし私が歌好きだったなら、自分で歌ってしまいますからね。7歳ごろか
らいつもそのビジョンが観えていて、常に頭から振り払おうとしてきましたが、あなた達がし
つこく啓示のヒントを送り続けていたのでしょう?メンバーで日本人は私一人ですね。」

「その通りです。しかし、私達は、くわしいことは言ってはならないのです。でも、貴方の活動
と、私たちの活動と、両方が作用しあっていることを意識しておいてください。この世の出来
事と、霊界の出来事は、鏡あわせなのです。もしあなたが私達宇宙霊の活動と意向に協力
して下さるのなら、もちろん、私達はあなたを助けますから。それは、お互い様のことなので
す」

「それは分かっています。マイナスのエネルギーも、あなた達が私に宝石を与えたりして、は
ね除けて下さっているのでしょう? 私は、宇宙から与えられた自分の運命とお役目を受け
入れて、果たす心構えは出来ています。自分がなぜ存在しているかというと、それは自分の
力ではなく、何か大きな宇宙の力によって存在させていただいているのだという、とても謙虚
な姿勢があるからです。自分の力ではないのです。ですから、今後もあなた達のメッセージ
に耳を傾けて、宇宙からのお役目と啓示を果たします。」

「お願いします。これは、私たちと貴女の両方が力を合わせなければ出来ないことなのです」

「はい。ハッピーになる曲、浄化の曲など、人々がポジティブになっていくような曲を私にお
授けください。音楽で人々のためになるなら、私はこの身をあなた達に投げ出しましょう。私
でよければ、どうぞお使いください。私の肉体と魂の7つのチャクラを開けて、あなた方のメッ
セージを受信いたしますから」と、答えました。

 これまでの、のどかな生活から一変して、もしも音楽で忙しく働かなければならなくなった
としても、今まで長い間自由にのんびりさせていただいたので、出来る限り自分のお役目を
果たそうと決意しました。もう覚悟は出来ました。今までは、戦いの前の、静けさの時代だっ
たのですね。これからが、私の人生の戦いの本番です。自分の運命に賭けて、全宇宙的な
人生を貫くつもりです。

 今までの人生の、静けさの時代に出会った友人達、家族達、パートナーを大切にして、活発
な活動に入っていきます。自分が何者でもなかった時に親しくしていただいていた人は、とく
にありがたい人達です。
 

51.週刊メルマガ 「強引ぐ マイ ウェイ」   vol. 35       7/05/05 (火) 発行

 皆様、こんにちは。先週は、ABTの「白鳥の湖」を観にいき、感動しました。白鳥は何度も
観ましたが、バレリーナによって、それぞれに違った踊り方をするので、いろいろ観ると興味
深いですよ。私は、幼少時から13年間クラシックバレエを学んでいたので、未だにバレエは
大好きなのです。10年以上続けたことは、自分の一部として身体の中にずっと残りますね。
その当時から、白鳥の、第二幕の、四羽の白鳥の踊りは大好きで、今でも振り付けをよく覚
えています(笑)。

 スペインでディスコやクラブでDJとして働いていた時も、ダンスが大好きなこともあって、3
時間は踊りつづけていました。天職でしたね。気持いいです。今はニューヨークに住んでい
るので、アメリカならではの文化であるタップダンスを、そのうち、週1回くらいで習ってみた
いです。身体を動かすことはいいことです。ジャズバンドの生演奏をバックにタップダンスし
たら、気持いいだろうなあ、快感だろうなあと想像しています。


「音楽活動の兆し」続き

* ミュージシャンをスカウト

 さて、前回の続きです。
 先週は、ニューヨークで開かれている、ハドソンリバー・フェスティバルに行ってきました。
私がデモCDを送ったアメリカ人ジャズミュージシャンのうちの一人が、出演していたからで
す。もとザ・バンドのピアニストであるガース・ハドソンと共演していました。音楽史上に残っ
ている大御所です。

 さすが、彼等の演奏は素晴らしかったです。こんな、世界水準の一流ジャズミュージシャン
に、私の音楽を理解していただけて、共演していただけるなんて、改めて思うと、信じられな
いことです。それも、私の作品を「素晴らしい音楽だ」といって絶賛してくださって、協力してく
ださるのですから、私は幸せ者だなあと思いました。最初に、中途半端なミュージシャンでは
なく、一流ミュージシャンにデモCDを聴いていただいたことが幸いしました。ライトパーソンに
持っていったのだと確信しました。誰に聴いていただくかによって、運命が分かれるものだと
思います。あんなに売れたビートルズでもオーディションに落ちていたのですから。(ちなみ
に、彼らをオーディションで落としたプロデューサーは、その後レコード会社をクビになりまし
た。)

 このコンサートの時に、共演していたパーカッショニストがとても抜きん出ていたので、終
了後に楽屋に訪ねて、私のレコーディングのためにスカウトしました。連絡先を聞いて、デ
モCDを送る約束をしました。ここはアメリカなので、ゴリゴリと積極的にアクションを起して
普通くらいです。まだ、数人のミュージシャンを集めなければならなので、現在、検討中で
す。私の、音楽を見分ける感覚には自信があるので、自分の耳を通じて、レコーディングの
ミュージシャンを選んでいきます。とても楽しい作業です。


* グレイトミュージシャンから教えられたこと

 コンサート終了後に、私のデモCDを聴いてとても絶賛していたミュージシャンとゆっくり話
をしました。世界水準の実力を保っている彼と話すと、とても勉強になります。教えられるこ
とが多いです。目に見えない良いものを吸収させて頂けることに感謝しています。

「あなたはグレイトミュージシャンなので、まさか、私の音楽を気に入って認めていいただけ
るとは期待していませんでした。あれはデモで音も不十分だったのに。」と私が切り出すと、

「君の音楽は素晴らしいよ。とても個性的で他の音楽に似ていないし、オリジナリティーが
強い。あれは、アメリカでひょっとすると上手くいくかもよ。アメリカ人の僕が聴いて、とても
面白いと思ったからね。それに、君の音楽には、グレイトミュージシャンに不可欠な、ソウル
とフィーリングがあるよ。君はソウルを持っている!音がキマっているんだ。一番大事なこと
は、技術ではなくて、ソウルを持っているかいないかだ。」

「どうもありがとう。私はDJをしていたので、音のセンスと耳には自信があるのですが、技
術はあなたに比べて足りないのは分かっています。でも、あなたに理解していただけて、
嬉しいです。ソウルって、何ですか?」

「そこらへんにごまんと山ほどいる技術だけは優れているジャズミュージシャンと違って、ソ
ウルを持っているジャズミュージシャンは、あまりいないものなんだよ。すごく少ない。僕達
はお互いに見分けがつくのさ。これは、持って生まれたものなんだろうね。どうしてそうなの
かは分からない。音を聴いたらすぐ分かるよ。音にはね、ソウルがある音と無い音があるん
だ。ソウルのある音を出すミュージシャンとそうでないミュージシャンがいる。ソウルを持つ
ジャズミュージシャンは、演奏中に、宇宙とつながって、そこから直接音を降ろして、自分の
身体を通じて音を外に出すことができるんだ。音は、上から頭頂めがけて降って来るんだよ。」

「それって、もしかして、頭のここでしょう?」と、私は、頭頂のチャクラを押さえました。

 読者の皆様はお気づきだと思いますが、彼の言う、頭頂めがけて音が降ってくるという話は、
私がチャネリングする時の体感にそっくりですよね。

「うん、そうだよ、ここに音が、宇宙から降って来るんだよ。鳴らすべき音が聞こえてくるんだ。
それができるミュージシャンのことを、ソウルを持っていると呼ぶのだよ」

「それって、チャネリングですよ! 私はサイキックだから、宇宙とチャネリングできるのです。
あなたもサイキックですか? 人の霊体を感じますか?」

「うん。僕も多少はサイキックだよ。君の霊体も感じるよ、少し近付いたら、自分の中に霊体
が入ってくるよね? 君は、なんてピュアで透明なスピリットなんだ! そして、静けさがあ
る。シーンとしているね。きみと一緒にいる人達は皆、その静けさに触れて、ほっと落ち着く
ことができて、気疲れしないはずだよ。」

「ええ? じゃあ、ソウルを持つミュージシャンは、サイキックと同じなのですね。それでは、
クンダリーニの体感があるでしょう?」と私は言って、クンダリー二の症状を詳しく説明した
ら、

「ああ、それはよく起こることだよ。時々ね。いつもではないけれど、演奏中にも時々そうな
るよ。」

「やっぱり!」

「ただしね、ソウルを持つミュージシャン達とだけ演奏しているときは、宇宙からものすごい
エネルギーが全体に入ってくるのが分かるけれど、一人でもソウルを持っていないミュージ
シャンが混ざっていると、何も起こらないんだよ。だから僕は、本当は、ソウルを持っている
ミュージシャンと演奏するほうが好き。君の今回のアルバムも、せっかくやるなら、ソウルを
持つグレイトミュージシャン達だけと録音しなさい。ギャラが安いからといってそこらへんの
ソウルの無いミュージシャンと録音すると、ゴミしかできあがってこないよ。10曲の駄作よ
り、1曲でもいいから傑作を作りなさい。そういう音はずっと残っていくから。できるだけいい
音を残しなさい。その音は、さらに次の活動に結びつけることができるから。」

「了解しました。ヴォーカルは入れようかどうしようか考えているんだけど。歌詞が無いから。
七福神が送ってきた音楽には、歌詞が無いのよ。コーラスは多少入っているんだけど。」

「君の今回のアルバムは、ヴォーカル無しで、単独で作りなさい。せっかく素晴らしい音楽な
のだから、ヴォーカルを入れてしまうともったいないよ。ジャズで、楽器だけの音の方が素晴
らしい音が出来るよ。ヴォーカルが入ると、ミュージシャンの間で気が散って、宇宙にコネクト
しづらくなってしまうんだよ。楽器だけの方が、お互いにハーモニーを瞬間的に宇宙から受け
取ることが出来るから。」

「分かりました。グレイトミュージシャン達に参加をお願いして、出来る限りいい音を残すよう
に努めます。」

 このように話し合いました。とても素晴らしいアドバイスをいただけました。勉強になりました。
このアドバイスは、パフォーミングアーツを志している人々に、とても参考になる話だと思い、
内容をシェアする目的で、公開させていただきました。

 アメリカで、人種を超えて人を感動させるような作品を作るために一番大切なことは、技術
力ではなくて、「ソウルがあること」だったのです。
何のジャンルのアートでも同じだと思います。私は目からうろこが落ちました。
技術では不十分な私なのに、彼らのような世界水準の一流ジャズマン達のハートを捉えて、
録音に参加していただけることになった理由が、
「私の音にソウルがこもっているから」
だったのですから。これは、私にとっても、私の周りの友人達にとっても、とてもショックな出来
事でした。

 私は、自分の魂の宇宙とのエネルギーの通り道のパイプを、詰まりを無くして開けて、宇
宙からパワーや情報を自由自在に受信しています。チャネリングの音楽を作ることができる
ので、それが聴いてくれる人々のためになることなら、これからも細々でいいので、20年、
30年と作曲も並行して続ける決心がつきました。

 祈ったら、「浄化の曲」を七福神が授けてくださいました。お楽しみに。乞うご期待。

50.週刊メルマガ 「強引ぐ マイ ウェイ」 vol. 34      6/28/05 (火) 発行

 皆様、こんにちは。先日、ニューヨーク・シティー・バレエの「真夏の夜の夢」を取材で観に行
き、その美しさに感動し、心が洗われました。すっかり元気が充実しました。美しい芸術に触
れることは、ヒーリングと同じですね。

 さて、宝石を扱うようになってから、ますます運が良くなったような気がします。太古の時代から、
身分の高い王様達だけがいい宝石を身につけていたのは、運を自分に集めるためだったの
でしょうね。宝石は、宇宙のパワーを凝縮して吸収し、自分にパワーを集める集積装置のよ
うな働きをします。私も今、自分用に青いサファイアを使ってデザインしています。

 最近、いくつかの美術館にも作品が収蔵されている北欧の有名な某作家(画家、陶磁器
の絵柄デザイナー)の、若い時代のオリジナル作品(印刷ではなく手描きの1点もの、サイ
ン入り)を2枚、ニューヨークで手に入れました。1949年と1950年の作品です。直径30セ
ンチくらいの大皿に、手で細かい絵を書いたもので、お皿の裏にも手書きで本人のサインが
入っています。
 私は彼のファンなので、その歴史的価値を詳しく知っていたため、速攻で買
いました。現在の段階でさえ、1万ドル積んでも買えるようなシロモノではないのです。
「ゼロが??個少ないんじゃないの?」
と自分の目を疑いました。あまりにも格安だったので、売った人は全く価値を知らなかった様
子です。その上、他の人々には見向きもされていなくて素通りだったのです。
アメリカだなあ、と思いました。この作品に私はご縁があったのでしょうね。家にやってくる運命
だったのでしょう。

 宝石が凝縮したパワーの恩恵を受けて、私がこのお皿を引き寄せたのかもしれません。こ
の素晴らしい作家のオリジナル作品から発しているパワーが、またさらに幸運を運んできて
くれるでしょう。優れた芸術作品や宝石からは、恐るべきパワーをもらうことができます。将
来20年後くらいに、もしも困った時にはサザビーズでオークションにかけて売ります(笑)。


「音楽活動の兆し」

 さて、前回のメルマガで、デモCDを、黒人とラティーノのジャズミュージシャンに送ったこと
を書きましたね。月曜日に送ったので、あれから1週間が過ぎました。私は失うようなものは
何も持っていないし、実はダメもとで、一流のジャズマン達に送ってみたのです。恐れ多くも、
毎年世界ツアーに回るような方と、プラチナディスクももらったスター。実力派で、世界水準レ
ベルの方々です。私の信条は「強引ぐ マイ ウェイ」だから、やるなら大きく、自分なりに出
来るだけクオリティーの高い作品を作ってみようと考えたからです。エイヤっっと、思い切って
飛び込んでみました。「それでダメって言われれば諦めもつくし、それなら一人で作るしかな
いな、それでも最後までやり遂げよう」と考えて、ドキドキしながら返事を待ちました。

 数日前にすぐに電話で返事が来ました。なんと、ダメかなと心配していた予想に反して、2
人とも、とても私の音楽を気に入って下さって、驚いていました。

「とても個性的で面白い音楽だ。ぜひ君と音楽活動をしなければならない!一緒に活動しよ
う!」

「すばらしい音楽だ。ぜひ、貴女と一緒に活動したい、楽しみですね!」

などと、快いお返事を頂きました。ちょうど彼ら2人とも、活動していたジャズバンドを解散した
ところだったので、次の活動の計画がまだ具体的に立っていなかったことも幸いしました。
取って付けたようにラッキーです。

 七福神のメッセージの「多様性」のとおり、たった1週間で、オリエンタルに加えて、黒人、
ラティーノの3人種が揃いました。

 それに、アメリカ人って、オープンですね。この方達には全く人種の偏見も無く、「良いか悪
いか」、「好きか嫌いか」で純粋に判断してくださいました。

 人種の壁を超えて、音楽で通じ合えたので、とても嬉しくて、幸せで胸がいっぱいになりま
した。彼らも同じことを感じていて、すごく盛り上がってきています!

「人種を超えて、音楽を通じて理解しあって音楽を創造し、自分たちが楽しんで一つになり、
そのハッピーな音楽を、人種を超えた様々な人々に届けて、楽しんで頂くことが、私達の使
命だね! それが実現できれば私達も幸せだよね! 音楽の力はすごいもの!」と、話し
合いました。

「源 愛子」(音楽でみんなに愛を与える)ですね!

「私は音の感覚、耳はいいので、プロのDJとしては務まりましたが、ポップミュージックならと
もかく、ジャズをやるにはまだまだ勉強が必要です。ですから、あなた方の素晴らしいジャズ
ミュージシャンの友人達にも、ぜひ参加していただけたらいなと考えています。皆様の助けが
必要です。私一人では出来ません。私のアルバムという形ではなく、皆対等の立場でユニッ
トを組みたいです。なぜなら、私はあなた達をとても尊敬しているからです。私は端っこでマラ
カスでも振って、小さくなっておきますから(笑)」
と、私の希望と構想を彼らに説明しました。

 なんだか、降って湧いたみたいに、すごいことになってきましたねえ。キツネにつままれた
ようで、ポカンとしています。ますます人事みたいです。今後は、ユニットで活動をしていきそ
うです。

 めげずに作曲を続けますので、皆様も応援してくださいね。
今は、私の念力で宇宙の焦点に集中して、七福神のプロジェクトが実現するように、私の方
からも決意をあらたに、積極的に念を送っています。それと同時に、毎日、いらないものや悪
い波動を受けないように、自分の浄化にも力を入れています。自分をピュアに保っていなけ
れば、音楽を受信できませんから。

 そして、「音楽で、人のために役立てるのなら、私でよかったらどうぞお使いください」と、宇
宙に対して願い、宇宙からエネルギーが入ってくるように私の中にそれを受け入れる器を作り、
開いています。謙虚な姿勢を保っていなければ、上からメッセージが入ってこないことを実感
として知っているからです。

49.週刊メルマガ 「強引ぐ マイ ウェイ」  vol. 33       6/21/05 (火) 発行

 先週は、私はとうとう、七福神に反抗してしまいました。喧嘩をふっかけたのですが、相手に
されず、微笑んでいただけでしたね。仕返しもされませんでした。

 今、七福神が出てきて私の身に起こったことを、私はじっくり考え直しています。自分の何が
原因で、こんなことが起こってきたのか?一体私は、自分で希望してこんな現象を引き寄せた
のかどうか、考えました。自分の人生のプライオリティーについて自問自答しています。七福
神のあやつり人形にはなりたくないですからね(笑)。


「七福神と喧嘩」

 実は、私が幼少時からコンタクトをとっている霊的存在や神様の中で、七福神の霊的レベル
は下のほうです。チャネリングするときに、何か質問して答えを送ってもらう存在は、宇宙の中
心の白い巨大な光で、最上級の存在です。絵を描いている時やジュエリーを作っている時、
時々文章を書いている時などにも、ここにチャネリングしています。これが、日本ではきっと天
照大御神と呼ばれていたもので、他の宗教ではゴッドと呼ばれているところです。

 私は、この宇宙の中心は信じていますが、それ以外のキリストとか釈迦とかは、一切信仰し
ていません。無宗教です。私はベストなものを知っているので、他のものは要らないのです。
ですから、キリストや仏陀であっても信仰するわけがないですよね。

 宇宙の中心の巨大な光が最上級の存在で、その下に、キリストや仏陀、弘法大師や不動
明王がいます。七福神は、キリスト教でいえばエンジェルくらいの霊的レベルの存在だと感じ
ています。わりと現世に近い、物質的な神様です。私は、彼らのことをエンジェルくらいだと認
識しています。(私とよく似ている弁天様も、私を守護してくださっています。メルマガ7号で書
いた、私の霊体を引っこ抜いて上まで連れて行ったのが、弁天様です。私と似ていたので
ぎょっとしました。悪い波動の自縛霊を遠ざけ、エンジェルや神様に好かれる生き方について
も、今後くわしく書きますのでお待ちください。全て自分でコントロールできます。)

 なぜ、宇宙の中心である白い巨大な光が、キリストや仏陀を超えて最上級のベストの存在
だと知っているかというと、私はそこにコンタクトして質問を送り、解答を受けるという、チャネ
リングを幼少時からし続けているからです。体感するし、実感があります。私だけでなく、皆
全員、この最上級の存在に直接つながっているのですが、交信のやり方が分からないだけ
だと思うので、今後は、少しずつ、機会があればそのやり方を人々に説明したいと考えてい
ます。

 ヨガでいうところのクンダリーニ(7つのチャクラに電流のようなエネルギーが走って何
度も通り抜ける現象)も、実は幼少時から日常的に体感しています。クンダリーニとチャネリ
ングは深い関係があります。(先日、NYでヨガの瞑想に行ってみましたが、2回目でクンダ
リーニを体験し、「なんだ、こんなの、いつも私に起こっていることだった、しょーもなー」と拍
子抜けしました。クンダリーニについては、いつか、詳しく書きます。)


 さて、数日前に、とうとう七福神と喧嘩してしまいました。今、彼等の音楽を作っていて、プ
ロデューサーも見つかり、アルバム化のプロジェクトが進行していることは、一方的に彼らか
ら私にアクションがなされていて、どうしても納得がいかなかったので。

「お前達、一番偉い神様でもないくせに! エンジェル程度の地位のくせして、よくもこのワタ
クシに向かって、一方的に音楽を送ってきて、作れって頼んだな! 私は納得がいかない!
私はお前たちのあやつり人形じゃないぞ!」と、私は、反撃に出ました。

「一方的ではありませんよ。時期が今やってきただけです。このプロジェクトは、貴女一人の
力でやり遂げようとしてはなりません。ヒントは七福神と同じく、多様性です。貴女はオリエン
タルでしょう? 違う人種を集めてまとめなさい」

「じゃあ、黒人とラティーノのミュージシャンに協力を頼むといいのかな。考えてみるよ。でも、
私は、あなた方に、音楽をやりたいから音を授けてくださいなんて、1回も頼んだ覚えはない
のに、なぜ私に出てきて実現化するように頼んだの?」

「私たちに対しては頼んでいないけど、貴女は音楽を作ろうとしたことがあったでしょう? 忘
れましたか? その時の願望のエネルギーが、今のこのプロジェクトを呼び寄せたのです。
時間差で、その時期がやってきました。」

「え?・・・もしかして、スペインのマリーアとの?」

「そうです。その時の願望の強いエネルギーが、時間差で私達を呼び寄せたのです。」

 そういえば、私はテロの直後に、当時スペインで学校の合間に楽しみで音楽活動していた、
歌手のマリーアとのデュオ(私はキーボード)で、アルバムを作る話がありました。私は当時
は画学生だったので、DJと音楽活動と占いで生計を立てていたのです。そして、マリーアと、
ブルゴスのミュージックフェスティバルにスカウトされて出演し、その後、アルバムを作る話が
でてきたのです。

「せっかく音を作るなら、クオリティーの高いものを作りたいから、私はニューヨークに引っ越し
たい」
と私は先にこちらに来ましたが、マリーアはその後も来る気配はありませんでした。無
理に連れて来ようにも、不可能な状況でした。彼女はドラッグの売人をして生活していて、
ハッシシ(大麻樹脂)中毒で、1日10グラムを消費していました。そのせいでいつも情緒不
安定で、激しい偏頭痛持ちでした。アメリカにハッシシを持ち込んだら、6年間刑務所に入れ
られてしまいます。彼女がドラッグ売人から足を洗うように、音楽で軌道に乗るように導いて
あげたかったのですが、私の力では出来ませんでした。
彼女は「アメリカ人は嫌いだ、憎んでいるから行きたくない」と言って、その後、ドラッグが豊富
にあるネパール方面に行ってしまいました。

 私がニューヨークへ来た最初のきっかけは、90年に日本で知り合った、長年のジャズミュー
ジシャンの友人が、「テロのショックで、何かを君と表現したくなった、何か音楽を作ってみな
いか? こちらにおいでよ」と提案してくれて、私もニューヨークに呼ばれている感覚があった
ので、彼の住むアップステイトの町に3ヶ月滞在したことです。そして、私はドラムスやジャズ
ピアノを習って過ごし、彼らとスタジオで、ヒップホップを作って録音しました。

 そうでした、すっかり忘れていました。一度は、マリーアと、必死で音楽をやってみて、フェ
スティバルにも出て、アルバムを作る話があったのです。ニューヨークに来て多忙になったため、
この音楽の話は前世のことのように、忘れ去っていました。

 その時に願ったエネルギーが、今になって作用して自分に戻ってきていたのです。3年以
上経って戻ってきていたなんて。それと、七福神の希望が一致して、彼らを私自身が呼び寄
せてしまったのですね。全て、原因は自分で作っていたのです。私は続けて七福神に尋ねま
した。

「強烈な気負いで願ったわけではなかったのに、あの程度の強さの自分の願望が、あなた
方とこのプロジェクトを呼び寄せたなんて、現在は、やったことが自分に返ってくる速度がど
んどん速くなっているのですか?」

「そのとおりです。これから、どんどん、その速度は加速します。マイナスの考えをし続けて
いる人々は、今後だんだんと、そのエネルギーが自分に返ってくるのが速くなって、持ちこ
たえられずに自滅(消滅)していきます。」

「そうですか。でも、音楽のことは、自分の中で、"どうしても、何が何でもアルバムを作りた
い"とか、強く願いつづけたことではなかったのに。もともと、私は願望というものがあまり無
いのです。無欲なのです。」

「あまりにも強く願いすぎることは、本人のエゴが強く入っているので、叶わないものなので
す。あなたのような無欲でピュアな人が、少し願ったら、宇宙に届きやすいので、現実化し
やすいのです。このからくりを、人々に教えてあげるのも、あなたのお役目です。これが理
解できずに苦しんでいる人達は大勢いるからです。」

「それで、私には色々なことが起こりすぎるのですね。今の状況、ジャーナリストの仕事や、
ジュエリーの道と師匠のご縁も、過去に願った自分が誘き寄せたのは理解しています。そ
れでは、これからは、自分が何を本当にやりたいのか、自分の願望をコントロールすること
を学んで、気をつけなければならないですね。人の役に立つ自分のお役目を、考え直しま
す。」

「やっと気がつきましたか。あなたのお役目は何でしょう?宇宙は、あなたに、使わない才
能は与えていません。与えられているものは、人々のために使いなさい。」

「与えられているものですか。霊感と、美術の才能と、文章力かな。これを使っていく仕事
ですね。自分の中では、私の霊感と美術に比べれば、文章と音楽はさほどたいしたことは
ないのです。だから、なぜ、音楽のプロジェクトが今の自分にやってきたのか、まだ自分の
中で納得がいっていないのです。」

「音楽は、波動なので、上手に作ろうとする必要はありません。あなたのもつハッピネスを
人々は音を通じて感じて、"楽しそうだなあ、幸せそうだなあ"と、自分を取り戻します。その
あなたの純真無垢な、陰の全くない幸せいっぱいのハッピネスが、七福神と一致して、あな
たが私達を呼び寄せたのですよ。そこまで純真無垢なハッピネスを持ち、かつ音楽を表現
できる人は、あなたしかいないのです。一方、哀愁のあるブルースやジャズは、悩みや傷、
差別の痛みのある人にしか表現できないのです。あなたの音楽の役目は、その反対のエ
ネルギーの、明るく楽しいハッピネスです。自分ひとりでやろうとしてはいけません。必要な
人を集めなさい。ヒントは多様性です。あなたはオリエンタルでしょう?他の人種を集めてま
とめてごらんなさい」

「そうですよね? 黒人とラティーノのミュージシャンを探してみます。それと、プロのミュージ
シャンに仕事をシェアするという考え方で進めるべきだと思っています。この天から授かった
プロジェクトを、自分だけの手柄として独占することは避けたいのです。私が、他のミュージ
シャン達を集めて、彼らにも仕事の機会を与えるシェアができるのならば、このプロジェクト
を推し進める意義があると考えました。私はほんのきっかけ役、調味料役で十分だと考え
ています。」

 このような交信の後、心当たりのある黒人とラティーノのミュージシャンとプロデューサーに、
デモCDを送ろうと荷造りしていた時、電話が鳴って、そのデモCDをソファーの後ろにバタバタッ
と落としてしまいました。ソファーの背もたれで作業していたもので。電話を切って、ソファーを
どかしてCDを拾うと、そこに何があったと思いますか?

 なんと、CDの間に、20ドル札が1枚はさまっていました。これは、ありえないことです。

「ああ、七福神が、物質化現象をおこして、20ドル札を出現させたんだな。」と、ゾーっとして、
観念し、悟りました。どうもありがとう。

 今回は、このまま、やりかけたことは最後までやり遂げる決心を、新たにしなおしました。
とにかく、目の前にある仕事を、一生懸命全力でやることが大事だと思うし、そうして坦々と
日常を積み重ねていった先には、今よりも成長している自分がいることだろうと期待していま
す。

48.週刊メルマガ 「強引ぐ マイ ウェイ」   vol. 30    5/31/05 (火) 発行

「七福神の壮大な計画」

 七福神の音楽は、カッコいいものが何曲か出来てきているので、「これ、ホントに私が
作ったのかなあ?」と毎日驚いています。周りの友人に聴いてもらったら、すごくビック
リしていました。友人は、「初めて作ったようには思えない。やっぱり自分で作っている
んじゃないんだね」と納得したような顔をしていました。自分でも、ポカンとして、キツ
ネにつままれたようで、人事のようです。

 曲のクオリティーから見て、どう考えても、私が作ろうとしているのではなくて、やは
り七福神とか神様たち(宇宙の先生方)が曲を私に送ってきているのだとしか考えられま
せん。一度に、いくつものパートの、楽器の音が聴こえてくるので、それを素直に形にし
ています。パソコンの前にじっとしていると、天から音が聴こえてきます。不思議ですね。

 やっぱり、サウンドは「おデブ」です! アメリカ人の友人にこの話をして、
「日本の昔話の7人の神様がいてね、みんなおデブでね、彼らが私に音楽を送ってきてさ、
それを今製作中なんだよ。それが、サウンドも、ファット・ミュージックなんだよ!」と
いうと、お腹を抱えて大笑いしていました。
「それ、絶対買うよ! ファット・ミュージックだなんて、聴いてみたい!」と言われます。

 こんなことって、あるのですね。作り話みたいですね。私も、まさか、七福神とのチャ
ネリングで曲を作って音楽活動をするなんて、予想していませんでした。このメルマガを
最初から読んでくださっている読者の方々は、私自身の半信半疑のこのいきさつをご存知
ですね。私はある日、アフロヘアーにして、DJにスカウトされた話から、今日まで、ずっ
とつながっている点と線が見えてきました。今の音楽活動をさせられる時期が、きっと霊
界と宇宙では決まっていて、それに合わせて数年間、「予行演習」として七福神にDJをさ
 せられていたのです。

 七福神って、おかしな神様ですねえ、私をDJにするために、アフロにさせたのですから!
 ほんとに、有無を言わさぬエネルギーで、毎日毎日、「アフロにしなさいぃぃぃ」と彼
らは私にメッセージを送り続けてきたので、しぶしぶ私は本当にアフロにしたのでした。
そしてアフロで手相鑑定とタロット鑑定をしているところに、著名なDJに声をかけられて、
面白半分でスカウトされてチャンスを与えられたのですよね。それでレア盤ばっかりかけ
たら、「どうして、あなたはそんなレアな音源を持っているんだ?」と、DJはひっくり返っ
て、「来週から、毎週レギュラーで入って下さい!」と頼まれたのです。七福神の計画っ
て、何年がかりで、ゆっくりと進められるのですね。壮大な計画です。一気には計画を進
めないようですね、彼らは。

 宇宙霊にスペインに呼ばれていった 〜 勉強のかたわら、手相鑑定とタロット鑑定をし
ていた 〜 アフロのお告げが続いたので本当にアフロにした 〜 プロのDJになった 〜
 再び宇宙霊にニューヨークに呼ばれて来た 〜 七福神が出現して上に連れて行かれた 
〜 七福神とも交信をし始めて11ヵ月後から、私に毎日音楽を送りつづけていた 〜 解
釈に困っているところに、審神もできる霊能者に霊視していただき、本当に七福神が私に音
楽を送ってきていることが分かった 〜 それでも余裕がなくて放っていると、プロデュー
サーが見つかった 〜 今年夏発売をメドに現在製作中・・・続く
 
 七福神達は、私にしつこく音楽とメッセージを送りつづけてもなかなか動こうとしない
ので、シビレを切らして、とうとう沖縄からニューヨークへ旅行に来た、審神もできる本
物の霊能者を、私に巡り合わせたのです。

 私の場合は、前世で音楽家だった時の影響で、今生でも音楽なら簡単に出来るとのこと
でした。前世の影響って、あるのですね。

 まさか、メルマガが、音楽製作していく過程を同時進行でお知らせする役目になるなんて、
これまた想像もしていなかったです。この調子だと、音楽製作だけではなく、発売やその後の
いきさつまでも、メルマガが同時進行で追っていくのでしょうね。

 七福神のパワーの波動の、開運の音楽ですから、きっと、気付いた人だけが自然に買っ
て手に入れていくことでしょうね。素直な人しか買わないだろうし(笑)。七福神の計画
にお任せして、ゆっくり静かに進めるつもりです。どうぞお見守りください。


47.週刊メルマガ 「強引ぐ マイ ウェイ」   vol. 27    5/10/05 (火) 発行

 皆様、こんにちは。お元気ですか?

さて、いいニュースがあります。ABT(アメリカン・バレエ・シアター)のプリンシパルであるアンヘル・コレーリャへのインタビューが、とうとう実現できました。彼は、バレエダンサーとして今が人生の黄金期で、大活躍中です。去年秋から、ローレックス(時計)の新しいイメージモデルに選ばれました。10年前に、パリ・国際バレエコンクールでグランプリと金賞を同時受賞して、世界中から一気に注目を集めた人です。すごく性格が良さそうで、自信に満ちていて、熱意のあるいい「ヲトコ」でしたよ。とても明るい人です。

 私にとって、取材するのって、とっても楽しい大好きな仕事なのです。多分、今後ジュエリーやアートで忙しくなっても、ずっと辞められないお気に入りの仕事です。取材活動は、細く長く続けるつもりです。いつか、「和田」先生ことスティービー・ワンダーにインタビューしてみたいです。友人間では、彼のことを日本語風に、「和田」と呼んでいます(笑)。彼は明らかに凡人ではないですね。「紫色が私には気持がいい」と言って、紫の服を好んでいる彼。なんと、色の波動の違いを感じ取ることが出来る人なのです。彼は、きっと人それぞれの霊体の感触(霊格の違いなど)も感じ取れるはずなので、ちょいと確認してみたい気がします。

 アンヘルのインタビューは、毎月連載しているチャコットのwebマガジン、"Dance Cube"の私のコラム、「ニューヨーク・ダンス・直行便」に掲載されています。毎月10日発行なので、ぜひご覧下さい。あなたもきっと、アンヘルのファンになることでしょう!
http://www.chacott-jp.com/magazine/index.html


「協力者の出現」

*職業は「宇宙霊のチャネラー」

 最近は、音楽のプロデューサーまで見つかって、毎日音楽も作っているので、驚きの今日この頃です。ほんとに、私の人生って、計画性が無く次々にいろんなことが仕事として舞い込んできて、いまだに現在進行形で、将来はどの方向にどのように進んでいくのか見当がつきません。宇宙霊のお導きに沿って、謙虚に活動しています。まるで同時進行で、別々のことをたくさんやっているように周りからは見られがちですが、自分の中では一貫性があるつもりで、来た話は全部やらせていただくようにしています。一つずつ、目の前の仕事を地道にコツコツとこなしているだけです。ごく自然に伸び伸びと生きています。

でも、お金をいただいて仕事として活動していることの種類が多過ぎるように周りには見えるみたいですね。現代の世の中では、私のような活動形式が不思議で、浮いているみたいに見えるのでしょうね。よく人々に、
「あなたの職業は何なの?専門は何?どうして一つに絞らないの?」などと尋ねられます。そういえば私は、一言で職業が答えられる人生ではないですね。つっかかってくる人もいますから、慣れていますが、今までは、その人の考え方に合わせて答えていました。長年勉強を積み上げてきた専門分野が、大きく分けて3つあるからです。絵画、執筆活動、音楽です。一つ一つが、幼少時からずっと辞めずに積み上げてきたものなので、昨日今日やり始めたことではないです。

 何の分野でも、長い間コツコツ真面目に積み上げて続けると、「ちりも積もれば山となる」で、その努力が報われる日が来るものです。これは、私の今までの人生で学んだ一番大きなことです。信念を強く持って、理想をできるだけ高く持ちつづけて、それに近付こうと努力することが、私がいつも胸に抱いている信条です。

 私の職業は、現代社会に合わせて一言で答えなければならないとしたら、「宇宙霊のチャネラー」ですね。表現方法はその都度変わっているだけで、いつも宇宙霊からのメッセージを、私を通じて外に表現して流しているだけなのです。私は単なるパイプのような役割だと考えています。不特定多数の人に伝えたいことがある時に、それを、表現方法を変えて、その時々に最もふさわしい方法で、伝えているだけです。


*歴史上初の女性版ダ・ヴィンチが目標

 実は大昔、レオナルド・ダ・ヴィンチが生きていた500年ちょっと前くらいの頃は、ルネッサンスで、芸術家というものは、多くの分野を並行して専門を掘り下げることが当たり前のことだったので、これは珍しくも何ともなく、ごく自然な芸術家の生きる姿勢だと解釈しています。彼は画家でもあり、音楽家、物理学の基礎を築いた父、武器専門家など、様々な活動を自然にしていました。

 現代は、どうしてダ・ヴィンチのような人が出て来なくなってしまったのでしょうね? 20世紀は、たった一つに職業を絞らなければ生きていきにくい、効率化を追求した社会になっていったのでしょう。

 私の芸術家としての理想はダ・ヴィンチなので、これからさらに年月をかけて、自分の3つの分野を極めて、統合させることが目標です。実は昔から、歴史上初の女性版のダ・ヴィンチを目指したいと思っていました。現在までの途中経過は、そのスタート地点にやっと私も立つことが出来た程度ですが、間違った方向には向かっていないと思います。このまま続けます。

*3つの専門分野 「絵画」

 私の専門の中心を成している主なものは絵画全般、アートで、そこから派生した分野が写真、ジュエリー(ハイ・ジュエリーのみ)です。個展、写真展もやって、時々写真の仕事も細々続いています。

 そのせいで価値のある美術品を1秒で見分けられるので、ヴィンテージ食器とアンティーク家具、ヴィンテージアクセサリーや服の収集を趣味で続けています。多分、見分ける時に、霊感も使っているのでしょうね。食器は1950年代のスカンジナビアもの中心で、家具はマホガニー素材の100年以上経たもの、服はスペインに住んでいた頃からヨーロッパの手の込んだ品質のいい古いものを集めています。特に生地の織りや見事な手作業の刺繍が、現代の作品では手に入らないくらい完成度が高いのです。また、気に入った美しい食器に変えると、毎日の食事がとても楽しい娯楽の時間に変わります。

 家具やお皿は寝かしておくと、毎年値段が上がっていくので利率のいい貯金と同じことなので、おすすめです。飽きたらサザビーズで売却すればいいだけです。アンティーク物は品質がよく希少価値があるので、「減価償却」が起こらないのです。

 分かりやすく説明すると、例えば新品の家具を買って使って翌年に転売する場合、その価値が半額以下になってしまうことを、経済用語で減価償却といいます。しかし、アンティーク物は、物によっては、時間がたてばたつほど、値段がどんどん上がっていくのです。買って毎日優雅に使って暮らしながら、飽きたら値段が上がった頃に売却益を得ることができます。

 これらは、単に自分の毎日の生活を豊かに彩るために、趣味で集めつづけていただけなのですが、周りの人々に、「教えて欲しい」とか、「同じ物を買ってきて欲しい」とか、「セレクトショップをやってよ」と言われることがあまりにも多くなってきました。


*「執筆業」

 2つめの専門分野は、執筆業です。これはもともと、子供の頃から、自分の霊感で感じることに、自分の考えが追いつかなかったために、幼いなりになんとか理解しようと試みて、書いていました。
「知識がないのに、絶対にそうだと知っている状態」、
「根拠がないのに、それが真実だと知っている状態」
が、私の人生では幼少時からあまりにも多すぎて、それが幼い頃の私には、かなりな負担になっていたからです。霊感で分かっていることは、
「なぜそれが宇宙から見て正しいと知っているのか」
理由がないのですから、それをポロッと人に言った時には、
「そっちの方が良いだなんて、なんでそう言い切れるの? そういうあんたのことは、自分ではどう思っているんだよ?」
などと当たってこられることが普通でした。そういうことが、私にとって「友人か、知り合いか」の人付き合いの境目でしたね。ですから今考えると、私の友人は、私の言っていることを理解できる直観力のある人達だったのだと思います。

 その当時は、自分のことを霊能者だとは考えていなかったので、無理もないです。自分の考えは人には黙って、口をつぐんでいました。今年の元旦に沖縄の審神もできる霊能者に出会って、

「あなたは霊能者です。観えているのだから、人に対して間違っていることは"間違っている"と、もっと言ってあげなければなりませんよ」

と強く指摘されてから、やっと、自分は霊能者だったのだと認めて受け容れ始めたところです。

 ですから、これから書く内容はさらに伸び伸びとしてくるでしょう。子供の頃から、いつも霊感で感じることを書いてまとめては、後で読み返したくないので、ゴミ箱に捨てていました。書く力は、観えなくていいものまで観えてしまう自分の霊感による苦しみのために身についた、副産物です。

 ですから、文章を書きたいとか、上手くなりたいとか、作家になりたいとか考えて書き出したわけではなく、書かずにはいられなかったので書いていただけなのです。「狂人日記」みたいなものです(笑)。そんなに格好いいものではありません。自分にとって書くことは、息をすることと同じくらい自然なことで、一生止められることではないです(笑)。

 本格的に仕事として書き出したのは、学生の時にいくつかの賞に文章を応募したら必ず最終選考まで残っていたことと、一度エッセイで小さな賞を受賞したことがきっかけで、
「これなら私でもお金を頂いて書いてもいいかな」
と考え始めてからです。ベースになっている基礎的な物の見方と考え方や知識は、大学の時に経済学部で学んだことの影響が大きいです。それから1冊本を出版して作家になり、フリーでジャーナリストになり、現在に至ります。


*「音楽」

 音楽も、辞めずに長年続けている専門分野です。というより、好きすぎて辞められない状態です(笑)。一種のジャンキーで、音楽は私の糧です。

 幼少時の5才くらいからオルガンを13年間学んだことがきっかけですが、オルガンを辞めた理由は、
「私なんてジミー・スミスの足元にも及ばない、私程度に弾ける人達はいくらでも世の中にいるんだから、別に私がやらなくてもいいんだ」
なんて、冷静に自分を分析して謙虚に考えたからです。ほんとに、私は、もしそのまま真っ直ぐプロの道へ進んでいたとしたら、並みのプロくらいにはなれたけれど、オルガンの巨匠ジミー・スミスには及びませんでしたね。

 それで、大学で経済学部に進学したり、その後絵画を学びにスペインに留学しましたが、結局音楽は常に私の糧で、ほとんど病気なレコード収集と研究をずっと続けていました。今でも、レコードを買うのは我慢しているだけであって、もしお金がふんだんにあったら、買いたいもののリストは軽く500枚はあるくらいです(笑)。もうビョーキですね。

 そのレコード収集と研究を辞めずに続けていたお陰で、スペイン留学中にDJとしてスカウトされて、毎週末有名なクラブでレギュラーで仕事をしていました。2年〜3年続けました。

 この時も、スペインで、毎日自宅で聴いて楽しんで自分のテンションを上げるために、日本から、世界のレア盤の音源を150枚以上持ってきていたという偶然が重なっています。

 ジミー・スミスには及ばない並みのミュージシャンである自分が、まさか、お金を頂いて音楽活動しようだなんて、全く考えたことがなかったのに! どういう因果か知らない間にプロになっていって、いいギャラでお金を頂く仕事が続いたために、ただ呼ばれるままに引き受けて続けました。私の選曲を喜んでくださる人達が大勢いたことは、人の役に立っている感触を得られて嬉しかったです。

 底抜けに明るい曲を選曲するので、「ひまわりのような選曲」と呼ばれていました。この時の経験は、お客さんの反応を見ながら盛り上げたり、どのように持っていったら盛り上がるのかとか、人を音楽のリズムで乗せる練習になりました。だから、今では、人間の身体はどんなリズムで乗ってくるのか、知り尽くしています! リズムを身体で感じると、宇宙霊にコネクトしやすくなるのです。学んだことは計り知れないほど大きかったです。

 今から思うと、七福神が音楽を送ってきて、実際に音楽活動をし始めることの、予行演習としてDJをさせられていたのだと分かりました。多分、七福神と宇宙霊の計画ですね。

 私自身が音楽家になりたいとか作曲したいとか、全く考えていないことがポイントです。
「ミュージシャンになりたい」とか、
「音楽でご飯を食べていきたい」だなんて、何も考えたことが無いのです。
無理したことは一度もなくて、もっと自然な状態なのです。

「私の音楽を私が作る」というような我が全くない状態で、
「私を通じて、七福神や霊界の音楽を形にして、人々にハッピーな開運の波動を配るお手伝いをさせていただければ光栄です。私でよければどうぞお使いください」という気持しかないです。
「私が音楽を作っている」なんて考えていなくて、
作曲の仕方は、「耳を澄ますと、どんな音が聴こえてくるかなあ?」とじーっと聴こえてくる音を待って、降りてきた音を形にしているだけです。ふざけてますね(笑)。

ただ、私はチャネリングしているだけです。それをCD化するために、今回、投資してくれる出資者が見つかったのも、七福神達の、宇宙の計画に違いありません。だって、よく考えたら、私なんて一度もレコードをリリースしたことがないのに、その上デモテープも作っていなかったのに、いきなり私に投資してくださるなんて普通ではないですものね。これは私の力ではなく、目に見えない運命の、宇宙の力が働いていることを肌で感じています。

 先週から、私の音楽の出資者がニューヨークにいらっしゃったので、お会いしました。七福神の曲のデモテープを聴いていただいたら、すごく気に入ってくださって、予想していた以上の出来だったらしく、ひどく興奮していらっしゃいました。

 「あなたは私のことを良く知らないのに、ましてやデモテープさえ作っていなかったのに、曲も聴かずになぜ、私の音楽に投資することを決断なさったのですか? 不思議です。」
と私は尋ねると、非常に興味深い返事が返ってきたので、書くことにします。

 「私はビジネスで成功してきたので、ビジネスの勘には自信があるから大丈夫です。私があなたに投資する理由は、あなたが自分自身に膨大に投資し続けてきているからです。あなたの自己投資のスケールは、桁が違うでしょう? あなたほど桁外れに自分自身に思い切った投資をし続けることができる人には、世の中で滅多に出会えるものではありません。あなたが自分への投資と勉強に使ってきた時間、お金、エネルギーの量の多さを考えてみなさい。

 普通の人はねえ、お金とかステイタスのために、嫌々仕事をしながら、文句を言って、せっせと貯金しようとしていますよ。あなたくらいの年齢で、貯金なんてしているようじゃあ、大成できないですよ。貯金しているような人は、自分にもけちけちして、自己投資をしないから、結局小者で終わるのです。それは、私から言わせれば、当たり前です。自分に投資している額があなたとは全然ケタが違うんだから、当たり前でしょう?

 仕事でお金をもらって学ぶことと、自分がお金を払って学ぶことは、大きな違いです。自腹を切ってお金を払って学ぶことは、それは自分に対する投資なので、そのお金のエネルギーは、何倍にもなって将来返ってくるのです。お金とは、循環しているエネルギーなのですから。あなたくらいなら、まだまだ、入ってきたお金は全部自分に投資しつくすべき年齢なのですよ。

 でもね、そういうことは、実際には、並みの神経では出来ないことです。皆、将来の不安によって、若い時から貯金しようとしてしまうものなのです。でもね、将来に対する不安って、自分に対する不安なんですよ。

 そういう人達とは反対で、あなたは自然に楽しく生きていて、ネバーストップで自己投資を続けていて、今はジュエリーにものすごくお金をかけているのでしょう?そういうお金のかけ方、思い切った生き方は、みんな不安でなかなか出来ないものなのですよ。あなたほどは、そこまで全部不安を捨てきれないし、何事も勉強を長く続ける根気も続かない。

 あなたが今まで自分に投資したことは、これから絶対に返ってきますから。私が保証します。あなたが絵画の留学に費やした投資も、分野は違っても、実は音楽にも必ず反映されているものなのです。ビジネスってそういうものなのです。だから、私は、あなたから出てくる音楽は、素晴らしいものだと知っているのです。」

 その方はこのように力を込めて語りました。あまりに確信を持って語るので、感動しましたね。

 私が自分では気付かなかった人生の姿勢と優先順位を、この方は一撃で見抜いておられたのです。それにしても数回しかお会いしたことがないのに、驚きです。ちなみに、この方は、私の絵画も、ジュエリーも何も、一回も私の作品を見たことが無いのです。ほとんど霊能者でしょうね。

 コツコツ続けた努力って報われるんだな、どこかで見ていてくれる人がいるんだな、世の中捨てたものじゃないなと思いました。

           Copyright (C) 2005 Bruixa Nishimura All rights reserved.
          発行者・ブルーシャ西村

46.週刊メルマガ 「強引ぐ マイ ウェイ」   vol. 22       4/05/05 (火) 発行

 皆様こんにちは。お元気ですか? ニューヨークも随分暖かくなってきました。私の方は、この1週間は、とても大事な事が色々と起こりました。びっくりするようなことばかり続きました。 

 メルマガ第七号に書きました、七福神の音楽(彼らがチャネラーである私に音楽を送り
続けてきていること)に、製作・CD化してしてくれるプロデューサーが見つかりました。
やっぱり運命だったのですね。七福神達は、早く音楽を形にして、人々に福の神の波動を
ばらまいて、幸せになるお手伝いをしたいと私に言っています。夏頃までには発売できる
ように、頑張ります! 
「セブン・ゴッズ」ハウス・バージョンです。
 メルマガと同時進行形で、応援してくださいね。
 
 また、ジュエリーの師匠が、宝石の仕入れのための1ヶ月の旅から帰ってこられたので、製作を再開しています。彼は旅で仕入れてきたダイヤやサファイア、ルビー、イエローダイヤを見せてくれました。最高級2カラットのダイヤ(時価2万ドル)を初めて直に触ってみて、ため息が止まりませんでした。

「僕がジュエリーを作っている訳は、実は宝石が好きだからなんだよ。宝石は僕に語りかける。何個作っても、飽きたことは無いよ。君も本当に石が好きなんだね。見ているとよく分かるよ。宝石は、それを手にとって石が何も君に語らない時は、買ってはいけないよ。石が君に語りかける時だけ買いなさい。それが選び方だよ。」

と彼は話しました。宝石も人間みたいなものなのですね。石も生きているのですね?私には、彼は何が言いたいのかが分かります。彼は宝石の波動が分かり、見分けることが出来るのです。宝石が語りかけてくるなんて、さすがです。この言葉、結構、奥が深いですよ。他に応用が利くお言葉です。人間に置き換えてみると、よく分かります。

「人間(異性)は、その肉体に50センチくらい近付いたら感じる霊体に触れてみて、彼の霊体があなたに語りかける時だけ交際(or結婚)しなさい」

ということですね? ほんとに、宝石の選び方と同じで、彼の霊体が何もあなたに語りかけない時は、無視して素通りするべきなのです。霊体を何とも感じない時は、宝石と同じく、手にする必要は断じてありません。それは失礼でも何でもなくて、ただ相性が合わないだけなので、選ばない方がお互いのためです。

 しかし、もしその霊体があなたに強烈に語りかける人に出会えば、それは必ずつかむべきものなのです。その人の霊体を、強烈に感じる(触感で体感する)人のことです。なぜ感じるのでしょうか? それは自分の波動にピッタリ合った人だからこそ、霊的に相性が合うので、体感するのです。自覚が無い程度のわずかな体感ではなくて、「これは一体何なんだ?」と驚くほどの、激しい体感ですので、すぐに分かるはずです。そういう人を見つけたら、逃さず声をかけてください。なぜなら、その人こそがあなたの霊体にマッチしている運命的な人だからです。お互いにとって黄金のコンビなので、掛け替えがないのです。これに気付いて、人々が実践してくれたら、どれだけ多くの人が幸せになることでしょう!

 この霊体の体感というのは、伴侶としての結婚相手だけでなく、相性の合った友人にも起こります。その相性のいいプラスの体感の種類というのはマチマチで、熱い感じ、暖かい感じ、ふんわりした感じ、和んだ感じ、最初から自分になじんでいる感じなど、様々です。この体感は、出会った時と何年も経ってからと、全く変わらずいつも同じ感触で霊体の反応を体感します。いつも全く同じパターンの体感なのです。人間の霊体は、リトマス試験紙のようなものだと言えます。

 ですから、全く体感しなくてその人の霊体に入っていけない時は、霊的にブロックがかかっている危険信号ですので、自分の本能を押し殺してまで、無理に「エイヤッ!」とその人の霊体に飛び込んで付き合うようなことは決してする必要はありません。後で問題の方が大きくなるでしょう。

 そういうわけで、実は宝石も人間も、霊体の波動の方が本体なのです。

 私は、もう溶接や宝石のセッティング以外は、一人で作業できるようになったので、ジュエリー製作の道具を買い揃えています。とうとう、家に作業用のベンチ(台)を注文で作り付けることにしました。これから楽しみです。

  Copyright (C) 2005 Bruixa Nishimura All rights reserved.

45..週刊メルマガ 「強引ぐ マイ ウェイ」   vol. 19  3/15/05 (火) 発行

「相手の本質を見極めることについて」

 さて、前回のメルマガで、相手の本質を見極めることの重要さを指摘したところ、

「本質を見極めるって、どのようにすればいいのですか? 本質って、どんなことですか?
 全く分かりません。 いつも、男性を見る目が無くて困っています。今までは、間違えてばかりです」
といった質問が寄せられました。

「本質」ということの、意味がよく分からないのですね?

 自分では当たり前のように理解していることが、他の人にとっては聞いたことのないような、想像がつかないことだということが、新たな発見です。説明が足りませんでした。今回は、これについて、私なりに詳しい説明を試みたいと思います。

「自分がパートナーとしての男性を選ぶ場合にも、相手の肉体や愛想よく気を使っていることなど表面的なものではなく、相手の本質(魂、霊体)を見極めて、自分の波長に合った人を選ぶことが一番大事です。」 
と前回書きました。

 この、「相手の本質(魂、霊体)」とは、どんなことなのでしょうか?

 実は、人間の本体は、霊体です。それに対して肉体は一時的なこの世の物質で、霊体が乗った、車のようなものにすぎません。霊体は、肉体が滅びても永遠に無くなることはありません。霊体は、何度も人間に生まれ変わって、霊的に向上して、浄化していきます。

 霊体は、普通は目に見えないものですが、霊体を読み取ることが出来る人達は、サイキック(霊能者)と呼ばれます。もちろん、サイキックの霊格(霊的進化の度合い)と霊的能力の違いによって、読み取ることの出来る情報の種類と量には違いがあります。人間の霊体には、様々な情報が書かれています。今生の霊格の高低、過去から未来まで、過去生、今生の役割とそれを果たすためのポテンシャル、その人の伴侶の情報、カルマ(いいカルマも悪いカルマも)、克服しなければならない問題点などなど、たくさんの情報が書かれています。 

 なぜ、サイキックは霊体の情報を読み取ることが出来るのでしょうか? また、なぜサイキックによって、読み取ることの出来る情報に差が出てくるのでしょうか? それは、サイキックがコネクトできる情報の波動の高低に差があるからです。サイキックとは、生まれもった体質のようなものです。

 人それぞれ霊的に進化の度合いが異なるため、中にはある魂は、前世までにたくさん学んで進化してきており、生まれる前からすでにたくさんのことを知ってこの世に生まれてきています。宇宙の事実も、霊界のカラクリも、地球上の人間の霊体も、それは最初からそこにある情報の量には変わりはないのですが、観る人によって、読み取ることの出来る(観える)情報の種類と量には雲泥の差があります。天と地ほどの差です。

 それは、宇宙の事実は、厳しく、きついので、まだ未熟な魂の人にとってはあるがままの全ての情報を受け取ることはきつすぎて、その人がつぶれてしまう危険性があるから観えないようになっているのです。全ての情報を受け取ると、あまりにもショックが大きいからです。全ては読み取れないようになっている、観えないようになっているのですが、それは実は、本人の五感で自分を守るクッションのように調節しているのです。

 最初から観えなく生まれてきたのではなく、無意識下で、傷ついてつぶれたくないために、自分で観えなくしているのです。ですから、さらに霊的な情報を観えるようになりたいのであれば、宇宙の事実を知っても自分がつぶれないように、自分自身の魂を、地球にいる今生のうちに鍛えぬいて、何段抜かしにも強く成長することです。あなたも、霊的にタフに成長できた時には、さらに霊的情報が観えるようになるでしょう。

 私の場合は、生まれ持った霊感もありますが、今生の間にも、宇宙霊による指導のもと、厳しい訓練によって自分自身を鍛えぬいたので、相当タフにできているため、普通の人にとっては過剰な情報を受け取りすぎても、自分がつぶれてしまうことはないので、宇宙から大量の情報が流れてくるのです。受け取ってもつぶれないという強靭なタフさがあるから、観えるのです。

 ですから、私が宇宙から受け取っている情報を人々に伝えるには、そのまま外にダイレクトに出すときつすぎるので、かなりかみくだいて、言葉を選んで加工して出さなければならないと存じています。

 人は、受け取っても大丈夫な量の情報しか、観えないようになっているのです。自分の五感が、自分を守るために、過剰な情報をシャットアウトするのです。五感ではなく、第六感で感じることの中に、自分の選択にとって重要なサインがあるということは、このためです。

 人の本質(魂、霊体)を見極めるためには、目を閉じて、第六感でその人の霊体を感じるように務めればよいでしょう。触感で感じてください。言葉ではないし、理屈ではありません。相手の霊体を、第六感で感じるのです。

 大体、その人の半径50センチくらいに近付いたら、何か感じるはずです。自分に、その人の霊体が流れ込んでくるので、それを第六感で読み取ってください。相手の表面的なこと、容姿、社会的地位、職業、年収などに囚われると、それは五感を使って頭で考えている状態なので、その人の霊体の本当の姿(本質)を読み取れなくなってしまいます。頭を真っ白にして、目をつぶって、相手の半径50センチ以内に近付いて、霊体に触れて触感で読み取って下さい。

 今生のその人のポテンシャルとは、どのように霊体に書かれているのでしょうか? 前に書いたアルゼンチンの大臣のように、重い役割を背負って生まれてきた人は高いポテンシャルも与えられて生まれてきていますが、その反対で特に責任の重い仕事をしなくても済む運命の人(つまり、大変な仕事をする必要の無い人生)は、ポテンシャルも少なく、特に抜きん出た能力も与えられていません。

 つまり、その人の能力の範囲内で、出来ることを一生懸命やれば良いということに尽きます。無理をしなくてもいいのです。しかし、もし抜きん出た能力を与えられているのであれば、それは宇宙からのギフトなので、その能力を使わなければ、宇宙から与えられた今生の役割を果たさないことになってしまいます。与えられた特別な能力にも、深い意味があるのです。能力は、使わなければなりません。

 なぜ、生まれ持って、地球の人々それぞれの霊格とポテンシャルに大きな違いがあるのでしょうか? 

 それは、地球とは、様々な霊的進化の途中の段階である人々が、同時に同じ世界に生まれて、接したり話をすることが出来る貴重な学校であるからです。

何のためでしょうか? 

 それは、同時に生まれている霊格の高い人々から、まだ未熟な霊的進化の遅れている人々が色々情報を仕入れて、霊的進化を早めるためなのです。

 オープンになって素直にたくさん学んだ人々は、霊界にいた時よりも、地球上に生まれた時の方が、さらに何段抜かしで急激に、霊的進化を遂げることが出来るのです。霊界にいたときは、霊格の違うもの同士は、すれ違うことも、話をすることもできません。違う部屋に、別々に、霊格の違うグループごとに分かれて存在しています。

 霊体は、波動でしかないので、波動の全く違うもの同士は、すれ違うことができないのです。霊体は、同じ波動のもの同士は、くっついて同時に存在することが出来ます。宇宙空間でばらばらに存在した霊格の違う霊体は、地球上に生まれた時には、重力のある肉体をまとうので、霊的波動が激しく違うもの同士、霊格が違うもの同士も、重力のお陰でこの地球上に同時に存在して話をすることができています。

 人類は皆平等であるというのは、カルマの法則、宇宙の法則のもとでは平等な存在でありますが、前世にやってきたことによって生まれ持った霊格には違いがあるので、見方によっては平等ではないのが、真実の姿です。人々の霊格、与えられた能力、役割には、大きな違いがあります。

 その事実の姿をありのままに受け容れて、自分自身の出来る範囲のことをやり、役割を全うしていくだけで十分なのです。無理をする必要はありません。自分の波長に合った霊体の人とともに過ごし、少しずつ成長していくとよいでしょう。 また、自分と人とを比べてはいけません。自分と宇宙との対話を心がけてください。

 今日メルマガに書いた情報は、全て、宇宙霊とのコンタクトによって、私が自分の頭頂のチャクラに受信した情報です。私は、幼少時から、長年にわたって、宇宙霊による厳しい指導のもとに、大量に情報を受信し続けており、「宇宙と霊界のカラクリの全貌」について、壮大な物語を教えられてきました。

 実は、私が経済学を学ばされたことも、
ダ・ヴィンチと全く同じ修業方法で絵画を習得したことも、
現在、最高級ジュエリーを創っていことも、
スペイン語をマスターさせられたことも、
音楽とバレエを長年続けたことも全て、
宇宙霊による、私の魂を鍛え抜く訓練の一貫で、宇宙から真実の情報を受信してもつぶれないようなタフで強い魂を作り上げる教育だったのです。

 鍛錬とは、止めずに続けることに意義があって、何の分野でもやがて、閾値のような点に到達し、魂も同時に鍛えられています。ポイントは、バランスよく、あらゆる様々な分野の鍛錬を同時に続けることで、シナジー効果が得られます。絵描きであるからといって、絵だけを描いているのでは、魂はバランスよく鍛えられないのだと、宇宙霊は語りました。魂をバランスよく鍛えなかったら、宇宙から受信できる情報にも偏りができてしまうそうです。

「もっと勉強しろ! あなたには、まだまだ勉強が足りない、画家になるにしても知識も必要です、経済学を学びなさい」

という、宇宙霊の指導が、私の青春時代には続いていました。宇宙霊は、絵だけを描いていればいいという状況には、私を許してくれません。宇宙の情報の受信機として、まだバランスよく鍛える必要があるのでしょう。そろそろ最終段階に近付いてきているので、今年は、七福神から受信した音楽を形にすることを筆頭に、外に出し始める時期に入っています。

 追って、少しずつ近況をお知らせいたします。どうぞよろしく。

           Copyright (C) 2005 Bruixa Nishimura All rights reserved.

44.週刊メルマガ 「強引ぐ マイ ウェイ」   vol. 10 01/11/05 (火) 発行

「霊界からのメッセージ・七福神と五色玉」

 こんにちは。あっという間に1週間が過ぎましたね。1月1日から7日までの間に七福神めぐりをするといいそうです。新年の7日間は、いかがお過ごしでしたか?私自身も信じていなかったのに、結局、七福神は本当に霊界に存在していることが分かりました。これは、前回のメルマガに説明しましたように、他の霊能者の方にも確認して分かったことです。七福神は、2005年(足したら7)、今年は表に出たがっているようですね。

 去年1月25日に出現して以来、七福神は私の側にいつもいて、常に気配を感じます。ですから、彼らとも時々メッセージを交信しています。交信は、テレパシーを使ってやります。想念の塊のキャッチボールのような感じで、1秒で全内容が、ドカンと私に送られます。私が彼らにメッセージを送る時も同じです。ですから、会話は数秒で終わります。もちろん、七福神以外にも色々な宇宙霊が常に私の側にいるので、彼らとも同じ方法で交信しています。

 テレパシーで包み隠さず交信が行われるため、彼らに私が考えていることは全てお見通しなので、彼らと私は意外なことに対等な関係なのです。結構、普通に友達としゃべるように、タメ口をきいています。言葉をオブラートにくるんで、彼らにおべんちゃらを言うことは不可能なことなのです。つつぬけなのですから。ですから、「XX様」なんて呼ばずに、「おっさん」とか「おじさん」と呼んでいます。七福神のことも、「オシチ」なんて呼んじゃっています。
(注:vol.7で七福神が出現した話を書いた時も、「マイ・お七」なんていう失礼な題名を親しみを込めてつけましたが、あの後、私は彼らからシバかれなかったですよ・笑)

 ニックネーム状態(笑)。そう友達に言うと、皆驚きますね。皆、私が信心深くて彼らのことを「XX様」とひざまづいて祀っていたとでも想像しているんですよね。そんなわけないですよ。その反対! 拝んだ覚えもないし、何も頼んだつもりもないんです。すごく友達感覚で、対等で、自然な関係です。神様も、人間と同じようなものだと考えればいいのです。神様だって、霊界では一番上の最上級の存在(白い巨大な光、宇宙霊)に向かって浄化するために、霊界でせっせと修業に励んでいらっしゃる、修業中の身なんですよ。そこんところは、私達人間となんら変わりがないのです。

 なんでそう知っているかって? それは、私は彼らと交信しているからです。これは今まで証明できなかったことなので、何度も自分自身で錯覚かもしれないと疑ったことだし、自分の胸にしまっていたことです。そして、前回のメルマガでいきさつを説明しました霊能者の先輩にお会いして、

「あなたは稀に見る能力の霊能者なのです。観えているのだから、間違っていることは"間違っている"と、人々に教えてあげなくてはなりませんよ」

と言われてから、やっと自分の霊感を受け容れました。なんだ、私は、やっぱり霊能者だったのかと自分を認めると、

「どうして人に観えないものが観えて、聞こえないものが聞こえるのだろう? それは何か役に立つように使うために与えられたものだろう」

という意識に変わりました。そうすると、肩の力というか、防衛心も抜けて、交信(チャネリング)していることも書くことができるようになりました。

 神様も人間と同じく修行中なので、私の前に出現した御霊達に対しては、ケアはしています。これも人間の友達付き合いのようなもので、ご挨拶にでてきた七福神とかに対しては、友人のように自然に愛着が湧いてくるし、応援したくなってしまうんですよね。こちらがお経(般若心経:一切経の真髄、除霊の呪文)を唱えてあげることは、向こう(七福神)の浄化とパワーアップにつながるし
(注:これを六波羅蜜といいます。)、
お水(白い陶器)を供えるのは、のどが乾かないようにさせていただいていることです。(それが、本当に毎朝、お水が1センチから2センチは減っているんですよ!)線香を焚くのは、祀っている部屋の空気の浄化のためです。 

 私は、彼らを必要以上に崇めることもないし、すがる気も全くありません。神様だとちまたでは言われているようですが、彼らも霊界の御霊の一つに過ぎないので、広大な宇宙のほんの一部分でしかないからです。

 霊界は霊格ごとにいくつもの段階に分かれていて、中心の宇宙霊(白い巨大な光で、私達の故郷。きっと日本で祀られていた天照大御神と同じものだと思います)が一番上の霊的存在で、その下に色々な神様と言われる御霊達(キリスト、仏陀、弘法大師、不動明王、七福神など)が存在します。

 私は一番上の宇宙霊(白い光)は信仰しますけれど、その途中の段階のキリストとか釈迦とかは特に何も信仰しません。いくら向こうから出てきても、私は無宗教であることに変わりはありません。

(キリストが出てきた話は、またの機会に回します。スペインに私が呼ばれた原因でもありました。長い長い私の物語です。またいずれスペインに霊的なことを手伝いに旅に出ねばなりません。)

 皆、何事についても、「自分の理想は出来る限り高く持ちつづけること!」という私の信念(強引ぐ・マイ・ウェイ)は、実は、信仰とか神様についての考え方にもあてはまることなのです。信仰するにしても、最上級である姿形の無い宇宙霊(白い光)を信じなければだめですよ! 

 そこにまだたどり着いていない、途中の段階のキリストや釈迦や七福神を拝んでどうするのですか? もっと上の存在を拝もうと思ったら拝めるのに、なんで途中の、その下の存在で満足しちゃうわけですか? そんな程度で満足しなくたっていいのですよ、もっといいものが目の前にあるというのに! 下を拝んでいたら、その上(最上級の白い光)にはいつまでたってもコネクトできません。これって、とても大事なことなのです。そういうわけで、偶像崇拝(キリスト、釈迦など)については、私は反対派です。

 偶像崇拝は、やらないほうがいいですよ。なぜか分からないけれど、「宗教は嫌いだ」と思っているあなた、それは正しいです。このワタクシがそう断言します!(笑)私が上記で少し説明したようなことを、直観で分かっておられるのでしょうね。

 偶像崇拝とは、自分のポテンシャルを縮めていることと同じなのです。下の存在を拝むということは、本来ならば最上級を信仰できる可能性を放棄していることと同じなのですから、その分、自分のポテンシャルが縮んでしまっているのです。

 その反対に、無宗教で、最上級の宇宙霊(白い光)を信仰することは、最上級なのですから、本来の自分の最大限のポテンシャルが発揮できる状態になるわけです。仕組みは簡単です。すがってもダメ。上の存在と対等に、タメ口で! 上の存在にすがってこちらが縮んでいることは、それも自分のポテンシャルが最大限に発揮できていない状態なのです。縮まずに、伸び伸びと、自然体に! 

 すがっていないほうが、神様と自分が対等でタメ口の仲なのだから、向こう(神様)と波長が合ってくるし、向こうだって出て来易くなるのです。霊体は波動なので、自分の霊体(肉体をまとっている本体)の波長を、神様と対等なポテンシャルへと上げなければ、コネクトできない(会話できない)のです。

 霊体の波長の整え方は、自分の考え方(想念)を整えることです。想念は、波動となって、頭から外にはみ出ているので、その波長にあったものが、自分に引き寄せられます。

 強いて言えば、宇宙教か、己(オノレ)教という呼び方をつければ、分かりやすいでしょうか? 
そのココロは、宇宙霊(最上級の白い光)と自分のことは信じるということです。なぜなら、自分のことを信じていなければ、自分の直観で感じることに100%乗っかることは出来なくなるからです。

 直観というものは誰でも持っているし、何度も頭で考えるよりも早くて正確なのですが、自分で自分を信じられなくなっていると、その自分が発する直観も疑ってしまうので、直観に従って行動できなくなってしまうのです。直観では本当は真実を分かっていても、その自分の直観をよく聞いていない状態の人が多いと思います。

 そして、実は直観というものは、上の様々な御霊からのメッセージであることも多いのです。宇宙のお導きです。だからこそ、直観は大切にした方がいいと思っています。

 私自身、自分を実験台にして、直観に従ってずっと生きてきましたが、そのほうが良かったと思っています。だからこそ、自信を持って言えることなのです。

(直観でスペインに行ってしまったし、直観でアフロにしてDJにスカウトされたし、直観で手相鑑定をしてアルゼンチンの大臣がお客で来たし、直観でニューヨークに来たのだから。私のは、理屈で考えた人生ではないのです。)

 
 七福神達は、なぜ私の前に出現したのでしょうか? 彼らが出てきて以来、私は友人Tと共に1年間、彼らに問い続けました。

「お七は、なぜ私のところに出て来たのですか? 私は、おっさん達(七福神)のことなんて信じていなかったのに、どうしてですか? 何が言いたいのですか?」

「私達そのものが、これからの時代のメッセージなんだよ。 調べてごらん。」

「お七は、昔、日本人が、中国とインドと日本の神様の中から縁起のいいものを寄せ集めて祀ったのですよね? 違う国、文化、人種の人々が、皆仲良くするというメッセージですね? 人種を超えて、国境を越えて、皆仲良く。 多様性を受け容れて仲良くすることが大事なのですね?これからは特に。」

「そのとおり。多様性をそれぞれありのままに受け容れて、皆仲良くしてほしいんだよ。私達も霊界から人間達を応援しているんだから。」

「あ!分かった。多様性といえば、ニューヨーク。お七達も、私がニューヨークに来るように、霊界からしつこく呼び続けていたんでしょう?」

「そうですよ。私達もあなたがニューヨークに来るように呼んでいました。」

「あんたたち、しつこいったらありゃしない! テロの次の日から、毎日毎日、しつこく呼びつづけて! 私が来るまで呼んでいたんだから、しつこいよね、あんたたち!」

「そりゃ、しつこいですよ。 リピート、リピート。 あなたが動いてくれるまで、しつこくメッセージを送りますよ。」

「まあ、あんたたちが、私がここに住めるように、ビザの手配を手伝ってくれたのね?」

「そのくらいのことはしますよ。 私達が無理を言ってあなたを呼んだのだから、 ケアはいたします。お互い様です。必要なことがあれば私達にも遠慮なく言ってください。」

「どうもありがとう。ニューヨークに呼ばれた時、"なんで私を呼ぶんですか? 今、スペインに住んでいるのに!"と宇宙霊に向かって聞いたら、"911のテロの時に空間が歪んで、マンハッタンの真上のはるかかなた上空に、霊界との通り道の大きな穴が開いたのです。ですから、ニューヨークはスピリチュアルな場所になっています。今後はあなたのような霊的な人々が世界中から呼ばれて集まってくるでしょう。ニューヨークの波動は大きく変化して、テロ後は霊的な中心地になりました。ですから、波長が合わなくなった人達はニューヨークから出て行かなくてはならないので、人の大きな出入りが起こるでしょう"なんて答えたけど? 本当?」

「そうです。現在、ニューヨークには霊的な人々が集まり始めています。あなたはこれからまだまだたくさんの人達に出会っていかなくてはなりません。」

「では、今まで出会ってきた人々にも、ご縁とか意味があるのですね?」

「そうです。でも、まだ行動半径が足りません。ヒントは多様性です。」

「日本人とかアジア系だけでつるんでいるだけではダメなんですね?」

「ダメです。あとは自分で考えなさい。私達は全ての全貌はあなたに言ってはいけないのです。ヒントしか送りません。あなたが自分で考えなくてはならないのです。」

と、このような会話がありました。その後、vol.9で書きました霊能者の先輩に出会って、アドバイスを頂くことができました。その霊能者は、

「七福神は多様性を表します。人間の中にも7つの人種が入っているのですよ。7つのチャクラで、それぞれ色が違います。ちょっと、失礼ですが、あなたは何か3つくらいの玉を祀って、腕につけていますか? さっきから観えているのですが。」とその霊能者は隣にいた友人Tに突然尋ねました。彼は腕をまくって、私の作ったパワーストーンのブレスレットを見せて、
「これは、私が作って細々と売っている五色玉なんです」と私が答えると、

「これがTを守っているのが観えます。五色玉は、五元の人種を表します。人種は、最初、地球上に五人種いたと言われています。五色玉は、多様性を表しています。七福神と同じメッセージです。あなた達が一緒にニューヨークに今いるということには重大な意味があって、そのメッセージを表しています。ニューヨーク、多様性。人種を超えて多様性を受け容れていかなくてはならないということですね。あなた達は、ニューヨークでやらなくてはならないお役目がありますね。」と霊能者が答えたのです。Tは長袖のジャケットを着ていて、霊能者からは腕は見えなかったのに、そのパワーが波動となって守っていたのが透けて見えたのですね。驚きました。

そして、
「あなたはパワーオブジェクトを作り出すことが出来るので、五色玉やジュエリーを作ることは、とてもいいことです。」とその霊能者に私はアドバイスを受けました。

 五色玉は、去年11月にインスピレーションでひらめいて完成したデザインでした。
 日本の友人が体調を崩し、手術前に私に注文してくださったお守りだったので、本当にお守りになるようなものを作って送ってあげたいという一心から、上の宇宙霊に頼んで助けてもらって作りました。
 海塩水につけて浄化した五色のパワーストーンを使って、手で編み上げて、七福神などをお祀りしている棚に何日もお供えして拝んだものです。

 実は、七福神が助けてくれていたのですね! 七福神と五色玉が、「全く同じメッセージ」を表しているということは、偶然ではありません。

「五色、五元素、五人種、多様性を認めて受け容れること」が、これからの世界のキーワードになるでしょう。

(五色玉の画像は私のホームページでご覧になれます。2005年から、デザインは、オリジナル・シルバー925・タグ・ビーズ付きに変わりました。)

43.週刊メルマガ 「強引ぐ マイ ウェイ」   vol. 9 01/05/05 (火) 発行

 大晦日、元旦は、私にとってとても重要な人生の節目になりました。

 素晴らしい本物の霊能者の先輩に出会い、やっと私の身に起こった霊的なことについて参考の意見を聞くことが出来ました。個人の鑑定は行っていない方です。(注:この霊能者についてのお問い合わせはご遠慮ください。)その方も私と症状がそっくりで、無宗教にもかかわらず、幼少時から色々な神様が降りてきて、指導されるそうです。ずっと長い間、
「霊能者の先輩に出会いたい、私の症状を客観的に相談したい」
と宇宙に願いつづけていたので、それがかなったのでしょう。

 私が子供の頃から続く数々の霊現象や出現、宇宙霊のお導きについて話したところ、じっと霊視して下さり、全て本当に神様たちが出てきていたことが分かりました。霊能者によってコネクトしているところが違うので、中にはキツネなど動物霊(これがまた上手く神様そっくりに化けるらしい)とコネクトしている人もいるそうです。私の場合は、キツネなど動物霊ではなく、本当に神様とコネクトしていることが分かったので、安心しました。全ての出来事は、私の幻覚や空耳ではなかったのです。

 今まで、自分自身でも信じがたくて、半信半疑のまま、ここまで生きてきましたが、やっと自分の霊感を認めて受け容れて、確信にまで至ることが出来ました。目に見えない世界のことですから、証明は出来ないので、自分の錯覚かもしれないと何度疑ったことでしょう。誰にも相談できなくて、誰の意見も参考にならなかったので、全て自分で考えてこなくてはなりませんでした。今回初めて、私以上の霊能者の大先輩に出会ったので、参考になるアドバイスを聞くことが出来ました。これは、私にとって、人生の大転換のきっかけでした。これからは、もっと今まで以上に迷いのない文章を書くことができるようになりました。

「あなたは生れ付き、霊能者なのです。観えているのだから、もっと人に対して、間違っていることは"間違っている"とはっきり言ってあげるようにしなさい。神様のお言葉は、未熟な人にとってはとてもきついですから、人にはやさしく。あなたは年を取るほど経験によっていい霊能者になっていくでしょう。物を書いたり、絵や音楽やジュエリーをやっているのも、全て宇宙霊とコネクトしてチャネリングしているからです。ジュエリーはパワーオブジェクトを作り出しているので、非常にいいことですね。」と言われました。

 やっぱり、神様のお言葉は"きつい"のですね。以前、霊的なコラムを連載したことがありましたが、神様というか、宇宙霊のお言葉を、そのままではなく、オブラートにくるんで薄めて書いていました。それでも、それを読んだ方々にはかなり反響がありました。

 宇宙霊は真実(真実とは厳しくきついです)のお言葉を、私にはダイレクトに有無を言わさず"バンッ"と全部送ってくるので、タフに出来ている私は受け止めることが出来ますが、その内容をそのまま話せる人は、ごくごく限られています。私は人を選んで話をしているし、観えても飲み込んで言わないことのほうが多いです。あんまりズケズケと全ての人に物を言っていたら、皆、一目散に逃げていってしまうでしょう。(笑)それでも身近に残ってきた友達はとても貴重なありがたい人たちです。かなりタフな精神の持ち主に違いありません。

 いい内容を出来るだけそのまま、オブラートにくるまずに、かつ、やさしく言う言い方を少しずつ経験して学んで、もっと今まで以上に周りの人々に対して、飲み込まずに一歩踏み出して物を言っていかなくてはならないと覚悟しています。

 V0l.7に書きました、七福神のこと、彼らが送りつづけてくる音楽のこともお伺いしたら、それも、現実で、幻ではないことが分かりました。彼らは本当に私に音楽を送ってきているのでした。
「11月半ばから1ヶ月以上も放っておくなんて!早く音を外に出してあげなさい。あなたは前世で音楽家だったときがあるので、それと関係しています。」などと言われました。

 今、ニューヨークにいることだし、ぼちぼち音楽活動にも再び入っていくことと思います。2005年は、全て足したら7なので、七福神は外に出たがっているようですよ。今年は、日本でも七福神が流行りだすのではないでしょうか?


「コミュニケーションについて」

 ちょうどさきほどの前書きに、「オブラートにくるんで」言う(書く)ことについて触れました。それに関係していることで、バックナンバーで、日本人特有の「お陰様」意識について書きましたが、今日はそれについてさらに書こうと思います。

 日本では欧米に比べて、「お陰様」を祀って、周りの人の目を気にしすぎていて、小さく縮んでいる人が多いですね。意識が上(宇宙、神様)ではなく、周りの人々に行っていて、自分と宇宙との対話が忘れられがちになっています。周りを気にしすぎると、上(宇宙)にまで気が回らなくなってしまって、肝心のお導きの声がどんどん聞こえなくなっていってしまいます。

 自分の霊体(人間の本体である魂)に、フタをしてしまっている状態で、上からメッセージを受信できないようになってしまうのです。フタがあると、自分の意識は上(宇宙)まで届かないし、フタのせいで意識の出入りがスムーズに出来ないので、意識は自分の中での堂々巡りが続き、実は、周りの人たちとも意識が通じにくくなってしまっています。周りを気にしすぎるということは、逆に、その周りの人々とも意識が通じにくくなり、実際はあまりコミュニケーションがとれていない状態が続きます。このフタはどうやって取り除けばよいのでしょうか?

 七福神の話に書きましたが、霊界ではテレパシーで会話が行われるので、何かを思ったらその想念は瞬時に相手にダイレクトに伝わります。ダイレクトに感情も情報も含めたやり取りが、包み隠さず行われているのです。ダイレクトということは、人間界のように、言葉をオブラートにくるんで言ったり、角が立たないように自分が思っていることと反対のことを言ったりすることはないのです(というより出来ないし、その必要もないのです)。

(ただし霊界は、霊体の波動のみしか存在しないので、霊格の違う人とは出会うことも出来ないし、コミュニケーションを取ることはありません。この人間界は霊体が重力のある肉体をまとっているため、色々なレベルの進化の過程にある人達が同時に存在できるので、霊格の違う人同士が出会い、話をしたり、コンタクトを取ることが出来ます。)

 特に親密な人間関係である、恋愛や結婚にまつわる問題の原因は、コミュニケーション不足です。

 そもそも霊的につりあっている者同士(今までにやってきたことやカルマが同じくらいな者同士)が引き合って結びつくので、夫婦間の問題を「あいつが悪いんだ」と相手のせいにしたり、
「あんなにレベルの低い人だったなんて知らなかった、観る目がなかった」
などと言っている人は、もともと最初から自分がその相手と同じくらいの霊的レベルであることに全く気付いていないのです。

 ですから、相手の欠点が目に余ってきても途中で投げ出さずに、それによって自分も学び、向上してカルマを解消していかなければ、いつまで経っても自分も同じ霊的レベルに留まってしまいます。霊的に観れば、離婚は放棄と同じです。最初にその相手を選んだのは誰ですか?自分ですよね。全て自分の責任です。放棄はまた新たに別のカルマを作っていることになります。その人はまた、相手が変わっても、結局は自分と霊的に同じレベルでつりあっている人と結びつくという霊的法則によって、その相手も自分と同じような本質的な問題を抱えた人なので、また途中で嫌気がさしてきて、放棄して別れて、それを何度もくり返すことが多いです。

 自分のことを棚に上げて、自分よりもはるかに霊的レベルが高い人と結びつくことはできないのです。嫌になっても、途中で放棄せずに、何度も何度も包み隠さず話し合いをして、コミュニケーションを深めていく努力をし続けることが一番大切です。

 自分につりあった相手を早く確実に見つけるには、出会った最初からコミュニケーションを自分に忠実に取ることが大事です。そのためには、まず自分の意識を周りの目を気にすることではなく、上(宇宙)に合わせて行動していけばいいのです。
「これを言ったら角が立って、嫌われるんじゃないか」
などと考えると、どうしても言葉をオブラートにくるんだり、女性の場合なら実際の自分よりも可愛らしく演技してしまうことになります。これは、相手に対してもコミュニケーションを円滑に図れなくさせてしまいます。

 相手が、オブラートにくるんだ言葉や演技しているあなたを本当のあなただと勘違いして受け容れた場合、実際のあなたの姿や考え方は、いつ打ち明けるのですか?ずっと本音を押し殺して過ごすのでしょうか?それではコミュニケーションになっていません。
「角が立たないように,こう言ったほうがいいかな」
と考えていると、自分に合わない人であっても恋愛に発展してしまったりしがちです。自分に合わない相手には、早い段階で自分から去っていただいたほうが、後々問題が大きくならずに済みます。

 本音を相手に伝えるほうが、より心がつながるし、関係も深まります。お陰様意識で周りを気にしすぎないで、できるだけ率直にものを言うように務めていると、必然的に自分に合った人が自分の周りに残ってくるので、長続きする恋愛や結婚のご縁も早く見つかりますし、親友も得ることが出来ます。

 そうすれば自然に自分の霊体のフタが取れて、上(宇宙)とスムーズにコンタクトできるようになります。

 日本では、率直に物を言うことは「損をする」と考えられがちですが、果たしてそれは本当に損することでしょうか?

 一時的には角が立つかもしれませんが、その分早く、自分に合ったもの(恋人、結婚相手、親友、大事な顧客など)だけが自分の元に残ってくれるので、かえって得をしていることもあるのです。

 みんなに広く浅く好かれたいのか、10人中2人だけが深い結びつきで残ってくれるのがいいのか目的によって考え方の姿勢が変わりますね。利益を追求する商売ならみんなに好かれるように角が立たない方法でいいですが、人間関係は商売付き合いではないのですから、本音を伝えて、10人中8人に嫌われても2人の親友を得るほうがいいと思います。

42.週刊メルマガ 「強引ぐ マイ ウェイ」 (七福神に遭遇の話)  vol. 7 12/21/04 (火) 発

「マイ・お七」

 ちょうどいいところに、vol.7 になったということで、とうとう「お七」について書くことにいたします。「お七」って、「七福神」のことなんです。友人との間では、七福神のことを「お七」(オシチ)と呼んでいます。今では、私の友人間では「お七」ってメジャーで、
「お七がさァ、・・・」とか、
「お七に頼んでみたら?」とか、
「お七がついているから大丈夫だよ!」とか言って、会話に時々出てくる状態です。

 なんでこういうことになったのか? それは今年、2004年1月25日に遡ります。以下は、全て本当に私の身に起こった話です。私はもともと、霊感が強くて、色々な霊体験をしてきました。メッセージを受信するタイプなので、チャネラーに当たります。宇宙霊に呼ばれてスペインに行き、また呼ばれてニューヨークに行きました。まだまだ物語は少しずつ進んでいる様子です。現在進行形で、宇宙霊からのお導きは続いています。
「お七」事件を活字にするのは初めてで、本邦初公開です。

 今年1月、引越し前に事情があって友人宅に泊まっていた時のことです。1月25日の明け方5時頃、私は急に金縛りにあい、目が覚めました。まどろみの中でうなされながら目を開けると、色とりどりの薄い布の美しい羽衣(ピンク、黄色、紫など)を着てびわを持った女性一人が、私の右手をつかんでいて、ピンク一色の羽衣を着た天女達3人が私の左手をつかんでいるではありませんか! 天女達は、色とりどりの羽衣を着た女性の子分の様子。4人で歌を歌って、ハモっていました。唄はゆっくりのリズムで「ハーーー」という感じの音だけで、歌詞はなく、ちゃんと4つのパートに分かれて別々の音階を歌っていました。

 そうして私の両手を引っ張って、私の霊体(肉体をかぶっている人間の本体だと思います)を肉体から離そうとしていました。私は怖かったのですが、どうすることもできず、ただ呆然としているばかりでした。とうとう少しずつ、私の霊体は、手から順番に引っ張り出されて、手首、首、頭、上半身、下半身と、全て肉体からはがされて抜かれてしまいました。そして私の意思に反して、彼ら4人に上のほうに引っ張って連れて行かれたのです。俗に言う幽体離脱の状態ですね。

 部屋の天井の辺りまで連れて行かれて、彼ら4人に、ずっと両手をつかまれたまま漂っていました。私の肉体は下のベッドの上にあり、霊体だけが天井を漂っている状態です。

 天井には何があったと思いますか? おデブ達(男性達)が6人、あぐらをかいて輪になって、宴会をしていたのです。床の真中には尾頭付きの鯛や、徳利に入ったお酒などが置かれ、おデブ達はみんな酔っ払っていました。背景は卵色のような、黄色っぽい感じで、彼等の着物の色も色とりどりで綺麗でした。私は恐怖にかられながら、

「このおデブ達は七福神じゃないかなあ、私は間違えて七福神の次元に入り込んでしまったみたいね? こわいよう・・・ 帰りたいようぅぅぅぅ・・・」と思った瞬間、彼らは一斉にこちらを向いて、

「ワハハハハハハ・・・!」と、全員が大笑いをして私をからかったのです! 霊界ではテレパシーで瞬間的につつぬけで会話が行われるので、私が怖いと思った瞬間に、もう向こうにバレているからです。テレパシーの塊のキャッチボールのような会話方法なのです。彼等の大笑いの笑い声も、その波動が私にダイレクトにテレパシーで伝わってきて、彼らが何を考えているのか、私にもその瞬間に通じてきました。彼等のテレパシーの塊が、バンッと私の中に入ってくる感じです。その内容は、

「ははは、こいつ、こわがってやがんの! こわいんだってさ、俺達のことが! なーにを怖がっているんだよ、怖がらなくたっていいのに! ハハハハハ!」という感じでした。それでも私はますます、

「いやーん、怖いよう、なんで間違って七福神の次元に入り込んでしまったんだろう? 私は七福神なんて架空の神様だと思っていたから、これっぽっちも信じていなかったのにいいいいいい!!! 七福神なんて信じていないし、祀ってもいないのに、なんで出て来るんだようぅぅぅ! 困ったなあ」なんて考えたら、また、

「ワハハハハハハハ!」と一斉に大笑いされて、私の考え事をかき消されてしまいました。そして、な・な・なんと、彼らは、全員で唄を歌い始めたのです! これには、本当にびっくりしました。すごくゆっくりの4拍子の曲で、歌詞は日本語ではなく、古代日本語か、沖縄語のような感じで、意味は分かりませんでした。みんな、1拍目と3拍目のところで手拍子を入れていました。コインがパンパンに詰まった金色の打ち出の小槌を持ったおデブのおじさんが、リズムに合わせてそれを上下にゆすって、パーカッションの代わりにして、シャッカシャッカと鳴らしていました。私を引っ張っていった美しい羽衣の女性も彼らに加わって、びわを演奏していました。3人の天女達も、音楽に合わせてコーラスでハモっています。

「なんじゃー、これは一体? 彼らは私に何を言いたいの? 何がしたいの?」と私は思っていましたが、彼等のテレパシーは、

「ワハハハハハ・・・」という愉快で明るい、幸せいっぱいの波動でしかありませんでした。ほんとに、「福の神の塊」という感じの、ハッピーな波動のみでした。

 彼らは私をなかなか帰してくれなくて、長いこと引き止めていて、とうとう1曲まるごと私に聞かせてから、やっと私の霊体を肉体に帰してくれました。全部で5分以上は漂っていたと思います。肉体に戻った時は、シューッと一瞬で戻り、目を見開いて天井を見つめても、彼らは跡形もなく消えていました。

 とうとう最後まで、彼らは七福神だとは名乗らなかったのですが、その姿形から、私は七福神に違いないと思いました。ほぼ確信しています。びわを持った女性は、弁天さんに違いありません。私の霊体を肉体から引っ張り出したくらいですから、きっと私に縁が深い神様の一人なのかなと思って調べると、弁天さんは、音楽と文筆を司る神様だそうです。そういえば、私が音楽好きで文章も書いている原因は、弁天さんのせいだったのかもしれないと思いました。

 朝、友人Tが起きてから、事情を説明して、
「あなたの家は、きっと七福神を祀っているでしょう?」と聞くと、

「祀ってないよ! そんなもの!」

「いや、きっと祀っているはずだって!だっておかしいもん、私は七福神なんて信じていなかったし、家でも祀っていないもの。」

「祀っているわけないよ!知らないよ、そんなもの!」

「いいや、きっと祀っているって!実家に電話して、お母さんに聞いてみてよ!お願いだから! 多分、あなたの実家から、七福神がごあいさつに来たんだって!」

と私はTに言い張りました。そしてとうとうTが実家の母親に電話で聞いたところ、やっぱり、Tの母親は、数年前から毎年、七福神巡りに行っていて、お祀りしていることが分かりました。だから、2人とも顔を見合わせて、びっくりしていまいました。
 
「ほら、やっぱり! お母さんが七福神を信仰しているじゃないの! きっと彼らは、私を驚かせようとしたのではなくて、ご挨拶か、"守っていますよ"ということを私達に知らせたかったんだよ。私とあなたを通じて、七福神達が世の中に対して何かやりたいことがあるのだと思うよ。とにかく、出てきてしまったものは無視するわけにはいかないし、なんていっても彼らは神様なんだから、何の神様なのかちゃんと調べて、お祀りしたほうがいいよ、無視できないよ」と私は言いました。
 
 それ以来、2人ともそれぞれ、我流ですが、七福神をお祀りしています。七福神の絵をインターネットで探してプリントアウトして飾り、お供えものをして、拝んでいます。

 リサーチしたところ、七福神は、室町時代に日本人が作ったそうです。中国、インド、日本の神道の神様の中から縁起が良さそうなものを選んで、7人寄せ集めて一緒に祀ったのだそうです。日本人が集めて作ったのに、すでに霊界でも彼らは7人集まって、仲良くしていたのですね。私自身も、全然、七福神のことは信じていなくて架空のものだとばかり思っていたので、本人が全く信じていないのに向こうから出てくるなんて、とても驚きました。

 そしてそれから約10ヵ月後、最近の11月下旬頃から、とうとう彼らはようやく私に向けて具体的な活動を開始しました。最初はびっくりしたけれど、もうそれが1ヶ月以上毎日続いているので、最初は気のせいだと思うようにして片付けていた私も、無視できない状況になってきました。私はそれを、どう解釈していいのか分からなくて、まだ困っている状態です。まあ、話を聞いてくださいな。

 実は、七福神達は、私に音楽を送ってきているのです。"セブン・ゴッズ"のテーマ。それが、おかしなことに、「ハウス」なんです。このエッセイのバックナンバーにも書きましたが、DJをやっていた頃、仕事でハウスもかけなければならない時もあったにせよ、私としては、ハウス音楽は好みではないのに。変ですね。私自身が作曲しようとしているわけではないので、この音楽は、宇宙霊が私に毎日送りつづけているものなのです。どうしてそう分かるのかというと、この音は、私の外部である上(頭上)からやってきているからです。私が作っているのではないです。それに、いつものように、私が知っている曲が頭の中で鳴っているわけでもないのです。

 これは私の知らない曲で、聞いたことがないほど強烈に個性的なものです。聞いた瞬間、私は、

「ああ、これは七福神の仕業だ!お七って感じの音だわ!(笑)もう、まったく!プププ・・・」と笑いが押さえられませんでした。

 音が、まるで「おデブ」なんです!おデブって感じの、お茶目な波動の音。始まりのコードはAm(エー・マイナー)から。ホーンセッションを多用していて、ブホブホ鳴っていて、歌詞は無くて、時々「ッブォーーーーー」(だんだんクレッシェンドしてフォルテッシモになる)とトロンボーンが鳴って、突然ブツッと音が止まって、「ワハハハハハ・・・」といつもの笑い声が入って、また再びハウス音楽が始まるのです。それにしても、なんで、七福神が「ハウス」なんでしょうか? この話をすると、みんな大笑いしてふきだします。

 私は、この七福神・ハウス・バージョン"セブン・ゴッズ"をどう解釈したらいいのか困って途方にくれていましたが、あまりにも毎日続くし、2週間以上経ってきたので、友人Tに相談したら、

「とにかく、その音を外に出してあげて、曲を完成させたほうがいいよ!」と言いました。他の友人にもぼちぼち相談し始めたら、

「その音楽を外に出して表現して形にしたほうがいいよ!とにかく、アクションを起こしてあげないといけないよ! 何もしないのはよくないよ!」などとアドバイスしてくれました。

 私もそう思います。家にあるのはキーボードだけなのですが、とりあえずはそれで音をさわり始めています。Midi(コンピューターで音楽を作るシステム)があれば曲を完成させることができますが、仲のいい気のおけないミュージシャンの友人たちはマンハッタンから2時間半くらい離れた所に住んでいるので、マンハッタン付近で誰か協力してくれる人がいないか、探してみます。

 私の手相鑑定に来てくださったお客様の中にヒップホップを作曲して活動している方がいたことを思い出して、彼女にも作り方を聞いてみたりしています。自分でやるには、最初にある程度機材をそろえなければならないことが分かったので、今のところはできる範囲で、キーボードのみでやっています。いつ完成させることができるか分かりませんが、一度、音を外に出してあげて、完成するつもりです。

 もし読者の皆様の中で興味があって、協力できそうな方がいらっしゃれば、よろしかったらぜひご連絡ください。

    Copyright (C) 2004 Bruixa Nishimura All rights reserved.
     発行者・ブルーシャ西村

41.週刊メルマガ 「強引ぐ マイ ウェイ」   創刊号     11/09/04 (火) 発行

アーティスト・ブルーシャ西村のエッセイ
「強引ぐ マイ ウェイ」 創刊号         11/09/04 (火) 発行 

 こんにちは。ブルーシャ西村のメールマガジンをご購読くださいまして、ありがとうございます。徒然なるままに、直観・霊感&決め付けの、私の独我論を綴ります。個展をやったり、本を出版しているとはいえ、まだ無名なアーティストである私を応援してくださったり、興味を持っていただけて、大変ありがたく思います。感謝いたします。これからまだまだ人生長いので、続けます!これから、私がどのようにハッテンしていくか、皆様も同時進行形でお見守りください。よろしくお願いいたします。

 さて、最初なので、ちょっとした自己紹介を。私は、96年11月から6年間スペインに留学し、911テロの直後からニューヨークに数回滞在した後、徐々に拠点をニューヨークに移してアーティスト活動を続けております。3カ国間を行ったり来たりして活動しています。今は、こもって2年がかりの本を執筆中のことが多いです。

 スペインでは、画家ホアキン・トレンツ・リャド財団と地中海自由学校にて本格的なクラシックの油絵(レオナルド・ダ・ヴィンチが行ったのと全く同じ修業方法、現在教えている学校は世界で2箇所しか残っていないという、価値が計り知れないもの)の修業を終了し、画家ジョアン・ミロ財団にて銅版画(ヨーロッパの本格的な数百年の歴史のある技術、)とシルクスクリーン(自作Tシャツを制作)を専攻いたしました。

 ・・・というと、「すごい経歴ですねえ」とよく言われるけれど、とーんでもない、自分では日本にいた頃、学校について何の情報もなかったので、直観と本能だけでごりごりと戦車のように強引にスペインに来て、
「これだっ!」
「これは逃せないっっ!(注:力が入りすぎて息が詰まって、"っっ"という音が入る)」
「逃したら一生後悔する」と自分が感じる学校に入り、学んでいくうちに、あとで振り返ってみると、

「世界水準のレベルの、最高にいいのを選んできたんだ!」ということに気がついただけだったのです。

 だから、思わず自分の幸運ぶりにガッツポーズをキメて感謝したのは、学校に行き始めてから。どんな学校に入ったのか、詳しいことはあとで知ったという、テキト―ぶり。生まれてこのかた、自分の霊感と直観だけには、誰がなんと言おうとも強烈な自信があるから、当時、
「なんでわざわざスペインに留学するの?どうしてアメリカじゃないの?」って人に聞かれても、
「だって、このワタクシがいいと思うんだから、絶対に正しいし、世界一良い選択に決まっているんだよ。断言するよ!」と答えていた始末。

だって、それしか理由がないんだもの!

 そうなんです、いつも私の答えはまともな答えになっていないというのは、友人の間では有名な話なのです。あまりに私が強引に、
「こっちのほうが正しい真実なんだ」と言い張ることは多いので、ムッとして閉口している人も多いと思います。

 そして何年か時間が経って、結局私の選んだもののほうが真実だったということが判明してくると、それが何度も繰り返されるうちに徐々に周りの人々は私を見直し、彼等の理解を獲得してきた様子です。現在もまだ進行形なのですがね。霊感で受け取る宇宙の真実って、普遍的なものなのですが、それについて受け容れるキャパが整っていない人に話をしても、
「聞きたくない!」と耳を閉ざしてしまいます。トゥー・マッチな情報を受け取ると、アップアップしておぼれてしまいますものね。人それぞれ、理解の時期っていうものが違うのだと感じています。

 霊感で知っていることって、本当の真実なのだから、先に答えが分かっているけれど、解き方が説明できない難問のようなものなので、なぜそう思う(というより知っている)のか、上手く説明が出来ないのです。例えば、
「どうやって右足、左足と交互に前に出して歩けるのか?」ということを一々人に説明させられるのと同じことなのです。どうしてか無意識では分かりきっていることを、人に説明するのは難しいことですよね?

 スペインでは、ダブル、トリプル・スクールをして、定期的に3カ月おきくらいに40度の知恵熱を出してぶっ倒れるくらいに脳みそを酷使していたので、たっぷりエピソードがあります。結構、根性型の人間です。もとバレリーナだからね。今でもクラブで3時間くらい踊っても何ともない。タフでしぶといです。徐々にお話していきますね。

 間抜けぶりエピソードその1。ミロ財団で銅版画を学んだのは、97年、超ラッキーなことに選抜試験に通ったからなのですが、そのときの生徒はたった10人位で、スペイン中から才能あふれる優秀な人達が集まっていました。もちろん日本人は私一人。

 当時、私のスペイン語のレベルは、お恥ずかしいことに幼児並だったので、先生も私に教えるのに手こずっていました! ロン毛の白髪の、渋いおじい様だった。何か私が黙々と作品を作っていると、「おおお、君は何をやっても、僕から見れば日本的な影響が出ている」と、珍しがっていました。

 そして数年後、私が住んでいたマヨルカ島にある、ミロ美術館の展覧会のポスターが街じゅうに張り出されていました。それは著名なマスター、歴史的銅版画家であるジョアン・バルバラの特集展だと書いてあるではありませんか!顔写真は、私が見たことある顔!!!

「あれェ?このおっさん知ってる!銅版画の先生、こんなに偉い人だったのおおおお??」

と、私はひっくり返りそうになってしまいました。渋いおじい様だとしか知らなかったあのミロ財団での銅版画の師匠は、なんと世界的な銅版画のマスターだったのでした。間抜けな私は、それまで何年間も全く気付いていなかったのです。教えていただいている時も、全然、その先生の経歴など存じ上げずに、勘でその年の「銅版画専攻」を選んでいたのです。なぜなら、
「このワタクシが良いと思って選ぶのだから、世界で一番正しい」
と信じていたからです。(笑)本当に正しかったから良かったけどね。
 
 それで、後になってその「計り知れない価値」に腰を抜かした私は、ぷるぷる震えながら、日本の友人に電話して、
「ちょっとおおお、世界的マスターに銅版画習っていたのに、知らなかったあああ」
と言って、笑われてしまいました。最初から事実を知って習っていれば、緊張して上手く授業が受けられていなかったかもしれませんね。もちろん、小市民な私は、後になって、

「ミロ財団の終了証どこやったっけな?」
と、がさごそ探した始末です。

 銅版画は、大型プレス機など設備があるところを見つければ、またやりたいです。エッチングならまだしも、本格的なものは、腐食させるアシッドや火や炭の粉も使うし、自宅では出来るものではないですねえ。砂糖を濃くどろどろに溶かした液体や、ニスも使うんだよ。

 エッチングを綺麗に仕上げるには、プントラピスという技法を習得しなければなりません。こちらのメトロポリタン美術館でゴヤの銅版画を見たときに、彼もプントラピスでエッチングをたくさん残していたので、「あ、私のやり方と一緒だ!」と、再確認して嬉しくなりました。
 
  Copyright (C) 2004 Bruixa Nishimura All rights reserved.
  発行者・ブルーシャ西村

40.チャコット・webマガジン”Dance Cube”連載コラム 「ニューヨーク・ダンス直行便」
   vol.7  2003年11月号                        by ブルーシャ西村

 異常気象で10月に入っても暖かかったニューヨークも、10月下旬からようやく肌寒くなってきました。秋・冬の公演シーズンの到来です。ニューヨークのブロードウェイ・ミュージカルでは、ボーイ・ジョージ主演の「タブー」が開演されていて、話題になっています。久々のボーイ・ジョージの復活を喜び、周りの人々は皆、「観たい!」と口をそろえて言っています。私も近々、取材に行くつもりです。ニューヨーク・シティー・オペラでは、初の日本人指揮者の山田敦が10月11日公演の「マダム・バタフライ」を指揮し、スズキ役に日本人メゾソプラノ重松みかがキャストとして出演して話題になりました。嬉しいことですね。さて私の方も、とうとうニューヨークで11月14日に講演会をする運びとなりました。講演テーマは「芸術表現の源泉」です。


「八王子車人形」

 ダンスではありませんが、ちょっと変わった人形劇の取材に行きました。10月3から5日まで、ジャパンソサエティーにて行なわれた、八王子車人形のニューヨーク・デビュー公演です。日本では、なんと人形劇は1000年以上の歴史があるそうで、驚きました。

 5代目西川古柳が率いる八王子車人形の西川古柳一座と、重要無形文化財保持者の太夫、鶴賀若狭じょうが出演しました。一座は90年代半ばから積極的に世界各国で公演を行なっています。車人形は江戸末期に始まり、一人の人形遣いが3個の車を持つ「ろくろ車」といわれる小さな箱を腰につけ、その上に座って一人で一体の人形を操ります。そのため、非常に細かくリズミカルな動きが可能と言われ、古典的な浄瑠璃系の作品のほかにスパニッシュダンスなどの洋舞もレパートリーに加わっています。一体の人形を3人で操る「文楽」とは異なります。日本の古典人形劇によるフラメンコ舞踊とは一体どんなものか、この目で観てみたいものです。面白そうですね。

 今回は3作品が上演されましたが、当日日曜日の道路でのパレードのため渋滞に巻き込まれて、私が観ることが出来たのは2作品。人間に化けたキツネと人間の家族の別れを表現した「葛の葉」と、弥次さん喜多さんの珍道中物語「東海道中膝栗毛」。「葛の葉」は、我が子との別れを悲しむ母親が、瞬時に白キツネに変身するシーンでは、観客はとても驚いていました。「東海道中膝栗毛」はおなじみのドタバタ喜劇で、英語で冗談を飛ばしながら、4体の人形で会場を沸かせていました。


「モミックス」

 9月23日から10月12日まで、ジョイスシアターでモミックスが公演を行ないました。今回の公演は3種類で、「オーパス・カクタス」、「ベースボール」、「パッション」。モダンダンスにあたります。モミックスは、芸術監督で振付家のモーゼス・ペンデルトンが率いる22年の歴史のある世界的に知られるカンパニーです。

 彼は英文学部出身ですが、71年からピロボラスの創立メンバーとして活動し、自分自身のカンパニーとしてモミックスを80年代初頭に結成しました。大学卒業と同時にピロボラスの一員としてツアーに参加していきました。ピロボラスは組み体操のようなアクロバティックなダンスカンパニーです。モミックスでは、シュールレアリスティックなイメージの世界を、映像、光と影、ユーモア、肉体を用いて表現しています。彼等は舞台公演だけでなく、映画や世界各国のテレビ番組にも出演してきました。

  私が観たのは「ベースボール」。出演者は7人のダンジョンダンサー達。始めから終わりまで、舞台前方に、舞台を全て被う薄いスクリーンに映像を写していて、その向こうに踊るダンサー達が透けて見えていました。ダンサー達は、ぼんやり見えるのではなくて、くっきりと見えました。照明の加減ででしょう。ダンス公演なのに映画のような、とてもユニークな表現方法ですね。映像の奥にダンスが重なって、とても幻想的でした。

 最初は夕焼けに染まるアフリカの草原のような、真っ赤な背景で、原始人たちが喧嘩をして大きな石を投げて、それを棒で打ち返す姿に周りが拍手を送っているシーンから始まりました。原始時代のベースボールの始まりという設定でしょうか?男女のダンサー達の肉体は、鍛え上げられて引き締まっていました。

 音楽は全編、打楽器を中心としたリズミカルなものばかりでしたが、なるほど、ベースボールを音で例えるとビートとか太鼓でしょうね。キャッチボールのシーンでは、一人のダンサーが大きなボールの縫いぐるみを着てボールになっていたり、何人かのダンサーが大きなグローブの縫いぐるみの中に入っていて、観客を笑わせていました。両手に木製バットを持ち、それを回したり、軸にして体重を移動させて踊ったりするシーンでは、バットをこんな風に使えるのかと驚きました。

 後半では、大きなU字型の板を使って、それに2人のダンサーが張り付いて踊ったりしました。落ちそうな感じのアクロバットで、冷や冷やしながら観ました。全体的に、照明も右の真横からあてて明暗を強くしたり、幻想的な効果を出していました。最後は、5つのボールを観客に投げて幕を閉じました。


「アクラム・カーン・カンパニー」

  イギリスのモダンダンス・カンパニー、アクラム・カーン・カンパニーの公演が、10月14から19日まで、ジョイスシアターで行なわれました。上演作品は「カーシュ」のみで、ダンサーは5名、休憩無しの1時間の作品。
「触れることの出来ないものにも価値があるということを認識することは私達にとって大事である。ダンスのステップの合間、音楽の休符の間、何もない空間は全て、謎に満ちている」
ということを表した作品だそうです。ヒンズー教の破壊神であるシヴァ神にコネクトし、すばやくダンスのサイクルを変えていきます。

 アクラム・カーンはバングラデッシュ出身の両親を持ち、ロンドンで生まれ育ちました。まだ29歳ですが、10代から世界中の公演に周っていました。500年の歴史があるカサックのインド古代舞踊を、世界的に有名なグルであるスリ・プラタップ・パワーを師として、アカデミー・オブ・インディアン・ダンスにて学びました。他にモダンダンスも学びました。

 音楽はパーカッシヴなビート中心の強いもので、同じ曲が繰り返し使われていました。音楽が全くないシーンとした場面も時々ありました。カンフーのように腕と手の平で空気を切るような動きや、地面に右手人差し指を突き刺すように向けたり、指を5本とも地面に向けたり、何かを両手ですくうような動きなど、宗教的に意味がありそうな動きを何度も繰り返していました。遠心力を利用した、モダンダンスの動きもありました。

 舞台背景はシンプルで、白地のスクリーンの中に黒い大きな長方形を塗りつぶしたものだけ。あとは照明で表現していました。青と紫の照明だけを上から落としたシーンは、好きな色だっただけに美しくて感動しました。他にも黄色だけの照明を使ったり、赤だけの時もありました。真横から明るい照明を当てて朝日のようなシーンもありました。照明が変わるごとに、黒一色の衣装の色も反射して変化していきました。

39.チャコット・webマガジン”Dance Cube”連載コラム 「ニューヨーク・ダンス直行便」
   vol.6  2003年10月号                         by ブルーシャ西村

 今月は、所用でスペインに長期間出かけていたので、ほとんど公演を観劇することができませんでしたので、趣向を変えてインタビュー特集にしました。スペインの今年の夏は、灼熱地獄だったそうです。私が6年住んでいたマジョルカ島に里帰りしましたが、6,7,8月の3ヶ月間もの間、連日45度とか48度の気温が続き、ご老人が大勢亡くなったそうです。暑くて暑くて、何も出来なくてダラーっとしているのみだったと友人たちは語っていました。異常気象の熱波は、パリだけではなかったのですね。ニューヨークに引っ越していてよかったです。
なお、今月からは、これからニューヨークに旅行で観劇する方のために、公演情報も掲載いたします。


「宮本亜門氏・インタビュー」

 さて今回は、ニューヨーク・ブロードウェーで、ミュージカル作品を来秋上演することが決定した演出家の宮本亜門氏を迎えて、インタビューをいたしました。ブロードウェー・ミュージカルとは、ブロードウェーの41丁目から53丁目の間にある38軒の劇場で上演されるものをさします。演出は宮本亜門氏、作品は英語版「太平洋序曲」(Pacific Overtures)。本格的な商業公演で、日本人どころか東洋人演出家として初めての快挙! 嬉しい限りですね。

 劇場はブロードウェーでも有名なスタジオ54。現在は「キャバレー」上演中で、客席は1000席を越える所です。プロデューサーは、ブロードウェイで「キャバレー」などのヒット作を手がけるラウンド・アバウト・シアター・カンパニーのトッド・ヘイムズ氏と、ゴージャス・エンターテインメントの吉井久美子さん。スティーブン・ソンドハイム氏作詞作曲、ジョン・ワイドマン氏台本で、初演は1976年。これを宮本氏が2000年に日本で新演出で再演した時に、観劇したソンドハイム氏が絶賛し、昨年7月ニューヨークのリンカーンセンター・フェスティバルと9月にワシントンDCのケネディーセンターでの公演が実現。これがきっかけで、ブロードウェー進出が決まりました。

"太平洋序曲"あらすじ  
            
 鎖国政策をしていた19世紀中頃の日本。突如アメリカの黒船が浦賀に来航する。幕府は、筆頭老中の阿部を通じて、浦賀奉行所目付け役にした香山弥左衛門にその上陸を阻止するように命じた。西洋文化を身につけアメリカから帰国した漁師・万次郎とともに、弥左衛門は奇策を持って黒船を追い返すことに成功。安部は江戸幕府13代将軍に、香山は浦賀奉行に、そして万次郎は武士の位を授かる。

 ところが、相次いでイギリスやフランス、オランダ、ロシアも通商条約の締結と開国を迫ってくる。そうした西洋人と出会ったことにより、2人の男は変わる。香山は西洋文化に傾倒、逆にアメリカを歓迎していた万次郎は日本の伝統を重んじるようになり、2人は激しく対立する。そして事態は予期せぬ方向へと転がり始めるのだった。

---------なぜニューヨークへ来たのですか?

亜門:ニューヨークで教えてもらったことが多いので、今度は私がニューヨークへお返しをしていきたいから。ブロードウェー・ミュージカルを観て、感動して何度泣いたことか。初めてニューヨークに来たのは母が亡くなった直後、21歳の時。そのときはミュージカルを観たり、ダンスのレッスンを1日3か4つくらい取って過ごしました。僕が日本で「ヘアー」というミュージカル作品の出演者だった時、その初日に母は亡くなったのです。その時、僕は母から良い意味でのミュージカルのバトンタッチを受けたのだと解釈しています。母はSKDのレビューガールだったので、ミュージカルを愛した人でした。母は常々、「ニューヨークのブロードウェー・ミュージカルこそ本物よ。いつかあそこに行き、本物を観てきなさい」と言っていましたから。僕はその言葉を胸に、道を切り開いてきたのです。

---------ダンサーでもあったのですか?

亜門:はい、20から25歳くらいまで、ミュージカルの出演者兼振付師をしていました。ボブ・フォッシーを尊敬していて、やがて演出家になりたいと夢見ていました。演出家になるにはどうすればいいか考えて、「まず稽古場と大きな鏡を持とう」と。だからダンススタジオを経営していたけれど、維持するエネルギーが大変なことが分かり、4年くらいでたたんで、ロンドンへ留学しました。

---------ロンドンでは何を学びましたか?

亜門:ダンスのレッスンを受けたり、観劇。ダンススタジオの経営からの逃避のようだったけれど、充電とリラックスになった。ボーっと考え事をしていた時に何かが見えてきたので、来てよかったと思いました。

---------今後、ニューヨークでミュージカルを通じて表現していきたいものは何ですか?

亜門:ニューヨークは人種のるつぼ。良くも悪くも、世界に影響していくところ。911テロのあと、ニューヨークは非常に危険な状況だと思いました。非常にネガティブな力が働いて、街は無残な姿になり、人々も荒んでいた。僕はテロの時ちょうどニューヨークにいましたが、それから数日間は毎日マンハッタンが灰で埋まっていました。この時こそ、私のルーツである日本の良さ、多神教的なものを伝える必要性を感じました。存在する全てのものには神が宿り、全てが神につながっていて、皆それぞれが大きなものの一つであるということを、世界の皆に分かりやすく伝えていきたいのです。私は何事もプラス・マイナス=ゼロだと考えていますが、911のような非常に大きなマイナスの力が働いた後は、その反対の大きなプラスの力が働いていくと思っています。私もそのプラスの力の一員になりたいと思います。戦争と反対のエネルギーのミュージカルを作っていきたい。作品を観た人々に、人間個人の奥にあるものを思い出してほしいのです。ミュージカルはジャンルを超えたものであり、ダンス、音楽、歌、演劇が開放されて一つになってしまうもの。これは人間の奥に潜む気持ちを自由にして、解放していく力があると思っています。

--------このブロードウェー・ミュージカル「太平洋序曲」はいつ開幕予定ですか? また出演者はどのように集めますか?

亜門:来年の10月にプレビュー、11月にオープン予定。キャストは、これから全米各地でオーディションを行い、採用していきます。条件は、グリーンカードを持っている英語のできるアジア人です。



「ア・セレブレーション・オブ・アジアン・ウーマンズ・カルチャー・アンド・オーガナイジング」

 8月23日、SEIUにて、「ア・セレブレーション・オブ・アジアン・ウーマンズ・カルチャー・アンド・オーガナイジング」が開かれ、インドネシアン・ダンスなど5組の作品が上演されました。全体的に、さほどプロフェッショナルなレベルのダンスではなかったけれど、ニューヨーク在住アジア人の女性達のための催しということで、見学に行きました。終演後のレセプションはとても豪華で、アジアン・フードが盛りだくさんのビュッフェ式ディナー付きでした。前菜、メイン、デザートまで豊富にあり、アジアの御もてなし文化に感激しました。太っ腹ですね。

 最後に出演したシャーミラ・デサイの「アンジャリ」と題したダンスだけは圧巻でした。スーパー・ヨガ!!! 非常に難度の高いヨガの技を駆使して、打楽器だけの音楽に乗って、ロウソクの灯の中、浮かび上がるようにして踊りました。とてもではないけれど、バレリーナでも出来そうにないポーズばかり連続で披露して、観客は静まり返って、息を呑んでいました。ヨガ・ダンスと呼べばよいのでしょうか、こんなダンスは生まれてはじめて観ました。いいアイデアですね。彼女はインドのボンベイ出身で、そこでヨガを教えていた経歴を持ち、現在ニューヨークでヨガを教えています。インド人の本物のヨガ行者のヨガは、さすがにフォームが完璧で、美の均衡が整っていて美しかったです。


「ピラール・リオハ」

 ピラール・リオハのフラメンコ・ダンスのソロ公演が、9月5日、ニューヨークのレペルトリオ・エスパニョールにて行われました。ピラールは世界的に知られるフラメンコとバイレ・クラシコ・エスパニョール(スパニッシュ・クラシック舞踊)のダンサー。メキシコ生まれで、スペイン人の両親を持ち、自分のルーツであるスペインの伝統的なダンスを中心にモダンバレエも学びました。メキシコ、米国各地、スペイン、中南米、オーストリア、ブルガリア、ソビエトなど世界中で公演してきました。96年には、イギリスでロンドン・フィルハーモニー・オーケストラと共演し、97年にはニューヨークのBAMでブルックリン・フィルハーモニックと共演しています。

 彼女の今回の公演では、ギター2人、ピアノ1人、男性歌手2人、フルート1人の生演奏をバックに踊りました。大勢のミュージシャンの演奏で、迫力がありました。タブラオ風の小さな劇場で、ヒスパニックの観客が多く、すごい歓声につつまれました。彼女の踊りは全体的に、フラメンコだけでなく色々なダンスの要素が表現に感じられる、バラエティーに富んだ個性的なものでした。激しいだけの踊りではなく、サパテアードの強弱が大きく、感情を込めて、ゆっくりと溜めて踊っていました。非常にメリハリのある踊り方です。

38.チャコット・webマガジン”Dance Cube”連載コラム 「ニューヨーク・ダンス直行便」
   vol.5  2003年9月号                         by ブルーシャ西村  

 8月14日夕方4時頃、ニューヨークは大停電に見舞われました。家にいた私は、最初はうちのビルだけのことかと思っていたので、1時間くらいは何も気付かずに部屋にいました。5時ごろに、ルームメイトがラジオではマンハッタンだけでなくNY全域、ニュージャージー、カナダ全域までも同時に大停電と伝えていることを教えてくれました。テロかと思いました。大慌てでロウソクと水と食糧を買いに行きました。地下鉄も走っている途中で止まって、その時中にいた人は閉じ込められて、線路を伝って歩いて外に出たそうです。4時間も家まで歩いて帰ったり、野宿をしたり、高層ビルに住んでいる人は48階まで階段を登らなければならなかったりしたらしいです。一晩で元に戻りましたが、2日間はマンハッタン内の全ての公演が中止になりました。私も観る予定にしていた公演を観劇出来ず、今月のレポートは数が少なくなりました。


「Batsheva Dance Company」

 7月23から26日まで、リンカーンセンターフェスティバルのプログラムで、イスラエルのバシェバ・ダンス・カンパニーの「Anaphaza」と題された公演がありました。イスラエルの代表的なモダン・ダンス・カンパニーで、イスラエル出身のダンサーは必ずと言っていいほどここに在籍したことがあるという噂を聞いていたので、とても楽しみにしていました。休憩時刻無しでノンストップでした。ユーモアも皮肉もあって、舞台装置、衣装ともに楽しいものでした。

 このカンパニーは、1964年にマーサ・グラハムとバロネス・バシェバによって創設されました。毎年200本以上の公演を、世界中の劇場やフェスティバルで行っています。ここでは日本人のイナオ・ヨシフミがダンサー兼アソシエート・アーティスティック・ディレクターとして活躍していて、今年の9月からは彼がアーティスティック・ディレクターになるそうです。世界的なカンパニーでの日本人の大活躍は、とても嬉しいことですね。
彼は今回の公演にも出演していました。

 始まりかたがユニーク。幕は最初から上がっていて、電気は消えていました。半円形にイスが23個並べられていて、後方に2メートル以上の高さの台があり、そこにドラムスなどが置かれていました。いきなりドラムスだけに照明が当てられて演奏が始まり、全体の照明が点くと、23人のダンサー達がそれぞれのイスの前に立っていました。すると突然、たくさんの爆竹の「バンッ」というものすごい音が鳴りました。男女ともに黒いスーツにハット、真中に帽子を放り投げて踊り始めました。

 ヘブライ語の音楽が流れ、ドラムスの演奏付き。上着をいっせいに脱いで放り投げて同じ振り付けが続き、靴を放り投げて同じ振り付けが繰り返されました。舞台下手の人から順番にドミノ倒しのようにイスからえびぞりになって立ち上がり、一番最後の人はイスから放り投げられるようにして床に倒れこみました。これを繰り返して、ブラウスもズボンも一斉に脱いでいき、一番下の衣装がでてきました。メイクは全員、目の間と周りを黒く塗りつぶして、ハンバーグラーか悪魔のようなもの。衣装は全編通してだいたい同じで、切り裂いた下着風の黒っぽいグレーレオタードでした。

 全体にギターとベース、太鼓やドラムスの演奏や歌付きで踊るものが多かったです。一人の女の子が両手を広げて舞台を何周もただ走って回って、真中に立ち止まって踊っていたものは、最初のうちは乙女チックな印象だったのに、突然、後ろを向いてグランプリエのまま痙攣を続けたり、美醜両方の要素が混ぜられていて面白かったです。踊りと踊りの間に、大勢20人くらいが、黒スーツやとんがり帽子などのお揃いの衣装を着て、両手に透明の大きな空容器を持って、それを一斉に揃えてバンバンと叩きながら舞台を斜めに行進して消えていきました。

 また、時々、合間に数人が太鼓でアフリカン・リズムを叩いていました。交互に同じことが繰り返されていて、不思議な感じです。休憩はなかったけれど、舞台中盤に差し掛かった頃、観客を動員して大勢舞台に乗せて踊る、即興の要素があったので驚きました。オカマ風の長いワンピースを着た男性が出てきて、その横にヘブライ語を英語に通訳する人が立っていました。
「全員立って下さい」と言って、私達は立たされました。

「1年に2000ドル以上寄付している人は座ってください」、
「英語が分からない人は座ってください」、
「今働いている場所が嫌いな人は座ってください」
などと次々に笑いを誘う質問があり、最後に一人残った男性が舞台に上げられ、3つのイスの真中に座らされて両脇にダンサーが座りました。ダンサーが動くと、その男性もつられて真似をしていました。また次は、大勢の客が舞台に引っ張っていかれて、ダンサーとペアで踊らされていました。全員バラバラな動きで、観客は大笑いしていました。

 白いシーツにくるまった女性に、映像が映されていたものは、いいアイデアだと思いました。女性が歌う顔、赤ちゃんの顔などが映し出されていました。途中、後ろを向いたままシーツを取ってヌードの後姿に映像が写しだされ、少し踊って消えました。

 最後は数人が太鼓をたたき、ドラムスも加わって次第に音が激しくなり、全員で踊り、バック転やコーラスもあり、盛り上がって終わりました。観客は立ち上がって大喝采でした。


「Smuin Ballet」

  8月11から16日まで、ジョイスシアターでSmuin Balletの公演が行われました。このカンパニーは、1994年に創設されています。今回は、「Stabat Mater」,「ダンシン・ウィズ・ガーシュウィン」の2部の構成。ミュージカルのような、とても夢のある美しい公演でした。

 マイケル・Smuinは、サンフランシスコ・バレエのプリンシパルを務めた後、ブロードウェイで踊り、テレビや映画に出演していました。その後ABTのダンサー兼振付家を務め、サンフランシスコ・バレエのディレクターとして戻りました。彼はト二―賞と多数のエミー賞を受賞しています。

 「Stabat Mater」は、ラテン語の題名で、Antonin Dvorakの有名な作品をもとにしたもの。不幸と息子の死を見たマリーの苦しみを描写しています。音楽はオペラです。舞台にドライアイスで霧がかけられていて、中心に女性が後ろを向いて座っている周りで、4組の男女ペアが踊り始めました。舞台後ろの大きな岩に洞穴があって、中から一人の男性が出てきて、座っていた女性と踊ります。その周りで踊る4組は、衣装も振り付けも同じで、舞台背景の一部になっていました。照明がとても綺麗で、青と黄色の照明が降注いで、色が混ざって青緑の地中海の色のようでした。振り付けはクラシックバレエのものです。男が最後に一人、また洞穴に消えてしまって、悲しみに暮れているところで終わりました。

 「ダンシン・ウィズ・ガーシュウィン」は、とても楽しい美しい作品で、夢のような空間でした。1937年に38歳の若さで亡くなった偉大な作曲家ジョージ・ガーシュウィンの曲ばかり、「サマータイム」など19曲を使った作品で、次々に舞台背景も変わってミュージカルのようでした。最初、舞台いっぱいの大きなスクリーンに、ガーシュウィンや彼の作品にちなんだ写真がたくさん、スライドで映されました。

 スクリーンが消えると、舞台背景は一面の星空に変わり、そこで正装した4組の男女ペアが次々に踊り、ロマンティックでした。いくつかの作品には、男性によるタップダンスもありました。バトンを持ちながら踊り、シェネやピルエットなどバレエの降り付けも取り入れたタップダンスでした。女性は、トウシューズで踊るものと、ダンスシューズで踊るものがあり、バラエティーに富んだ振り付けで楽しみました。男装の女性を男性と間違えて近寄った女性を表したものや、大きなリボンを頭の上につけたミニスカートの3人の女性がおそろいの可愛らしい振り付けで踊るものもありました。

 作品の中で一番観客が大笑いして拍手喝采し、非常に受けていたものは、「サムワン・トゥー・ウォッチ・オーヴァー・ミー」。マリリン・モンローのような色っぽいブロンドの女性一人が、両手に大きな羽のアバニコを持った正装した男性6人に囲まれて踊る作品。女性がお尻や胸をフリフリしながら踊り、男性達はアバニコを使って女性を囲んでグルグル周ったりしました。


「Twyla Tharp Dance」

 トワイラ・サープ・ダンスの公演が、7月28日から8月9日までジョイスシアターで行われました。小品集で、「ノウン・バイ・ハート・デュエット」、「ザ・ファッジ」、「ウェスタリー・ラウンド」、「サーファー・アット・ザ・リバー・シックス」。トワイラ・サープは、ビリー・ジョエルの曲を使っている大ヒット中のブロードウェイ・ミュージカル「ムーヴィン・アウト」で、今年2003年にト二―賞の「ベスト・コレオグラフィー」を受賞した、今をときめく振付家です。彼女はこのミュージカルの振付家兼演出家。だから、これはとても待ち遠しく楽しみにしていた公演でした。

 彼女の写真を見ると、とてもゴージャスな感じの女性。彼女は1963年にバーナード・カレッジを卒業して以来、125以上のダンスを創作し、5本のハリウッド映画の振り付けをし、2つのブロードウェイ・ミュージカルの振り付け・演出をしました。成功の王道を走ってきた第一線で活躍する方です。パリ・オペラ・バレエ、ロイヤル・バレエ、ニューヨーク・シティー・バレエ、ボストン・バレエ、マーサ・グラハム・ダンス・カンパニーなど、多くのダンスカンパニーに振り付けを提供しています。彼女は1965年にトワイラ・サープ・ダンスを創設し、1999年に再結成しました。

 振り付けはトウシューズも使ってクラシックバレエの要素も混じっていますが、独特な個性のあるものでした。ダイナミックな、変わった振り付けで、ストーリー性のある作品でした。音楽の効果も個性的で、例えば鐘の音や雷の音を使ったり、音楽無しでタップダンスのように足をたたきつけて音を出して踊ったり。アフリカのリズムもあれば静かな曲もあり、とてもバラエティーに富んでドラマチックな選曲でした。インドのような振り付けも取り入れていました。揃っている動きも多く、ゆっくりした動きを交互に続ける振り付けもありました。男性ダンサーが、30回転を披露するシーンもあり、盛り上がりました。

37.チャコット・webマガジン”Dance Cube”連載コラム 「ニューヨーク・ダンス直行便」
   vol.4  2003年8月号                        by ブルーシャ西村

 ニューヨークは蒸し暑い日が続いています。夏のニューヨークはジャズやダンスなど無料の公演が毎日のようにあります。セントラルパーク・サマーステージや、ハドソンリバー・フェスティバルなど。大御所ミュージシャンのコンサートが無料なんて信じられない!夏のニューヨーク旅行はお薦めです。先日、私も尊敬しているミュージシャンでプロデューサーのアル・クーパーの無料コンサートに取材で行ってきました。彼は多くのミュージシャンにとっては神様みたいな存在です。彼は6月に25年ぶりに日本にツアーに行ったばかりで、日本は彼の全アルバムがCD化された唯一の国だと言っていました。レスリースピーカーにつないだハモンドB3オルガン。最高でした。

「ピロボラス」

 33周年のダンスカンパニー、ピロボラスの公演が6月23日から7月19日までジョイスシアターでありました。プログラムA・B・Cがあり、私が観たのはBとC。各日とも4つの小作品集。これはとても面白くて、時間があったら全部観たかったと思いました。昔のレパートリーから今年の新作までバラエティーに富んだ演出。4人の演出家による作品で、ダンサーは7人。彼らはワシントン.D.C.を拠点にしているカンパニーで、71年にダートマウス・カレッジのダンス教室から始まったもの。今ではアメリカで大御所のカンパニーへと成長しました。

 ダンスというより、アクロバティックな体操のような振り付けです。バレエの要素は全くといっていいほどありませんが、これはこれで驚かされたし、楽しめます。お互いの体重を分散させて、持ち上げたりしていました。台を何も使わずに、スルスルと相手の肩の上まで上ったり、上で止まったまま持ち上げられている方がぐるッと回ったり、難度はかなり高いです。毎年夏のニューヨーク公演は恒例だそうで、楽しみにしているニューヨーカーが多い様子。客席は満員でした。

 古いレパートリーは、75年の作品"アンタイトルド"。2人の女性が引きずるほどに裾の長いクラシック・ヨーロッパ風のドレスを着て登場。髪の毛をとかしていたところ、2人とも急に背が伸びて、2メートル以上に! ドレスの下からひざ下が全て見える状態になり、スカートの中に誰か男性かがいて、持ち上げている様子。客席は皆大笑いしてました。途中、スカートの中から黒人と白人の2人の男性が出てきましたが、二人とも一糸まとわぬヌード!何のためにスッポンポンになる必要があるのか分かりませんが、あまりに堂々と踊っていました。

 あと、怖かったのが、03年の作品"Wedlock"。数々のカップルがでてきて、夫婦間の哀愁を表現していました。Wedlockというのは辞書にない造語なので、きっとウェディングとロックを合わせて「結婚=拘束」みたいな感じの意味の言葉を作ったんじゃないかな、と思いました。女をグルグルと引きずって回したカップル。ブルースの音楽に乗って、パンツ1丁の男が犬になり、下着姿の女が馬乗りになって彼の上に座り、男のケツを足でひっぱたいて前に進ませていたカップル。立っている男性に女性が宙に浮いて絡み付いてメイク・ラヴを表したようなダンス。寝転がってうずくまった格好で激しい痙攣をして苦しむ女性を心配そうに覗き込んで彼女に触ると、女は口を大きく開けて顔をゆがめ、えびぞりになって硬直、また心配した男が女に触ると女は激しい痙攣、これが延々と続いていたカップル。男はだんだん泣きながら苦しんで、彼女を触って揺り動かしていました。結婚することによってお互いに逃れられなくなるという、皮肉たっぷりの作品でした。

 最後に盛り上がって大盛況だったのが、"デイ・トゥー"。これは80年の作品で、男女とも上半身裸と肌色のTバックのみ!雨と雷の音から始まります。非常にアクロバットな振り付け。肩車をして上で踊るものが多かったです。6人のダンサーが輪になって重なり、人間イスがつながってかたまったところも面白かったです。並んで正座して、モグラたたきみたいに立ったり座ったり。懐かしいインベーダーゲームのような格好で横に行ったり来たりしたり。途中、長い棒を2本用いて、棒の両端を男が支えて女が上で宙に浮いたまま上ったり降りたり、ぶらさがったり、回ったり難しいことをしていました。組み体操のようなものもありました。観客は大喝采でした。


「大駱駝鑑」

 大駱駝鑑の公演が、7月15日から19日まで、ジャパンソサエティーにて開催されました。舞踏家の麿赤じによって72年に旗揚げされた劇団。麿は1964年舞踏家、土方 巽に師事しながら唐 十郎とともに劇団状況劇場を設立。ダンサー、役者、演出家。大駱駝鑑は天賦典式と名づけた大仕掛けを用いた手法を舞踏に用いて、「BUTOH」の名は世界を席巻しています。

 今回の公演は、麿が「本体」と呼んでいる35人編成の大掛かりなものではなくて、劇団内の若手メンバーによる「壺中天」シリーズのなかからの2組。向雲太郎振り付けの「ダラーの宇宙」(男性ダンサーのみ)、今井敦子振り付けの「寿留女(するめ)」(女性ダンサーのみ)。私が観たのは後者のほう。女性ダンサーは総勢9人。

 怪物的演出、暗黒系舞踏という噂を聞いていましたが、まさにその通り。とても感動しました。観た直後のショックが何日も続いたほど。今月観たものの中で一番インパクトがありました。これは外国人が観たら、怖がると同時に新鮮に映ると思います。「うらめしや」の幽霊に通じた、とても日本的な恐怖だと思いました。私達の土壌が生んだものなのでしょう。日本の縄師によるSMの縛りと同じ系統のものを感じました。

 例えば、能天気なブラジルやスペインからはこんな舞踏は出てこないはずです。「我慢」「辛抱」「仕方無い」という日本独特の風土、おしんのような一面の影、その裏を返せばこんなものがでてくるのでしょう。日本の除霊の技術は世界一だとスペインの聖人の霊に聞いたことを思い出しましたが、この大駱駝鑑は除霊や祈祷とも同じ系統かもしれません。観ると色々な事を連想させられたし、隠れていた本能に触られるような強烈な作品でした。

 半裸で、Tバックと金太郎の前掛けの非常に小さいもののような布切れにかろうじて胸が隠れている程度の衣装。はみ出ている人もいましたね。男性チームもスキンヘッドに半裸で細いTバックのみだそうです。女性陣の髪型はアフロやボサボサ頭、長―い黒髪など振り付けによって色々。顔は白塗り、白目を向いて痙攣をわざとずっと続けたような動きが全般に見られました。目に赤いコンタクトを入れた人も出てきました。苦しんだような喘いだような顔をして痙攣しつづけたり、変な裏声で「ヒュルルー」と音を出したり、口を大きく開けたまま顔を激しくゆがめたり、怖かったです。

 困った顔、苦しみの顔、泣きそうな顔ばかり。音楽は盆踊りか音頭にシンセサイザーの音を加えたものや、太鼓がドンドン鳴っているもの、おどろおどろしい幽霊屋敷のような音などで、現代的なエレクトロニックでした。

 日本人で、彼らの公演をまだ観たことがない方は、ぜひ一度ご覧になったほうがいいです。おすすめです。

 会場にいらっしゃった麿氏にコメントをいただきました。「ニューヨークはいつも歓迎してくださるので嬉しい。移住したいくらい楽しい。日本流の約30人の本体をアメリカにも連れてきて公演したい」とのこと。


「ジャズダンス」

 振付家Danny Buraczeski が率いるジャズダンスの公演が、7月21日から26日まで、ジョイスシアターで開催されました。4つの小品集。近頃立て続けに面白いモダン・ダンスばかり観ていたので、正直言ってこのジャズダンスは古臭く思えてきてしまいました。衣装もごく普通。ゆったりした長いパンツが多かったです。踊りはクラシックバレエに比べたら物足りないし。好みの問題でしょうね。でも、オーソドックスなジャズダンスが観たい人にはお薦めのカンパニーで、ジャズダンス界では大御所です。

 全米30州だけでなく、世界ツアーにも行っています。この振り付け家はブロードウェイ・ミュージカル出身で、79年にニューヨークを拠点にしたジャズダンスを結成。92年からミネアポリスに拠点を移しています。彼はダンサーなのに別の学問を積んでいて、大学では日本研究を専攻していました。これで納得、彼は幼いころからのバレエ出身の振付家とは正反対の、インテリ出身で、本当に踊りが大好きだからブロードウェイに進んだのでしょう。第一線で活躍しているダンサーとしては変わった経歴です。踊りが好きなのですね。きっと人間的には深みがあって面白い人なのでしょうね。

 音楽は、クラシック、オールディーズ、20年代のジャズ、タンゴ、ラテンなど様々。振り付けはどれも似通っていて、踊りながら手をブンブン振り落とすものが多かったです。ダンサーの中に、一人だけ飛び抜けて上手な人がいて驚きました。一人浮いていましたね。一言で言うと「キマッている」ということ。もともと生まれ持っているセンスがいいのでしょう。彼女はソリストのマリー・アン・ブラッドリー。97年に大学を卒業したばかりなので、まだ若いダンサーです。将来大物ダンサーになるかもしれない片鱗を見せ付けていました。


「ダンス・シアター・オブ・ハーレム」

 7月8日から27日まで行われているリンカーンセンター・フェスティバル2003のプログラムの中で、7月8日から13日まで、ダンス・シアター・オブ・ハーレムの公演がありました。これは地元の黒人のバレエ・カンパニーなので、前から観るのを楽しみにしていました。スクール・オブ・アメリカン・バレエで教育を受けた後、ニューヨーク・シティー・バレエの初の黒人男性バレリーナとして活躍したアーサー・ミッチェルにより1969年に創設されたダンス・カンパニーです。ハーレムに住む彼が、68年のマーティン・ルーサー・キング牧師の死をきっかけに、「自分の住むハーレムで黒人達にバレエを学ぶ機会を提供したい」という強い思いから生まれたカンパニー。最初は68年にガレージで教え始めたそう。素晴らしい話ですね。

 フォーダム大学大学院生である友人に聞きましたが、このカンパニーのバレリーナ達が何人か同じ大学に通っていて、教授たちに励まされながら厳しいトレーニングの合間に学問を続けて両立させているそうです。プロダンサーで、なかなかそこまでできる人達はいないと思います。向上心のある頑張りやさんですね。プロのダンサーであっても、踊り以外の別の学問を積むことは必ずプラスになると確信しています。年を取れば取るほど、踊りには人生がにじみ出てくるからです。プログラムは2種類で、4つの小品集の日と、小品1つと長い作品一つの日。ジョージ・バランシン振り付けの作品2つ、ジェローム・ロビンス振り付けの作品1つが含まれていました。今回の目玉は、初公演の「セント・ルイス・ウーマン:ア・ブルース・バレエ」。振り付けはMichael Smuin。彼のダンスカンパニーが来月ジョイスシアターに来るので、次のレポートもお楽しみに。

 クラシック・バレエの小品集のほうは、これは本来のバレエとは言えないような踊りでした。熱い黒人の血が現れているのかもしれませんが、手の振り付けとかを激しくやり過ぎちゃって、繊細さが無い、「ドッカーン!」という感じのバレエです。私がバレエをやっていた頃、「足のつま先、手の指先まで神経を行き届かせるように」と某大先生が常におっしゃっていたことを思い出しました。彼らはギャグでやっているのかな、というくらいやり過ぎ、張り切りすぎに見えてきて、笑ってしまいました。あまりに個性的なバレエ団です。「これはこういうもの、これは従来の伝統的なバレエではない」と割り切って観るべきものだと思います。他のバレエ団と比べて観てはいけません。時々、誰かが登場する度に、そのダンサーの友人家族達が大勢、「ヒュー、ヒューッ」と大声を出して大拍手して大騒ぎしていました。そんな集団がオーケストラ席のあっちこっちにあり、まるでハーレム・アポロシアターのアマチュアナイトと化していました。実は私はそんな丸出しのブラック・ピープルが大好きなので微笑ましかったです。

 ミュージカル仕立ての「セント・ルイス・ウーマン:ア・ブルース・バレエ」は、彼ららしいものなので安心して観ることが出来ました。オーケストラがジャズやブルースを演奏していました。舞台セットは、ビビッドカラーをふんだんに使い、マティスの切り絵シリーズのような、ポップで派手なもの。踊りは、トウシューズですがジャズダンス風のコミカルな振り付けです。舞台上のバルコニーで、2人の黒人歌手が生で歌っていました。男に他の女に乗り換えられた女性が、最後にピストルで男を殺してしまうメロドラマ。最後のほうに、男性達によるのタップダンスがあり、さすが、とても上手でした。このタップダンスが一番良かったです。


「シェン・ウェイ・ダンス・アーツ」

 同じくリンカーンセンター・フェスティバルのプログラムの中で、7月23日から26日まで、中国出身の振付家、シェン・ウェイ・ダンス・アーツの初公演がありました。振り付け、衣装と舞台装飾デザイン、メークアップデザインともにシェン・ウェイによる作品。

 彼の紹介には、「振付家、ダンサー、画家、デザイナー」とあります。彼は中国人で9歳からチャイニーズ・オペラを学び始め、その後モダン・ダンスを学び、95年にニコラス・ルイス・ダンス・ラブの奨学金を得てニューヨークに移り住みました。この彼のカンパニーは2001年に結成されたばかりで、ダンス、演劇、チャイニーズ・オペラ、絵画、彫刻を総合させたもの。とても独創的で、大きな広がりと可能性を持っています。プログラムは2つの小品集です。ダンサーは13人。彼自身もダンサーとして参加しています。他のモダンダンスとは似ていなくて、彼のオリジナリティーあふれた作品でした。

 「ザ・ライト・オブ・スプリング」は、ストラヴィンスキーのピアノ曲によるもの。舞台下手にピアノが1台あり、生演奏でした。もともと連弾の譜面なので、もう一人のピアノ演奏は録音を使っていました。最初から幕は開いていて、照明が無く、客席に電気がついたままで舞台左右に1人づつダンサーが出て位置に付きました。ピアノ演奏が始まると、徐々に客席の照明が消え、舞台の照明が付きました。衣装は様々なグレーのトーンで統一され、全員違うもの。

 いかにも踊りにくそうなストラヴィンスキーの曲なのに、曲と同じようなランダムな振り付けです。観ていると、全然関係ない「カオス理論」を思い出しました。全編通して、両手は下に下ろしたままほとんど使わず、それ以外の部分で踊る、無表情な感じのものでした。時々手を回したりしていましたが。みんながいろいろな方向にランダムに小走りで移動したり、全員がしゃがんでいて一人ずつ立っては違う振り付けで踊ったり、即興風のものが多かったです。前もって振付けされたものなのに、即興のように錯覚するほどです。

 1人が踊っている間に、別の人が次々にいろいろな方向へ走り抜けていき、それが踊るほうも走り抜けるほうもバラバラに延々と続きました。内股で片足を出して、反対の足を振り上げて向きを変えつづけたり、ひじを伸ばしたまま肩の関節だけを開けて手を振り回したり、全てのダンサーが一度にバラバラな速度で全く違う振り付けをした時には、舞台の上にオルゴールの人形がたくさんあるように見えました。観てよかったと思える不思議な作品でした。

 「フォールディング」は、舞台背景に18世紀の中国の水彩画をもとにした大きな絵画作品を飾り、衣装は、男性は上半身裸で女性は肌色のノンストラップレオタード、下は男女ともに袴を思わせるような直線的な長いスカート。色は赤の人と黒の人がありました。頭は後頭部をうんと膨らませたようなこぶの大きい肌色の被り物を全員付けていました。始めから最後まで、一貫してスローモーションのように、ゆっくりと一定の速度で動いていました。きっと、ゆっくり動くのは大変なようで、次第にダンサー達は汗だくになっていきました。

36.チャコット・webマガジン”Dance Cube”連載コラム 「ニューヨーク・ダンス直行便」
   vol.3  2003年7月号                          by ブルーシャ西村

 6月は日本は梅雨ですが、ニューヨークも今年は異常気象で梅雨のような状態になり、1ヶ月以上毎日のように雨が降り続いています。まだ肌寒くて上着が必要で、おかしな気候です。こんなことはここ15年以上で初めてのことらしいです。

 そういう気分が重いときは笑うこと! 思い出すだけで必ず自動的に笑える話を一つ。古代イタリアにいたプリニウスという博物学者の書いた膨大な百科事典はウソの作り話が満載でハマります。「象の皮膚はシワで被われているが、ブンブンまつわりつく虫が皮膚に止まった時にシワをぎゅっと縮めて圧死させるため」だそうな。己のシワに虫を誘い込んでギュッと縮めて殺す象の姿を想像しただけで、私はどんな時でも涙を流して笑い転げることが出来ます。クラシックバレエならぬ、クラシック百科事典のお話でした。

 「ハバード・ストリート・ダンス・シカゴ」

 5月27日から6月8日まで、ジョイスシアターにてハバード・ストリート・ダンス・シカゴ(HSDC)の公演がありました。プログラムAとBがあり、私が観たのはAのほう。1977年に振付家ルー・コンテ達によって創立されたカンパニーで、コンテは2000年に芸術監督を退き、現在はジム・ヴィンセントが芸術監督を務めています。総合監督はゲイル・カヴァー。ジャンルはコンテンポラリーで、様々な要素が交差した芸術的なスタイルを想像するために、ジャズ、モダン、クラシックバレエのテクニックを用いています。ブロードウェイ・ミュージカルなどで活躍したコンテは、ルー・コンテ・ダンス・ステューディオをシカゴで1974年に創設し、今では毎週60以上のクラスを提供。バレエ、ジャズ、アフリカン、タップ、ヒップホップ、ファンク、ダンスフィットネスなど様々なクラスがあります。スクールでのダンス教育が一体となったカンパニーです。

 さて、公演は4つの小品集で、「レディ・ロスト・ファンド」はキルトスカートをはいた男性一人と男性女性各2名ずつのダンサーが踊りました。リモン・テクニックが少し入っている振り付けの様子。3人組で両脇の2人が真中の1人を宙に浮かせながら踊ったり、体操のようなアクロバットな振り付けが多くて面白かったです。

 「レッツ・コール・ザ・フル・シング・オフ」は、男女ペアで喧嘩をしているカップルを表現。花柄ワンピースの女の子と普段着の男の子で、台詞付きでミュージカルのような演出。帰宅の遅かった彼に、彼女が「あなたは一体どこに行っていたの?」と問い詰めるシーンから始まります。彼がブツブツと言い訳をし続けている横で、彼女は気分を害している様子をセクシーなミュージカル風ダンスで表現。踊りが終わり、彼が「君を愛しているって分かっているだろう?」と言うと観客は大笑い。今度は彼女が怒りをぶちまけるようにしゃべり続けます。彼はツイスト風に踊りつづけ、耳をふさいでうるさそうな顔をして、「聞きたくない」というジェスチャーのダンス。最後は2人でスウィングのリズムで踊り、彼女は彼に言いくるめられてジ・エンド。とても楽しい作品でした。

 「ノー・モア・プレイ」は5人の男女によるもので、黒レオタードや黒パンツ、ぐれーのTシャツというシンプルな衣装。音楽はストリングスのみの不協和音いっぱいの音色で、リズムも一定ではなく不安定な曲で始まりました。男性二人がピッタリ重なって一体になったまま、4本手が出ている仏像のような状態で踊るところが印象に残っています。

 最後の「フル・グロウン・マン」は、男女6名のダンサーによるもので、学生達を表現している様子。女性はギャザー・ロング・スカートのワンピース、男性はグレーの半ズボンとブラウス。インド風の踊りから始まりました。形6個の正方形の箱を使って、横一列から縦一列に並べ替えたり、女の子一人を男性2人で持ち上げて箱の上を飛び石のように移動させたりしていました。皆で縄跳びをやったり、カップルが出来ていく様子、男性一人が目隠しをして踊るシーンなど、学生が遊ぶ様子が色々表現されていました。


「フラメンコ・ヴィボ・カルロータ・サンタナ」

 1983年にロベルト・ロルカとカルロータ・サンタナによって創設されたニューヨークのカンパニー。20周年記念の公演が、6月10日から15日まで、ジョイスシアターで行われました。1987年のロルカの死後は、芸術監督のサンタナによってカンパニーが育てられ、現在に至ります。サンタナ本人も公演に出演。ニューヨークではフラメンコは大人気の様子で、満員でした。全編生演奏付き。舞台下手後方にギター、フルート、パーカッション、歌手の6人のミュージシャンがいて、ダンサーは全ての作品に10人が出ていました。

 スペイン・アンダルシア地方のセビーリャのタブラオで本物のフラメンコを観たことがあるのですが、それに比べるとこの公演はかなり現代風に脚色されているフラメンコと言えます。本場セビーリャのフラメンコはもっと踊りのスピードが速く、熱くて、「これでもか!」という速さで足を打ちつけてリズムを刻んでいました。

 このフラメンコ・ヴィボはそこまでスピード感はないけれど、バレエやラテンの振り付けも取り入れ、ストーリーのあるミュージカル仕立てです。スペインに住んでいた頃にちょっと習ったフラメンコ音楽のリズムは、12拍子で1サイクル。ワン・ツー・スリー・ワン・ツー・スリー・ワン・ツー・ワン・ツー・ワン・ツー(太線部を強くアクセント)が繰り返し続きます。手拍子をする時はこの太線部を強くたたいて下さい。これを知っておくだけで、フラメンコを倍楽しめるようになりますヨ。

 さて、「スイート・エスパニョール」は、スペインのクラシックダンスであるボレロとフラメンコが混ざった作品です。大勢が両手にカスタネットを持ってたたきながら踊りました。男性がバレエのテクニックであるピルエット2回転やシェネもしていました。衣装は紫で美しかったです。

 「サパテアード」は、全員がソンブレロ(帽子)を持って踊りました。ダンサーのうち7人は背丈ほどの太目の木の棒を持ち、それを床にズンズン打ち付けてリズムをとっている間に、ソロの男性のダンスバトルが3人続きました。

 「ルス・イ・ソンブラ」(光と影)は、2組の男女ペアによるものです。ルス組は女性がアバニコ(扇子)、男性がソンブレロを持って踊りました。衣装は白です。アティチュードで回転したり、セビジャーナス(フラメンコより簡単なセビージャ地方の踊り)の振り付けもありました。ソンブラ組はゆったりした曲で、女性は引きずるようなすその長いスカート、男性はマントン(ショール)を持って踊りました。最後に男性が死んだ設定です。

 「バイレス・デ・イーダ・イ・ブエルタ」のイーダ・イ・ブエルタは、行ったり来たり、往復のこと。スペインのフラメンコとラテンアメリカ音楽を行ったり来たりミックスして表現している様子。昔、スペイン人がラテンアメリカに渡って以来、フラメンコ音楽はカリビアンやラテン音楽の影響を受けて混ざり、今も変化しつづけています。この作品は、簡単なテーブルとイスがいくつかあるバル(酒場)で、人々はお酒を飲んだりトランプゲームをしているシーンから始まる演劇風のもの。

 一人の黒髪の美しい女性が出てきて、「孔雀を歌った場所であなたの夢を見た。あなたが行方不明になってしまって悲しい。私は泣いている」と歌いました。次に男性が出てきて、正反対の明るい歌を歌いました。「朝が好き。コーヒーを飲んだ後、新聞を手に持って散歩するのが好き」と。次に女性5人がアバニコを持って踊って、これは振り付けがとても良かったです。そして男性4人がパーカッションの音だけで踊りました。

 途中、フラメンコではなく、ツー・スリーのクラーベのラテンリズムに変わり、サルサの振り付けもありました。(サルサダンスも昔習いましたが、ツー・スリーとスリー・ツーのリズムがあります。)最後は全員で輪になって、順番にダンスバトル。"セ・アカボ!"(おしまい)と皆で言って終わりました。
 

「ニューヨーク・シティ・バレエ」

 6月末までリンカーンセンターにあるニューヨーク・ステート・シアターにてシーズン中のニューヨーク・シティ・バレエ。今回は、バラエティに富んだ公演を色々と選んで観ました。まずは5月25日の「コッペリア」。コッペリウス博士が作り出した娘のような等身大の人形をめぐるお話で、おなじみの古典。私もこの人形のカクカクした踊りが大好きです。

 劇場の売店では、このコッペリアの小さな写真集が8.5ドルで売られています。絵本仕立てでかわいいので買いました。この初演は1974年で、振り付けはジョージ・バランシンとアレキサンドラ・ダニロワ。三幕からなる構成です。舞台背景も衣装もとても凝っていて、よく出来ていました。博士の家の中のコッペリアをはじめとする人形達が、瞬きもせずに動かないでじっとしている振り付けは大変そうだなあと思いながら観ていました。

 6月11日の「オール・バランシン・プログラム」は、ジョージ・バランシン振り付けの3つの小品集。「Walpurgisnacht Ballet」は、1980年初演の作品です。ダブルのシャンディマンやトウシューズのつま先で着地するシャンディマンがたくさん使われていて、好きな振り付けでした。途中、女性達が全員髪の毛を下ろして出てきたので、髪がゆれてきれいでした。衣装は長めのストンとしたワンピースです。

 次の「ロバート・シューマンズ "Davidsbundlertanze"」は、1980年初演の作品で、ピアノ1台が舞台下手に置かれてピアニストが生演奏していました。舞台背景は、両端に大きな白っぽい薄いシフォンのカーテンがあり、後方は夕焼けのような海の風景で、下が水色、真中が薄紫、上がピンクのグラデーションです。4組の男女のペアが踊りましたが、全て衣装が正装で、美しくてゴージャスでした。女性はトウシューズだけでなくダンスシューズも用いて、社交ダンスのような振り付けもありました。

 最後の「ウエスタン・シンフォニー」は1954年が初演で、舞台背景も衣装も西部劇風の楽しい作品です。馬の手綱を引くようなものや、両手でピストルをバキューンとやるようなもの、お尻をフリフリしながら歩いて挑発するようなものなど、振り付けが面白かったです。黒地にラインストーンがキラキラしている派手なカウボーイをめぐって5人の女性が出てきて踊ったり、男性一人と女性一人がダンスのバトルを繰り広げたり、ストーリー性がありました。女性達は全員クモのように手足が長〜いので、同じ人間とは思えないような美しさでした。

 6月18日の3つの小品集も観ました。「ブラームス・ショーンバーグ・カルテット」は、ジョージ・バランシン振り付けの作品で、初演は1966年です。大勢のバレリーナが出てきて、ベーシックな振り付けで揃って踊り、迫力がありました。他の2つはモダンな振り付けの作品です。

 「ソウ・スウェル」は、ピーター・マーティンス振り付けで、初演は今年2003年1月という最新の作品です。舞台上にピアノ、ベース、ギター、ドラムスがあり、生演奏をしていました。2人の歌手が端で歌って、それに合わせて踊るというミュージカル仕立てです。舞台後方に黒い幕があり星がちりばめられていて、真中に大きな鏡が吊り下げられていて、夜景の見えるバーを表現している様子。4人の女性は白黒の少しずつ違ったデザインのイヴニングドレスを着て、普通のシューズで踊っていましたが、衣装はとてもゴージャスで美しかったです。男性も全員正装。社交ダンスのような振り付けでした。ミニスカートにトウシューズの4人のウエイトレス達の踊りもとてもキュート。一人、男性のダンサーが1曲ピアノを演奏するサービスもありました。

 最後の「ウエスト・サイド・ストーリー・スイート」はジェローム・ロビンス振り付けで、初演は1995年。1957年のミュージカルと1960年の映画でおなじみのウエスト・サイド・ストーリーをもとにした作品です。ミュージカル仕立てで、ダンサー達は踊りながら歌も歌っていたので驚きました。歌手も何人か出てきて端で歌っていました。男性はジーンズにシャツと運動靴、女性は60年代風の色とりどりのフレアーワンピースとハイヒールの靴。男性ダンサーは、服を着るとタイツで踊っている時よりもとても細く見えました。さずがクラシックのバレリーナ達だけあって、ミュージカル風の踊りでも上手で感心しました。彼らは基礎訓練を積んでいるので、何でもカッコよく踊れるのですね。


「アメリカン・バレエ・シアター」

 6月末までメトロポリタン・オペラ・ハウスで公演をしているABTの作品を、今回は3つ観にいきました。5月28日の「リーズの結婚」。ABTの初演は2002年。2幕からなる構成です。振り付けはフレデリック・アシュトン。プリマのリーズ役はキューバ出身のショマラ・レイェス、プリンシパルのリーズに恋する農夫コラス役はスペイン出身のアンヘル・コレーリャ。

 のどかな農村風景をイラスト風に描いた背景がかわいらしかったです。頭に鶏の大きなかぶり物をしてお尻も丸く大きくした5人のダンサーがニワトリになって時々出てきて踊るところは、小さな子供も楽しめるものです。両腕に羽もつけていました。途中、本物の生きた馬も出てきて、手からえさを食べさせるシーンもありました。リーズが結婚させられようとしている大農場のドラ息子は、カサを股にはさんだりお尻を突き出してカッコ悪く踊っていて、客席を笑わせていました。このドラ息子は、嵐のシーンで風に吹かれて宙を飛んでいってしまいました。身体を上から吊ってあったようです。

 リーズの母親と4人の農女が木靴で、フラメンコのようにカチャカチャと音を立てて踊るところもおかしくて、観客は大笑いしていました。最後はリーズとコラスがやっと結婚できて、ハッピーエンド。コレーリャがずば抜けて踊りが上手で、とても驚きました。身体の軸がビクともしない! 回転している時に身体の中心が座っていて、非常に安定しています。プロでも多少は軸がブレたりするものですが、彼の場合は全くブレることがありませんでした。

 5月31日の「ロミオとジュリエット」。シェイクスピア原作の名作です。ABTでの初演は1985年。日本人のユリコ・カジヤさんも出演していました。嬉しいことです。ロミオ役はマルセロ・ゴメス、ジュリエット役はパロマ・ヘレーラ。振り付けはサー・ケネス・マクミラン。3幕からなる約3時間の超大作です。舞台背景も衣裳も何もかも美しすぎて、感動しました。パイプオルガンの音色を使った音楽もあり、驚きました。

 第一幕で、夜に下の庭からジュリエットを探しているロメオを、バルコニーの上にいるジュリエットが見つけて踊り、下に下りてきて2人で踊るシーンはとても印象的でした。バルコニーのジュリエットの後ろからライトがあたり、逆光に彼女が浮かび上がって、美しかったです。第3幕の最後の方、仮死状態のジュリエットを持ち上げて振り回すようにしてロミオが踊りました。どうしても彼女は動きません。この踊りも印象的です。ロミオも服毒自殺、やがて意識を取り戻したジュリエットもナイフで後追い自殺して、幕を閉じました。

 6月13日の「ドン・キホーテ」。恋人の幻を夢見て追うドン・キホーテと子分のサンチョ・パンサのおかしな2人組が旅をするスペインを舞台にした物語で、セルバンテス原作。ABTでの初演は1978年。これも3幕から成る3時間ほどの超大作。振り付けはマリウス・ぺティパ、アレキサンダー・ゴルスキー。プリマのキトゥリ役はイリナ・Dvorovenko、プリンシパルのバシル役はマキシム・ベロツェルコフスキー。彼らはプライベートでは夫婦でもあるので、息のピッタリ合った踊りを見せてくれました。

 ここにも日本人のユリコ・カジヤさんが出演していました。全て、衣装がとても美しかったです。セビージャの女性はスペイン風のカラフルな段々スカート。男性も女性も、中世の凝った服装でゴージャスでした。第一幕はスペイン・アンダルシア地方のセビージャのシーンで、舞台後方はセビージャの空のように真っ青。第2幕の、ドン・キホーテが昏睡状態のときに見る夢のシーンでは、妖精達がたくさん出てきて幻想的でした。全体にクラシック・バレエの難度の高い技巧を駆使した作品です。ピルエット15回転は何度かでてきたし、最後の3幕にはイリナの30回転があり、拍手喝采でした。

35.チャコット・webマガジン”Dance Cube”連載コラム 「ニューヨーク・ダンス直行便」
  vol.2  2003年6月号                        by ブルーシャ西村

  ダンサー達が踊っている最中に、彼らの肉体から白っぽいオーラが濃く発散し始めるのが見えるようになりました。最初は目の錯覚かと思っていましたが、観る公演全てに目で感じています。長年基礎訓練を積み、表現力のあるダンサーが舞台で踊る時、彼らの肉体は目に見えないパワーのようなものを発散させているようです。私の霊感のことを話すのは別の機会に譲り省略いたしますが、これは公演を生で観ることはビデオの100倍以上の価値があるということなのでしょう。何事も直接体験は、間接体験とは比べ物にならないほどいいことです。いつも世界の舞踏であふれ返っている街、ニューヨークにお越しの際は、ぜひ公演を生でご覧になって目で感じて吸収してください。
 さて今月は、画家、作家、ミュージシャンを兼ね備えた私らしいレポートをお送りします。


「リモン・ダンス・カンパニー」

 4月29日から5月11日まで、ジョイスシアターで、リモン・ダンス・カンパニーの公演が行われました。プログラムAとBの2種類に日程が分けられていて、各日4か5つの小品集でした。1946年に振付家のドリス・ハンフリーとホセ・リモンによって結成されたこのカンパニーは、今ではアメリカ3大モダン・ダンス・カンパニーの一つといわれ、従来のクラシック・バレエとは異なる舞踊法であるリモン・テクニックを確立。

 50年代のアメリカでは、身体に無理がかかる不自然なクラシック・バレエの舞踊法に反発し、トウシューズを脱ぎ捨ててもっと身体に自然な動きで表現しようと模索するモダン・ダンスのムーヴメントが活発になっていきました。

 クラシックは美しい肉体を生まれ持ったダンサーであることも重要視されますが、モダンやポスト・モダンでは見られたモンじゃない醜い肉体のダンサーも起用するようになっていったとのこと。友人に聞いた話だけなのでどんなに醜いのか想像がつかないけれど、短足やぶよぶよに太った肉体とかかしら? ファッション・デザイナーのジャン・ポール・ゴルチェが、わざと醜い顔や太ったモデルをパリコレに起用していたエピソードを思い出しました。とにかく、モダンではクラシックを壊して新しい舞踊法を作り出していきました。モダン・アートのムーヴメントと似ていますね。

 プログラムAとB両方とも観ましたが、今は亡きハンフリーとリモンの振り付けを再現した作品とその後の新しい作品がありました。現在のディレクターは、カーラ・マックスウェル。日本人ダンサーのリョウコ・クドウさんも出演。舞台装飾も衣装も簡素で地味で、こんな面まで豪華絢爛なクラシックとは大違い。衣装は、アメリカのセンスだからか何とも感じませんでした。女性ダンサーたちの体型は、明らかにクラシックの人達とはかけ離れているので、驚きました。使う筋肉、使わない筋肉の場所が全く違うのですね。全員ウエストが太く寸胴でした。

 特に印象に残っている作品は、リモン振り付けの"PSALM"(初演67年)と"THE UNSUNG"(初演70年)。年代からいって創設して20年以上経ってからの振り付けなので、彼の個性が確立された名作なのでしょう。両方とも、跳んで走ってスピード感があふれるものです。ダンサー達がものすごい勢いで次々に出てきて踊りながら舞台袖に消えていくといった感じです。

 全ての振り付けに共通する動作で私が気付いたものは3つあって、まず一つは両腕を伸ばして頭上に上げるときに両脇の力を抜いて閉じたままで肘と手の甲が前に向き、両手の平は肩幅より開いていることです。両脇を開いて腕を上げて両手指先を近付けるクラシックのアンオウと全く違います。

 2つ目は、上にアティテュ−ドのまま飛び上がるときには、両手を握って肘を伸ばして上に振り上げることです(写真参考)。

 3つ目は、上に両手を振り上げてはブンッと振り下げる時にそのまま同時に上体も下に下がり、片足が後ろに上がることです。これも上体を上げたまま片足を後ろに上げるクラシックと違いますね。リモン・テクニックの特色はリリース・テクニック(放つ)と呼ばれ、動作の反動と自然の力を利用したテクニックだそうです。


 「モンテカルロ・バレエ団」

 4月29日から5月3日まで、ブルックリンに位置するBAMで、モナコのモンテカルロ・バレエ団の「シンデレラ」の公演がありました。こちらで大人気です。振り付け・演出家は、フランス人のジャン・クリストフ・マイヨー。シンデレラはPaola Cantalupo, 父親はChiris Roelandt, 妖精はBernice Coppieters, 王子様はAsier Uriagereka。古典童話のシンデレラを現代風に脚色し直した、クラシック・バレエです。

 かぼちゃの馬車もガラスの靴も出てきません。三幕からなる2時間余りの構成。衣装、舞台装飾ともに素晴らしくセンスが良くて、美しいです。振り付けも、バレリーナ達の踊り方、演出の仕方も、透明感があり情感あふれていました。主な舞台装飾は、8枚くらいの巨大な白い紙のように見える板をランダムに並べただけ。シーンが変わるごとにその白紙に映像を投影して、移動させたりして、背景が変わっていきました。王子様主催の舞踏会のシーンから、大きな紙を蛇腹に折ったような角の丸い左右の側面のない階段が出てきます。これは本当に簡素な舞台装置ですが、映像のテクノロジーと合わさって、美しい上にいいアイデアで感心しました。

 現代風の脚本が面白い内容だったので、今回はあらすじを説明します。幸せと愛を失った家庭を舞台にした物語です。母が亡くなり、父が2人の娘連れの女性と再婚した新しい家庭で、シンデレラは女3人にいつもいじめられ、用事を言いつけられて孤独に耐え忍んでいました。シンデレラが亡き母の形見である白いドレスにほお擦りして母を思い出しているシーンから始まります。継母とその2人娘と、彼らにいじめられるシンデレラの間に入ってオロオロするだけで何も出来ない情けない父親。

 そこに突然謎の女性から宮廷の舞踏会の招待状が届き、継母とその2人娘はパニックになって鏡の前で衣装をとっかえひっかえします。このシーンは笑わせるもので、4体のマネキン風のダンサーが出てきて、ファッションショーのようでした。この3人、顔の化粧に力を入れすぎた余り、大慌てで半分しか衣装を着ないままで、シンデレラに用事を言いつけて舞踏会に出発。情けない父親像、出かける前に必要以上に時間のかかる化粧の濃い女性像を入れたのは、コメディーのノリですね。

 一人家に残されたシンデレラのもとに全身にラメを塗った薄黄緑色の妖精が現れて、先ほどの4人のマネキン達とともにシンデレラに古典の「シンデレラ物語」をグロテスクに話して聞かせます。
「2人の姉はガラスの靴が入るように指先を切り落としたんだってさ。」などと。
妖精は、シンデレラに納得させて亡き母のドレスを着せ、裸足の足に魔法をかけてラメをつけて輝かせました。シンデレラは妖精に舞踏会に連れて行かれます。

 そこでシンデレラは王子に見初められ、2人で踊りますが、真夜中には魔法が切れかけてきて足の輝きが取れてきてしまったので、あわてて妖精はシンデレラを連れ帰ります。王子はシンデレラに惚れてしまったので海を超え旅に出て探しますが、見つかりません。しかし、妖精の導きでシンデレラの家に到着します。王子を騙そうとした2人の姉の足の裏は黒くて汚かったのでばれて、最後に王子はシンデレラの白い足の裏を一目見て彼女だと見抜き、ハッピーエンド。二人には天井からラメのようなものが降ってきてキラキラしていました。一方、妖精は亡き妻の魂だったと分かった父親は、継母を放り出し、妖精が消えるまでペアで踊り続けました。


「ぺリダンス」

 5月10日、NYC工科大学で、ダンススクールを持つぺリダンス・カンパニーの「ぺリダンス・アンサンブル」と題した公演がありました。振り付け、演出家はスクールのディレクターであるイガール・ペリー。ここは、ニューヨークで唯一学生ビザを取れるダンススクールなので、日本人の学生が多く在籍していることもあり、カンパニーの出演ダンサー11人中5人が日本人。志形郷美、橋本現、加山結理、福田純一、瀬河寛司。1時間の小品集でした。

 舞台装置は後方に大きなスクリーンと、白い板2枚を屏風のようにくっつけたものが数組で、それらに映像を投影していました。瀬河寛司さんがイスを使って踊るシーンもありました。音楽はエレクトロニック。衣装はシンプルなのにとても格好よかったです。黒い透ける地のレオタードの下に赤や青の下着を着たり、男性は上半身裸と東洋風のラフなパンツ。

 振り付け、舞台装飾、衣装全てがとてもハイセンスで、イスラエル出身のペリーの感覚はダンサーにとどまらず芸術家ですね。振り付けが芸術的でシャープで、ビシッとキマッているのです。

 ダンサーのレベルはものすごく高くてびっくりしました。ジャンルはモダン・ダンスですが、彼らはクラシックの訓練をかなり受けてきたダンサーに違いありません。モダンしかやっていなかったら、どう転んでも絶対に踊れないような振り付けばかりでした。今まで観たモダンのなかで一番難度が高く、驚かされました。裸足で3回転、4回転はザラ。全て、下手なプロがやったらひざをいためてしまいそうな踊りでした。こんな実力派の彼らなのに3年に1度くらいしか公演しないうえ、小さな会場でやっているので、非常にもったいないです。大きな劇場で大勢のお客へ公演してほしいと願っています。


 「レニー・ハリス」

 5月13日から18日まで、ジョイスシアターで、振り付け、演出家のレニー・ハリスが率いる「フェイシング・メッカ」の公演がありました。劇場内に入った瞬間、非常に強い波動の霊気を頭上いっぱいに感じ、開演前だというのに鳥肌が立って止まなかったです。ものすごい数の霊がウワーッと集まってきていたのです。よく来るいつものシアターなのに、こんなことは初めてです。黙祷して感じていました。偉大な霊的存在がハリスを通じて何か大事なものを人々に伝えようとしているようです。その時私は、身体で表現することの重要性と、芸術は宗教を超えていることを悟りました。私も芸術の道を続けよう。ちなみに霊感が強い私は、911テロのワートレ跡なんて行っていません。(笑)とにかく、幕が上がる前にやられてしまいました。

 彼はヒップホップ・ダンサー達のカリスマ的存在で、20世紀のダンス界の巨人であるボブ・フォッシーやアルヴィン・エイリーと比較されているほど。フィラデルフィア出身のハリスは、ストリート系ヒップホップのダンス・テクニックをコンサート・ステージや劇場レベルにまで持ち込んだ、パワフルなスポークスマンでパイオニアだったのです。何と彼は、15歳から様々な教室やワークショップ、大学でダンスを教えていました。数々のヒップホップ・フェスティバルやダンス・フェスティバルに参加。92年にRHPM(レ二―・ハリス・ピュア・ムーヴメント)をフィラデルフィァで創設、雑多で豊かなアフリカン・アメリカンのヒップホップ・カルチャーの保存と普及活動をしています。

 ステージ上の下手端に5人のミュージシャンとDJがいて、全編生演奏付き。生の音は身体に響いてきますね。ミュージシャンもダンサーも全員黒人! 衣装は緩めの運動着のようなものが多く、靴はナイキのエアー。舞台装飾は、後ろに大きなスクリーンが1枚あり、そこに戦争やたくさんの死体や黒人のことなどのドキュメンタリー映像と写真を映していました。1時間半ノンストップのステージ。最初、一人の男性が歌いながら出てくるところから始まりました。パーカッションが粘っこく黒い音を刻み、リアル・アフリカと呼ばれる6/8拍子のリズムやラテンとファンクが融合したブーガルーが中心で、ヒップホップのリズムもありました。音楽、映像の効果もあって、お客はトランス状態に持っていかれました。

 男性ダンサー達は、バック転バック中を繰り返し、女性達は這いつくばって踊るように進んでいくものは、見ていて激しかったです。ブレイクダンスのようなものもありました。途中、アフリカの裾の長い黄色い民族衣装を来たラッパーが、口にマイクをくっつけたままでリズムの音を出すシーンが長く、圧巻でした。彼とDJのスクラッチのセッションで、本当に上手な本物を目の当たりにしてびっくりしました。唇が強烈に分厚くないとあんな音は出せません。

 あと、出ましたね、頭を床につけて逆立ちしたままグルグルと猛スピードでスピンする、フィギアスケートが逆さまになったようなやつ。この時はさすがに、ダンス公演とは思えないくらいの大喝采でした。ブラジルの民族楽器であるビリンバウを奏でながら踊るシーンもあり、アフリカンダンスからヒップホップへと広がる流れの中でブラジルの影響も垣間見られ、人種のるつぼアメリカならでは。

 ラスタヘアーのハリス本人も時々出ていましたが、最後のソロの長い踊りは、もともとの振り付けに、おそらく音と映像を感じながら身体を動かす即興を加えたもので、例えると「頭のおかしな人」の踊り。よくもまあ、恥ずかしげもなくあそこまで自分の延髄の感触を公衆にさらけ出せるものだなあとあっけにとられて、ショックでした。踊りっていうより、身体の振動です。完全にイっていました。全体で気付いた特色は、数人のダンサーが同じ振り付けのものを踊っていても、バラバラなのです。でもそれぞれの動きはキマッているので、各人の解釈と個性、体格を生かして踊っているということです。また、身体の動きは、全ての関節がリラックスして開いている状態で踊っています。全員がピシッと揃って、下半身を固めて踊るクラシック・バレエと正反対ですね。

 終演後の公開インタビューで彼は、「自由を感じて身体を開放し、スピリチュアルなものを表現している。ヒップホップのパワーで観客をアフリカの起源と祭りのスピリチュアルな旅へといざなう」と語りました。


「ニューヨーク・シティー・バレエ」

 4月29日から6月29日まで、リンカーンセンターのニューヨーク・ステート・シアターで、ニューヨーク・シティー・バレエの第118回目のシーズン公演が行われています。私が観たのは5月9日の「白鳥の湖」と、5月16日の「オール・バランシン・プログラム」。音楽は全てオーケストラの生演奏。ここのバレリーナたちは、全員手足が長く細い。そういう体型の人を採用しているのでしょうね。

 チャイコフスキー作曲のお馴染みの古典「白鳥の湖」は、ピーター・マーティンスが振り付けし直したものです。衣装も舞台背景も豪華絢爛で、正統派のバレエです。2幕で2時間ほどの構成。オデット姫はマリア・コフロスキ、王子様はフィリップ・ニール。森の湖のシーンは、舞台背景が綺麗で幻想的で、とても印象に残っています。緑や水色などに光が透けて見えて、月夜を表しています。

 私も昔習った大好きな踊りである4羽の白鳥のシーンでは、懐かしい気持ちでいっぱいでした。古典なので振り付けはほとんど同じなのですね。最後にオデットや白鳥達が皆消えて王子が一人残されるシーンで、舞台上手にいる白鳥達の後ろ下からライトが当たり、夜の暗闇の向こう側から差し込む朝日のようで、とても美しかったです。

 「オール・バランシン・プログラム」は、ジョージ・バランシンの振り付けを再現した3つの小品集です。1つ目はGaetano Donizetti (1797-1848)作曲のオペラ「ドン・セバスチャン」の曲に乗せた60年初演の「ドニゼッティ・バリエーションズ」。プリマはイヴォンヌ・Borree、プリンシパルはニコラ・ユーブ(Hubbe)。11名のバレリーナによる、オルゴールの人形のような抑えた感じの振り付けでした。女性の衣装は、薄いシフォンのパステルカラーの膝丈スカートとブラウスで、ロマンティックな可愛らしいもの。

 1箇所笑わせるシーンがあり、9名が踊る前に前奏を聞いて止まっている時、前の一人がこっそり踊り始めて、足をくじいて痛そうな顔をして、元の位置に戻りました。次は、57年初演のストラヴィンスキーの曲による57年初演の「Agon」。振り付けを合わせるのが難しそうな曲ばかりで、ハープの音が目立っていました。モダンっぽいクラシックの振り付けで、衣装は全員、黒いレオタードだけ。一拍ずつずれながら、交互に同じ振り付けをしたり、全く同じ振り付けを最初と途中に繰り返したり、反復が特徴でした。

 最後は64年初演の「チャイコフスキー・ピアノコンチェルトNo.2」。
男女8人ずつが斜めに2列に並んで始まります。女性の衣装は薄いパステルカラーで、全員頭にはティアラを付けてロマンティックでした。振り付けはベーシックなクラシックのものでした。


「ABT」

5月5日から6月28日まで、メトロポリタン・オペラ・ハウスにて、ABT(アメリカン・バレエ・シアター)の公演が行われています。この劇場は最高で、優雅な気分になれます。幕間に立ち寄れる劇場内のカフェではサンドやケーキ、シャンパンなどが売られています。フルーツタルトはレモンクリームで美味しかったです。冬は、現在オペラで世界一のレベルと言われているメトロポリタン・オペラの公演が行われる劇場です。

 ABTの芸術監督はケヴィン・マッケンジー、総監督はエリザベス・ハ−ペル・ケラー。

 今回私が観たのは、5月15日の「ラ・バヤデール」。遠い昔の、インドの王室のお話で、永遠の愛、ミステリー、宿命、復讐、因果応報を表現した悲恋の物語です。3時間近い超長編の作品のため、滅多に上演されないものらしいです。去年ロシアのバレエ団がニューヨークでこの作品を公演したので、ABTもそれに刺激を受けたのでしょうと友人が語っていました。

 バレリーナ達の体型は細目から太目まで様々で、身体の形も色々なので、ここではバレリーナの表現力を重視して採用しているのだと思われます。現在の振り付け・演出家はナタリア・マカロワ、プリマのニキヤ役はアルゼンチン出身のパロマ・ヘレーラ、プリンシパルのサロー役はキューバ出身のホセ・マヌエル・カレーニョ。ラテン系の熱い激しい組み合わせですが、この作品は情熱的な面は抑えられた感じの演出作品でした。

 非常に驚いたのが、パロマのずば抜けた肉体と足の形! なんてバレエに向いた非の打ち所のない、恵まれた身体なのでしょう! トウなんて、かかとよりも下に丸く弓なりになっています。こんな恵まれた肉体を生まれ持った彼女は、バレリーナこそが天職です。バレエだけは子供の頃から訓練しないと踊れないので、本来はバレエでなく他のことに天職の可能性がある人々もバレリーナになっていることは多いだろうと想像できます。かつての私も、幼少時からやることによって他の可能性を狭めているのではないかと考え、せっかく一度築いたバレエを壊して、自分の本当の天職とは何か探った時期があったからです。しかしパロマの天職はバレエに間違いない、彼女の持つ特別に弓なりのトウでただ舞台を歩いただけで美しい絵になり、そこだけパッと空間が違いました。明らかに、プロの中でのどんぐりの背比べから、抜きん出ています。彼女の踊りを、ため息をつきながら見つめて、人生について色々と考えさせられてしまいました。

 この作品で一番有名なシーンは、第二幕の、24人のバレリーナが1人ずつ出てきてアラベスクで進みながら、月光の中で踊るところと、主人公の2人が長いひもを持って踊るところです。この長い紐は日本でいう運命の赤い糸を表現しているのでしょうね。

34.チャコット・webマガジン”Dance Cube”連載コラム 「ニューヨーク・ダンス直行便」
  vol.1  2003年5月号                         by ブルーシャ西村

 摩天楼のイメージしかなかったマンハッタンにも桜の木があちこちにあるのを知り、驚いた今日この頃。只今春真っ盛り。桜やモクレンの花が満開でとても美しい街並みになっています。高層ビルで埋まる世界一の大都会で生活していると、今まで感じたことがないほど改めて自然の花の美しさに敏感になり、その存在をありがたく思うようになりました。バレエやミュージカルも、ニューヨークにとっては花のような存在です。自然の少ない大都会で暮らす人々にとって、劇場や美術館やライヴ・ハウスに通うことは癒しのために必要なことだったのだと実感しました。

 さて、今月からバトンタッチで毎月ニューヨークレポートを書かせていただくことになりましたノンフィクション作家のブルーシャ西村です。幼少時から13年間クラシックバレエを学んだので、懐かしく思い出しながら楽しんで公演を拝見しています。できるだけ臨場感のある面白いレポートになるように努めます。どうぞよろしく。

 今回楽しみにしていたシティーセンターでのシュトゥットゥガルト・バレエは公演中止になりました。テロのあと、芸術家に対してもビザが一段と厳しくなったため、公演中止はあちこちで耳にします。残念なことですね。

「エイフマン・バレエ」

 ロシアのシベリア出身の振付家で演出家、ボーリス・エイフマンが率いるバレエ団の「フー'ズ・フー」と「ピノキオ」の2品の公演が4月4日から20日まで、シティーセンターでありました。クラシックバレエの技術が生かされた振り付けなのに、斬新なアイデアがいっぱいで、演出、衣装、舞台装飾ともにとても美しいです。選りすぐりのダンサー達の肉体は、鍛えぬかれて削ぎ落とされ、引き締まっていました。

 「フー'ズ・フー」は、幕が開いてすぐ、その衣装の色の組み合わせの美しさに見とれて鳥肌が立ちました。多数のダンサーが寄り添って船に揺られている様子の旅人達を演じているシーンで始まりますが、その衣装の色は全て色とりどりの中間色。ベージュ系やグレイ系をベースにしてそれに少し赤や紫や緑が混ざった色をたくさん使い、ビビッドな色を一色も使わずして、ダークなトーンなのにカラフルな不思議な感じ。脳裏でロシアの建築物の色を思い出しました。これは日本にもアメリカにもスペインにも無い色使いです。ロシアの町並みの景色をご覧になったことがありますか?それはとても美しい中間色の組み合わせです。そんなロシアの建築物と同じような色使いの衣装。舞台装飾家はスラワ・オクネフ。

 2幕からなる2時間余りの構成で、デューク・エリントンの曲がたくさん使われていて、舞台も1920年代風のイメージ。ギャングが人殺しをするところを偶然見てしまった2人の男の旅人が、彼らに追われて女装をして逃げます。彼らはユーリ・スメカロフとコンスタンティン・マツレフスキー。その時上手く逃げ切れたので、この2人はナイトクラブの女性ダンサーのオーディションを受けて採用され、女性ダンサーとして隠れて過ごします。ナイトクラブ・ダンサー達の衣装はアメリカの20年代風の赤と黒が中心。振り付けもセクシーなもの。杖を使って踊るシーンも素敵。男性ダンサーが女装をして女役で踊るシーンがたくさんあり、観客は笑いの渦へ。舞台上でダンサー達が着替えるシーンが時々あって、度肝を抜かれました。

 他に印象に残ったシーンは、第2幕の最後のほうです。バレリーナに憧れているけれど踊れない女の子が、両手にトウシューズを履いて、手と腕でバレエの足の動きを表現。ほら、バレエの先生が教える時に、「ピケ、ピケ、パッセ、アティチュード、シェネ・・・」とか言いながら手で振りをやるでしょう?あれをそのまま振り付けに使っていました。バレリーナはナタリア・ポボロスニウク。そして、真っ暗な舞台で彼女だけに丸く証明を落とし、彼女はついにトウシューズを足に履きます。そしてヨロヨロと踊りだしました。しゃがんだままトウで立ったり、足を伸ばしたと思ったらひっくり返りそうになって男性バレリーナに抱きかかえられたり。プロの踊れるダンサーが、全く踊れない役でヨロヨロと踊る振り付けなんて、今まで見たことがありません。それなのに基本はクラシックのテクニックを使い、モダンの振り付けとは全く違います。とても斬新でオリジナルな振り付けで驚きました。

 「ピノキオ」は、19日と20日の土日公演のみ。こちらはイースターの時期だったのと、有名な童話が題材のバレエとあって、小さな子供を連れた親子がたくさん観に来ていました。衣装と舞台背景は、「フー'ズ・フー」と全く感じが違って、おもちゃ箱をひっくり返したような明るいカラフルなもの。つけ鼻を付け足したメイクときれいな黄色の衣装で、木で出来たピノキオを演じたのは、小柄な男性バレリーナのエフゲニー・リカノフ。最後に本物の人間に生まれ変わったピノキオを演じたのは、ユーリ・スメカロフ。木のピノキオがアルファベットを習ったり、悪魔と天使の間を行ったり来たりして成長していくお話です。最後は炎の中に飛び込んで丸焦げになってしまいます。すると、本物の人間の男の子になって生まれ変わりました。ピノキオの恋するもう一人の女の子の人形も人間になります。

 ところが、舞台最後の方のシーンで、人間のピノキオの踊りが始まってすぐ、ユーリが床に右ひざを叩きつけて顔をしかめて、足を引きずりながら下手の舞台袖にサッと入っていきました。舞台袖から誰かの腕がサッと伸びて、ユーリを引っ張りいれました。「あれ?これは変わった振り付けなのかな?」と思ったけれど、どうも女の子の人形の踊り方がおかしい、男性バレリーナとペアで踊るはずの振り付けっぽい!その時になって、ユーリが舞台上で怪我をしてしまったのだと気付きました。それにしても、主役の男性抜きのまま、周りのダンサー達は何事も無かったかのように振る舞い、立派に踊っていました。さすがプロ根性。観客も特にざわついた様子もなく、静かでした。心配したけれど、やはりそれ以降は、最後まで一度もユーリは出て来ませんでした。バレリーナが本番の舞台上で観客の目の前で怪我をするのを見たのは、初めてです。こんな体験は一生のうち、できる機会はまずないでしょう。痛そうでした。早く御回復なさるように、お祈りいたします。


「バレエ・テック」

 3月11日から4月13日まで、チェルシーにあるジョイス・シアターでバレエ・テックの公演がありました。振付家、演出家のエリオット・フェルドが率いるニューヨークのバレエ・テック・スクールを持つバレエ団。この学校は1978年にプログラムがスタート。プロになる才能とポテンシャルを持つ子供をオーディションで選抜し、レオタードも授業料も無料でバレエ教育をします。貧しい家庭の子供でも才能があれば、世界で一流のダンサーからバレエを学ぶ機会が与えられるとは素晴らしいことです。さすがアメリカ、ニューヨーク。ここは、生まれや出身を問わず、才能と実力があれば誰にでも機会が与えられ、受け容れられる街。本人の才能と努力次第でいくらでもチャンスが掴める素晴らしいところです。

 今回は若々しいダンサー達が、毎回違った小品集を上演。肉体は、締まっているというより、ピチピチして肉付きも良いので、20歳前後の若い世代のダンサー達だと思われます。プログラムを見て後で知りましたが、4月10日の公演ではゲストダンサーとして、伝説のミハイル・バリシニコフがソロで踊っています。大阪出身の日本人ダンサーのジュンイチ・フクダさんも時々出演していました。観れなかったけれど、嬉しいことですね。

 私が観たのは、「ストロー・ハーツ」、「パシフィック・ダンスズ」、「ビーホールド・ザ・マン」の3つの小品。幕は開演前から開いていて、舞台上でダンサー達がウォームアップをして踊っていたのでびっくり。学校での様子を見せるためなのでしょうか?「ストロー・ハーツ」では、台湾人であるウーカン・チェンがプリンシパルだったので同じ東洋人として、つい応援したい気持ちになりました。これは恋の物語で、クラシックを中心とした振り付けですが、ポルカもありました。

「パシフィック・ダンスズ」はとても印象に残っています。9人ものダンサー達が全員真っ白のレオタードを着てトウ・シューズで出てきて、舞台いっぱいの大きな白い布を使って踊りました。音楽は、ハワイアン・スラック・キー・ギターによるもので、振り付けと布ととても合っていました。この奏法は、普通のギターの弦を緩めて弾くやり方で、ギュイーンと音が伸びて上がります。海の波や水の動きを想像させるような音色です。大きな布を波打たせたり、上にあげて反対側に動いて大きな筒状にして円を見せたり。振り付けも音と布と同様、全員で同じ方向に身体をひねって回ったりしていました。「ビーホールド・ザ・マン」は、5人によるものですが、実は照明が当たっているのはほとんど一人の黒人男性ダンサーです。彼は裸身に点灯した電球をつけて登場。他のダンサー達が手にもって調節している、上から垂れた綱で身体を吊っていて、宙に浮きながら踊りました。


「インバル・ピント・ダンス・カンパニー」

 4月22日から27日まで、ジョイス・シアターでイスラエルのインバル・ピント・ダンス・カンパニー「オイスター」の公演がありました。振付と舞台装飾はインバル・ピント、演出家はアウシャロム・ポラック。これはクラシックではなく、モダンダンスのジャンルに入ります。作品は1時間の短いもの。衣装、舞台背景、化粧など全て、とても絵画的でした。天井から綱でダンサーを吊るして踊るシーンは、人が空を飛んでいるシャガールの絵のようでした。顔は白塗り、下着のようなレースの衣装。片手だけ足よりも長い腕をつけてクラシックバレエの振り付けで踊ったり、わざと猫背で老人のように踊ったり、ペアで踊っている最中に勢いあまって舞台袖にはみ出たと同時に音楽が消えて、また出て来たと同時に音楽も続いたり、観客は笑って楽しんでいました。音楽だけで笑ってしまったものは、本格的なオペラのソプラノでマンボを歌っているもの。ヘブライ語の音楽も多用されていました。

 すごくキュートでかわいかったシーンは、2人のダンサーが並んで後ろを向いて立った状態で身体を前に2つに折り、両手を床について、足を伸ばしたまま踊ったもの。短いチュチュの下は真っ赤なレースひらひらのパンツ。最初のうちは、「これは人間の足だ」と認識していたはずなのに、その足の動きを見ているうちに、赤パンツのハート状のお尻が顔でそこから2本足が伸びている生物のように見えてきて仕方がなかったです。人間の肉体は、向きと使い方によって違うものですね。両手と両足を赤リボンで結んで、マリオネットのような動きの踊りも面白かったです。

 偶然この日は、スペインのマジョルカ島で4年間近所に住んだ後ロンドンに帰って活躍中の舞台装飾家の友人、スティーヴンと一緒に観劇。彼がニューヨークに旅行中の幸いだね。彼は昔、7年間、世界中のパフォーマーに多大な影響を与えた巨匠リンゼイ・ケンプ・カンパニーの衣装と舞台のデザイナーとして参加し、全ての大陸に講演旅行した経験があります。彼曰く、「この公演は、全てにリンゼイ・ケンプの影響がたくさんあるよ」とのこと。衣装、化粧、猫背の踊り、リボンを使うこと、音楽が途中で消えて舞台に引っ込んでまた続きが始まることなど。彼はリンゼイとともにイスラエルに滞在したこともあるそう。何々、ちょっと話を聞かせておくれと彼とあとでプレイ・ビルを見ながらお茶をしていると、あったあった。インバルが参加していたバト・シェバ・カンパニー、ダンサーのケレンが参加していたコル・デママ・カンパニーで、リンゼイは度々ワークショップを行い、スティーヴンもその場にいたとのこと。そりゃ、影響が垣間見られるはずですね。デヴィッド・ボウイが弟子入りしたという伝説のリンゼイ・ケンプは、今では「クラシックバレエ」のように「リンゼイ風ダンス」という一つのジャンルに完成していることを改めて認識しました。リンゼイは68歳の今でもまだ元気で、ローマに住んでいて、振り付けをしたり教えたりしているそう。いつか、スティーヴンと一緒にローマのリンゼイを訪ねて、インタビュー取材をしたいですね。


「シカゴ」

 ロングランのブロードウェイ・ミュージカル、「シカゴ」を観にいきました!アメリカで公開中の映画版「シカゴ」を観て素晴らしかったので、ミュージカルのほうも期待していたから。周りのダンサーやアメリカ人で見た人々は皆、「素晴らしい」と太鼓判。中には5回も観た人がいました。日本でももうすぐ映画が公開ですね。それを観て気に入った人は、ぜひいつかブロードウェイのミュージカルのほうも観劇してください。初めて1973年に同時にミュージカルのトニー賞、テレビのエミー賞、映画のアカデミー賞を「キャバレー」で受賞した振付家、演出家のボブ・フォッシーが創作したミュージカル。

 現在は彼の弟子であるアン・レインキングが、ボブ・フォッシーのスタイルで新たに振り付けしなおしたものが上演されています。現在の演出家はワルター・ボビー。歌も踊りもふんだんな演出。1920年代のシカゴのナイトクラブが舞台。音楽も14人の楽団による生演奏で音も分厚くて良かっです。ジャズの曲が多く、俳優はダンス出身の人達と歌出身の人達で構成されています。

 歌っているところを観ていると、皆、拳が口に入るのではないかと思うくらい、口がでかい!顔を見ているだけで迫力満点でした。ダンサーの肉体は鍛えぬかれて締まっていて、特に黒人の男性ダンサー達は、ボディービルダーかと思うくらいに筋肉ムキムキ。シカゴのナイトクラブを仕切る夜の男達を表現するため、こういう肉体のキャストを選んだのでしょう。このミュージカルで個人的に好きな曲は、「ウェン・ユー・アー・グッド・トゥー・ママ」。印象に残っているシーンは、たくさんのダンサー達が両手に白い羽で出来た大きな扇子を手にもって動かして踊るところ、銀色のポンポンを持って踊るところ、後ろで音のないタップダンスを3人の男性ダンサーが、舞台背景の一つとして絵のようにやるところなど。時々出てきてソプラノのオペラ風に歌っていた歌手が、実は女装の男性歌手で、最後にカツラを取って放り投げて正体を出した時にはびっくりしました。なんか、女性にしては顔も身体もごっついなあと思っていましたが。観終った後は、パワーをもらって呆然としていました。やっぱり、生演奏と歌と踊りが一緒になったミュージカルは、偉大な総合芸術です。

 次回は、5月からシーズンが始まるABTやニューヨーク・シティー・バレエなどをレポートします。
 

33.リクルート AB-Road 連載コラム「旅で出会ったアートな人々」 vol.7 (2004.06月号)

「マダレーヌ・デイヴィス」
Madeleine Davis
 世界的に大成功したポッ
プグループBoney Mの元
メンバー、シンガーソング
ライター。アメリカ・アト
ランタ出身。ドイツに20
年ほど住んだ後、再び故郷
に戻り、現在ソロ活動開始。 

「隣の席に導かれた"運命的な出会い"」

 マダレーヌに出会ったのは、2002年秋、当時住んでいたマヨルカ島で。私はアメリカのビザも無事に取れて、ニューヨークに引っ越す直前に一旦マヨルカ島に戻り、翌年に控えていた個展準備などをしていた。この個展は日本人としては珍しくその3年前に審査に通り、スペイン政府のギャラリーにて行ったもので私の人生にとって大事な出来事だった。

 そんな時、夜な夜なドイツ人の友人とビールを飲んで話し込んでいたら、彼らのパーティーに私も呼んでくださった。そこに来ていたのがマダレーヌ。偶然にも私達は隣の席だった。でも私は著名な彼女について全く知らなかった。出会ってすぐとても気が合って、数分後には2人ともすっかり打ち解けていた。

 彼女は両手を胸に当てて" I feel you! 貴女は何て素晴らしいの!私のハートは1度もウソをついたことがないのよ!勘は外れたことがないの!"と話し始めた。サウナに入っていた時に「ここに居てはいけない、すぐに出なければ!」と彼女のハートが感じたので、出たら数分後にサウナが火事になって数人亡くなったり、友人宅に行ってそこの波動が悪くて気分が悪くなって帰ったら、その日に同じビルの階下の住人がそこで自殺していたことが分かったそうだ。彼女はハートで何でも感じてその通りに生きてきたのだ。


「博士号を持つピアニスト 音楽は人生そのもの」

 マダレーヌは子供の頃から音楽が大好きで、クラシック・ピアノのレッスンを受けていた。オペラ歌手にも憧れていたけれど体格が華奢なのであきらめ、大学、大学院と音楽科でクラシックピアノを専攻して学んだ。実は彼女は博士号を持つドクター・デイヴィスで、時々大学で講師を務める。若い頃はニューヨークに住んで歌手として活動していた時期もある。

 その後機会を得てドイツに渡って活動を続けていた頃、Boney Mのメンバーとしてデビューしてチャンスをつかんだ。その後、Boney Mはヨーロッパのポップス・ヒットチャートでナンバーワンになり、スター街道を走り、世界中を公演旅行して周った。

「Boney Mに加わって活動していくことは天からの私の使命であり、運命だったと信じています。2−3日ごとに転々と移動する多忙なスケジュールで大変だったけれど、とてもいい経験だった。音楽を通じて世の中に何かを伝えることが、私の役目だと思います。歌は私の人生そのものなので、年を取っても倒れるまで歌い続けるわよ」と語る。本当に歌が大好きなのだ。

 現在はアトランタに戻り、ソロ活動を再開し始めた。日曜日には教会でパイプオルガンを演奏し、普段は作曲する日々を送っている。

「1日も早くあなたに会いたくてたまらない、一緒に音楽活動をしたい、楽しそうだもの。あなたは魔法使いなんだから、曲くらい天から降ってくるから大丈夫!」と言う彼女。光栄です。いいコンビの誕生かも! 

32.リクルート AB-Road 連載コラム「旅で出会ったアートな人々」 vol.6 (2004.05月号)

Stephen Brown
スティーブン・ブラウン

1959年12月2日生ま
れ。舞台装飾家、デザイナ
ー、インテリアデザイナー、
芸術家。5ヶ国語に堪能。
80年代に7年間、リンゼ
イ・ケンプ・カンパニーに
参加、全大陸を公演旅行。

"マヨルカ時代からの友人"

 スティーブンとは地中海のマヨルカ島に住んでいた時に出会った。彼はイギリス人で黒人と白人のハーフ、父はナイジェリアの部族の酋長で、孤児院で7年間過ごし、貴族の養子になったという映画のネタのような人生を過ごしてきた。

 夜に出歩いていた時に、皆が集まるバーで出会ったように記憶している。家の中にじっとしていても友達は増えないし、語学の上達のために夜な夜な出かけていた私。彼は4年間近所に住んでいて、同じアーティストということもあって、話題が合ってお互いに刺激しあったいい友人である。私がDJをやる時にはよく来てくれたっけ。

 そんな彼は2年前にロンドンに帰りオペラの舞台装飾の仕事に就いて、私は徐々にNYに移動しつつ、1年前からビザも取ってNYに引っ越してきている。そんな彼もNYに引越しをたくらんでいる。彼は去年3回、各1ヶ月ずつNYに滞在し、再会を楽しんで感慨深かった。年末年始にかけて、彼はまたNYに滞在してお店の装飾デザインの仕事をしていたので、何度か会って楽しい時を過ごした。マヨルカで近所で過ごして、その後ロンドンとNYへと散らばって、またNYで再会しているなんて感動的で嬉しかった。早く彼もビザを取って、NYに引っ越してきたらどんなに楽しいだろう。

"全大陸を公演旅行した掛け替えのない経験"

 彼は元来ラッキー。大学生の20歳の時にロンドンで、近所の映画監督の家に遊びに行っていて、そこで伝説のパフォーマー、リンゼイ・ケンプに出会い、スカウトされて彼の劇団に参加。

「最初は6ヶ月契約だったのに、いつの間にか結局は7年間も仕事をしていたんだ。80から86年まで、彼の劇団で働いて、世界中、全ての大陸に公演旅行をしていい経験になった。僕はリンゼイと出会い、共に仕事をする運命だったんだよ。僕は旅行が大好きだったので、とても楽しい仕事だった。僕は舞台装飾、衣装デザインを担当していたよ」と語る。

 リンゼイ・ケンプは1900年台初頭の伝説的ロシア人ダンサー・ニジンスキーに憧れ、顔を白塗りにして、60年代にロンドンでアングラなクラブシーンでパントマイムをしていた。無名時代のデヴィッド・ボウイが弟子入りしたことで知られている。その後ボウイのデビュー後、リンゼイも彼のツアーのパフォーマーとして参加しブレイクした。彼は世界中のパフォーマーに大影響を与えた人。スティーヴンは、そんな彼の大事な片腕だったのだ。

 劇団でローマに1年間滞在時にはオートクチュール・デザイナーのバレンチノと知り合い、服飾デザインを直伝で教わり、長身を生かして彼のファッションショーにモデルとして参加した経験もある。

「僕の性分はジプシーなんだ。1箇所にじっと定住していられない。旅が大好きで、面白い人々に出会うことが楽しみなんだよ」と語る。

31.リクルート AB-Road 連載コラム「旅で出会ったアートな人々」 vol. 5(2004.04月号)

Al Kooper アル・クーパー

1944.2.5.ブルックリン生ま
れ。プロデューサー、シン
ガーソングライター、サウ
ンドエンジニア。元バーク
リー音楽院教授。ロック史
上に残る数々の名盤をプロ
デュースした世界的大御所。

"2003年夏にルポ取材"

 ロック黄金時代に大活躍したミュージシャン、プロデューサーで、数々の名盤の影には必ずと言っていいほど彼の名前が記されている謎の人物。名盤のクレジットをチェックすれば、「アル・クーパー」、あれ?また「アル・クーパー」、ここにも「アル・クーパー」!何だこの人は?どこをどうほっつき歩いていたのか、アメリカにもイギリスにも出没し、名盤誕生の歴史的瞬間に参加しまくっている。

 前から彼に取材したいと願っていたので、ニューヨークで去年、とうとうルポ取材の念願がかなって長時間取材させていただいた。最初は私のボス共々、取材を断られていたのに、ライヴ会場に現れた私を一目見て「あれエ?」という驚きの顔をして、最終的に取材O.K.に!私のキャラクターのお陰。

「何でか分からないけど、君といると非常にコンフォタブルだ」と彼は不思議がり、スタジオ見学までさせていただけた。

 彼はボブ・ディラン、ジミ・ヘンドリックス、ビートルズ、ローリングストーンズなどの録音に参加し、ブラッド・スウェット&ティアーズや、レーナード・スキナード、ミリオンセラーの「スーパーセッション」などロック史上に残る数々の名盤をプロデュースした。現在はヒップホップのサンプルネタとしても再評価を受けている。私も彼と同じオルガンを幼少時からやっているため、以前から憧れていて彼のフレーズは片っ端からコピーしたものだ。もちろんDJ時代には彼の曲も選曲した。

 彼はニューヨーク、ロンドン、アトランタ、ロス・アンジェルス、テキサス、ナッシュビルなどをいい音楽を求めて転々と移動してきた旅人である。「なぜ何回も引越ししたのですか?」と尋ねると、「新しいことを学ぶためだよ。同じ都会でもニューヨークとロンドンでは出会う人々も学ぶ内容も全く違うし、テキサスみたいな片田舎では都会とは違うことが学べる。私は旅と引っ越しで色々なことを学んで成長してきたんだよ」とのこと。人生が旅と音楽そのものの、パワフルな人だ。

"日本限定のソロアルバム"

 2003年6月、彼は奇跡の初ライヴを日本で行った。約30年前に用事で来日して以来の2度目の来日。彼は、日本では母国アメリカでは受けないほどの尊敬を受けることが出来る国だ、という。「日本は、私の全てのアルバムがCD化されている世界で唯一の国なんだ。今年の4か5月頃に、日本限定で30年ぶりにソロアルバムを出す予定。私はソロアルバムは1975年の"Act Like Nothing Is Wrong"以来、出していない。それ以後に出したアルバムは他のミュージシャンとの共作だった。アルバムを出さなかった30年間の間に作った曲を整理し終わったら、なんと130曲もあった。今回のアルバムはこの中からベストソングを選りすぐるので私の最高傑作になるだろう」と語る。

 彼にとって、日本は一生忘れられない国になるでしょうね。また日本にツアーに行きたいそうです。
 

30.リクルート AB-Road 連載コラム「旅で出会ったアートな人々」 vol.4 (2004.03月号)


 「宮本亜門」
ミュージカル演出家。東洋
人演出家として初めて来年
11月から、ニューヨーク
のオン・ブロードウェイで
ミュージカル「太平洋序曲」
を上演予定。

 "日本では出来ない出会い"

 元祖違いの分かる男・宮本亜門氏。ニューヨークならではの出会いと言えるだろう。日本では出会えないような人に海外ではひょこっと出会えてしまう。彼が東洋人演出家として初の快挙で、オン・ブロードウェイ・ミュージカルで演出作品を上演することが今夏に決定してすぐコンタクトを取り、インタビュー取材しに行ったことがきっかけ。本当に気さくな人で、出会ってすぐに打ち解けた。彼は今までずっと、直観だけで生きてきたそうだ。何事を成し遂げるにも直観力が最後には一番大事なようですね。

 "自分の再確認の旅"

 彼が初めてニューヨークに来たのは21歳の時。子供の頃からブロードウェイやハリウッドに憧れていて、その後は2年に1回は来て、20代の頃はレッスンを受けていたそうだ。ミュージカルの出演者兼振付家としてキャリアを積んでいた27‐28歳頃、日本のミュージカルでは西洋文化を追い求めて、皆で金髪のカツラを付けてト二―とかマリアという名前で呼び合ったりしていることに疑問を持ち始めた。
「西洋化、物質化していく自分の乗っているレールがむなしかったのです。背中の裏側に穴があいた様な状態。自分が日本人であるというルーツを確認したかったのでヨーロッパに行きました。」と彼は当時を振り返る。

 そして27歳でロンドンに行き、バックパッカーでヨーロッパ中を周り、ヨーロッパの文化に触れ、違う文化が隣り合っていることを知った。その当時ロンドン滞在中に、天安門事件が起こった。バーで亜門氏達が飲んでいるところに、イギリス人が「お前はなに人だ?こんな時に一体何をやっているんだ?日本の隣の国が大変な時なのに、平気でビールを飲んでいるなんて!」と言ってきた。テレビを見ると戦車が人々を轢いていて、自分が何も分かっていなかったことに気がついた。

 自分がアジアを見ていなかったことを改めて知り、アジアを再確認しようと思い立って、その後、中国、フィリピン、ネパール、チベット、インド、インドネシア、カンボジアなどを旅行した。同じアジアでも、東京のような近代都市とは全く違う人生観、宗教観に触れて、もっとアジアを理解しようとした。タイの影絵芝居、インドのぐるぐる回った民族舞踊、チベットの宴の歌などを見て、何てたくさんの歌や踊りがあるのだろうと思い、ブロードウェイは舞台芸術のほんの一部にしか過ぎないということに気がついた。色々なことを新たに知り、視野が広がった旅。

「演出家というのは、船の舵取りのようなものだと思っています。その船にはアジアやヨーロッパ、アフリカなど色々な人種のゲストが乗っていて、南米やアフリカなど色々な目的地に行きたいのです。」と亜門氏は語る。実際に旅に出て直に海外を見て歩いてみることは、想像以上に糧になるかけがえのない経験なのですね。

29.リクルート AB-Road 連載コラム「旅で出会ったアートな人々」 vol.3(2004.02月号)

「アリ・ターンズ」
Ali Turns
ニューヨーク生まれのアメ
リカ人、現在ハーレム在住。
コスチューム・デザイナー。
ミシガン大学などで講師も
務める。料理が得意で人気
者。老後にソウルフードレ
ストランを作ることが夢。

"NYでの私の恩人"

 アリと出会ったのは、スペインで知り合ったアトランタ出身の友人マダレーヌから紹介されたから。マダレーヌは70〜80年代に一世を風靡した世界的なポップグループBoney Mの元メンバー。長年アメリカを離れ、ヨーロッパに住んでいた彼女が旅行で来たマヨルカ島で知り合って、意気投合して親しくなった。"I feel you! You are so nice."なんて言われて意気投合して、その時NYに引っ越す直前だった私に、彼女の20年来の友人であるアリの連絡先を下さったのだ。

「アリはワンダフルだからぜひあなたに紹介するわ。あなたを助けてくれるわよ。私の友人だって言ったら、あなたのことも私だと思ってよくしてくれるから、アリに電話しなさい!」と言ってくれた。当時見ず知らずの私を信用して下さった彼女にはとても感謝している。まだ本格的に引っ越す前に、去年末試しにNYに来てみた頃、アップステイトに滞在中、アリに電話してみた。すると、「サンクスギビングデーに家にディナーに来てください」とのこと。

 それから数日後、去年11月25日のサンクスギビングデーに、初めてアリに会いにお家に伺った。友達の輪の感動の出会い。この日は年に一度のアメリカの大事な記念日で、昔アメリカに渡ってきた人々が始めての冬を越すために、原住民達が寒さのしのぎ方を教えたり、食べ物を分けて教えたりしてくれたことに感謝する日だそう。アメリカ人はこの日は家族全員で集まる習慣がある。私は、彼女お手製の料理をいただき、家に泊めていただいた。ハーレムの黒人一家の家に一人で行って泊まる体験はとても貴重だった。彼女に仲間に入れていただけて、とても嬉しかった。アリはとってもチャーミングで素敵な人だ。写真をご覧のとおり、彼女の顔に書いてありますよね。

"ソウルフードの達人"

 アリの職業は、ミュージカルや演劇のコスチュームデザイナー。いつも一人で作品全体の衣装デザインを担当していて、メイクも手伝う。楽しそうな仕事で、興味深く、何度か公演の舞台裏も見学させていただいた。いくつかの大学で時々講師も務めている。

 その一方で、プロ顔負けの料理の達人で、近所では大人気。料理が大好きな彼女は、将来老後にソウルフードレストランを作りたいとのこと。私は、アリの家にはよく遊びに行っていて、色々なソウルフードをご馳走になり、少しずつ作り方を教えてもらっている。

 ソウルフードとは、アメリカの黒人料理で、そのルーツは昔アメリカに連れて来られた奴隷が、ご主人様の食べ残しを美味しく食べられるように工夫して編み出された料理。だから、煮込み料理が多く、日本人の口にも合う。写真のメニューはネックボーン&カラーグリーンで、豚の首の骨肉とケールの煮込み。これは私の大好物で、めちゃ美味い!他にはフィッシュフライ、スチームドキャベツ、マカロニチーズ、スイートポテトパイなどがある。

(本文のみ、写真なし)

28.リクルート AB-Road 連載コラム「旅で出会ったアートな人々」 vol.2 (2004.01月号)

「Nora」
10月28日生まれ。シン
ガー・ソングライター。9
0年にオルケスタ・デ・ラ
・ルスで全米デビューし、
ビルボード誌ラテン部門で
11週連続1位に。国連平
和賞受賞。97年解散。

"ディーバ・ノラ健在"

 今年の9月6日、オルケスタ・デ・ラ・ルスが再結成されて、ニューヨークの大型ラテン系ディスコ・コパカバーナで公演したので、駆けつけた。97年に解散して以来、初めてのNY公演。実は私は、デ・ラ・ルスの90年全米デビュー(9月)直前の6月の大阪初公演(クラブ・パラノイア)に偶然行っていて、それ以来の大ファン。

 その後はデビューアルバムがいきなりビルボード誌ラテン部門で11週連続1位になり、あれよあれよという間に世界的スター街道を進んでいった。当時学生でファンだった私が成長し、10年以上経ってジャーナリストとして今度はNYで取材する立場になって再会した。

 当時から知り合いであるBMGのプロデューサーも再会を喜び、公演が決まった時にすぐ知らせて下さった縁で、今回彼等を取材することが出来たのだ。こんな感動的な再会の仕方は滅多にないだろう。

「デラルスの運命は、後は船に乗ってしまった感じでそのままの勢いでやりました。5年間休みがなかった。特に最初の3年間はいつも電池切れ」とノラは当時を振り返る。

 世界中39カ国でアルバムが発売され、ツアーに周った彼等。やがて日本人アーティストとして初めて、国連平和賞受賞の快挙を成し遂げた。「それ以来平和のために度々チャリティーコンサートを行い、ユニセフなどに寄付を続けてきました」と語る紅1点のヴォーカル・ノラは、まさにディーバ。

「実は、デビューの1年前位から神様のようなものはあるのではないかと感じるようになって、"私に出来る事は音楽しかありませんが、音楽を通じて何か世の中のためになるようなことをしたいです。もし神様がいるのなら、どうぞ私の体をお使いください"と毎日のように祈り続けました。デビューアルバム用に作曲して収録されなかった曲に、"Paz"(平和)があります。そのころから世界平和を祈っていたのです。最初は自費でニューヨークに皆で来たので、毎月1万円ずつ2年間貯金して各自25万円貯めました」とノラは語る。こういう無垢な気持ちが神様に通じたのでしょうね。

"11月デラルス東京公演"

 「911テロの時、再びNYに戻って公演したいと決心しました。平和のために音楽を通じて何かをしたかったのです。去年、東京でワールド・ピース・ミュージック・フェスティバルにデラルスを再結成して出演しました。当時のメンバーはそれぞれが活躍しているので、皆のスケジュールを調整して集まることは難しくなったけれど、メンバーを補充して今後も毎年NYに来たいし、時々公演活動を続けていきたいです。今年も11月9日に第2回目のワールド・ピース・ミュージック・フェスティバルが東京厚生年金会館で行われ、デラルスが出演します。」とノラは語った。こんな風に海外に出ると、日本にいる時には出会えないような人々に出会うチャンスがたくさん転がっている。

27.リクルート AB-Road 連載コラム「旅で出会ったアートな人々」 vol.1 (2003.12月号)                                                    by ブルーシャ西村

「ジョ二―・ロッザ」
 Johnny Rozsa:1949年8月7日生まれ、フォトグラファー、ライター。

  "只今自叙伝執筆中"

 私がマヨルカ島に住んでいた頃からの親友であるイギリス人舞台装飾家、スティーヴン・ブラウンにニューヨークで紹介されて知り合ったジョ二―・ロッザ。3人の共通点は「チャレンジングでジプシー(1箇所に定住できない)」というわけで意気投合した。彼はファニーで飄々としていて、肩の力の抜けた不思議な人だ。彼の英語の発音は美しい。とても聞き取りやすい。ここニューヨークは人種や出身地によって様々な訛りの英語が飛び交う場所。

 彼のラフで自然体な風貌からは想像つかないだろうけれど、実はジョ二―は、一世を風靡した世界的なフォトグラファー。ティナ・ターナーお抱えのフォトグラファーとしても知られていた。他にもマイケル・ジャクソン、ファラ・フォーセット、ケビン・コスナー、シャーデー、ボーイ・ジョージ、ウィノナ・ライダー、マライア・キャリーなどの写真を撮影してきた。「光のマスター」の異名を持つ。彼の作品は、光の操作が完璧なまでにキマッているからだ。なんと写真は独学とのこと。

「写真は最後にはセンスが一番重要。僕はなぜか分からないけれど、"ここをこうしたらよりいい写真が撮れる"といつも瞬間的に分かってしまうんだ」と彼は語る。現在は、その波乱万丈な自分の人生を振り返って、写真をふんだんに使った自叙伝を執筆中。来年9月頃にアメリカで出版予定だ。

  "周りが大きく育つ謎"

 ジョ二―はケニアで20年間生まれ育った。その後ロンドンに学生として渡り20年間滞在し、ロスに5年間住んだ後、6年前にニューヨークに引越してきた。4ヶ国語(スワヒリ、英、独、仏)を話す。父親はハンガリー、母親はチェコ出身。世界中の多くの場所とつながりがある彼。

「不思議なことに、僕の周りのものは放っておいても勝手に大きく育ってしまうんだ。僕の庭の植物をご覧よ、ワサワサとこんなに大きく育ってきて驚いたけどなぜだか分からない。いつもそうなんだ。最初ロンドンで70年代にやり始めた古着屋も、最先端のモデルやマスコミ、俳優やミュージシャンなどがたくさん来て、あっという間に有名になって大成功した。ノスタルジアという店でヴィンテージ古着の草分けだった。誰か上流階級の裕福なお年寄りが亡くなったと聞けば、イギリス中を買い付けに走り回った。上質な古着を求めてね。これは僕のオリジナルなアイデア。僕はパイオニアなんだ。やがて78年にその店を売って、カメラを買った。何か自分自身のためにもっとクリエイティブな仕事をしたいと考えたから。そうしたら写真でもすぐに頭角を現して成功した。僕のかかわることは全て育ってしまうんだ。僕はエヴリシング」とのこと。

 生まれ持った繊細でアーティスティックなセンスと自然体な性格が、全ての成功を呼び寄せたのかもしれませんね。

26."Arts Cure"連載のコラム「癒しの部屋」 8月号                 (2003)

NYの無料のアート雑誌"Arts Cure"に連載中のコラム「癒しの部屋」をほぼそのまま掲載します。このコラムは以前、霊能者が連載していたもので、私がバトンタッチで引き継いでいます。雑誌は日英バイリンガルで、読者の半数以上は外国人です。

                連載コラム「癒しの部屋」

「お導き」 vol. 2
  by ブルーシャ 西村

 今回は、前回説明した神(宇宙のもと)への恋愛についての質問の送り方、解答の受け取り方について述べます。

 古代から宗教家達が「神は自らの中にある」と言っていたこととは、スーパーコンピューターのような神(宇宙のもと)につなげられた端末のような私たちのことを指します。自らの中の端末を辿っていくと、神(宇宙のもと)に行き着くからです。端末同士もこの神(宇宙のもと)を通じて全てつながっています。これはユングがいう集合無意識のことなのでしょう。ユングは、今のような便利な交通手段がなく情報が行き来していなかった太古の時代から世界各地で似たような民話があちこちに点在する現象についても、それぞれがこの集合無意識下から同じ情報を取り出したからではないかと論じています。

 端末同士がつながっているということは、何を意味するかお分かりですか? 

 それは、「自分に必要なソウルメイト(永遠の愛を約束されている魂)を自分の前に自在に呼び出すことができる」ということです。
 これをイメージで理解してマスターできれば、もう恋愛で悩まなくなります。出来るだけ若いうちに気付くことが大切です。「私のソウルメイトはどこにいるの? 私の伴侶に会いたい」という念を宇宙に送りつづけてください。そして自分自身をピュアに保って、雑念を除くことがポイントです。

 この雑念とは、「収入が多い男がいい」「一人でいるのは淋しいから出会いがあればその人でいい」「あせり」などです。雑念を宇宙に送ると、それも引き寄せてしまう結果になります。雑念は自分の目を曇らせてしまいます。「嫉妬」「羨望」も、「自分は満たされていない、自信が無い」という情報を宇宙に送っているのと同じことなので、ご自分の念願どおりの満たされない人生が実現化します。

 幸運・不運は自分の想念の結果で、自分の責任です。想念は波動で、自分が考えていることは頭から波動となって外に出ていて、「類は友を呼ぶ」の格言どおり自分の波動と似たような人や物事を引き寄せます。霊的な視点では、「考えることも、実際にそれを行動に起こすことも同じこと、同罪」となるのです。

 自分の思考については常にピュアに保つように責任を持って管理して下さい。打算的な考え方をするくせがついている人はその度ごとに新たな因縁(カルマ)を作っていて、必ずしっぺ返しが来るようになっていますし、ソウルメイトに出会うことを自分で難しくしています。

 自分がピュアに、無に近付くほど、宇宙へピュアな念を送ることも解答を受け取ることも出来るようになります。そして、世間体、常識、他人からどう見られているかを気にせずに、自分のハートが感じるとおりに行動し続けてください。すると、自分の端末から宇宙に送った念の情報をソウルメイトである伴侶の端末が受け取り、双方がハートに従って行動すると出会うことが出来ます。

 人に頼らず、全て自分で選んで決める鍛錬を積んで下さい。真実は何事もシンプルです。真実に近付きたければ、自分自身をシンプルにピュアに保つことが一番重要です。


25.人間に一番大切なことは、勘 !

 何でも、最後は自分の勘が頼りです。大企業の経営者など、責任がかかっている立場の人になればなるほど、直観力が全てだそうです。勘が無いと会社の舵取りを間違えて、つぶれてしまうからだそうです。
 勘を鍛えることが人生にとって重要だと私は思います。

 どうやって鍛えるのか?それは自分の勘を信用して、実際に自分に頼って何度も勘を使って、繰り返すしかないと思います。言い換えれば、自分の判断に自信が持てるかどうかが、勘が強いかそうでないかの違いでしょう。使うしか鍛える方法はないでしょう。 

24."Arts Cure"連載のコラム「癒しの部屋」 7月号              (2003)

 Hey, NYの無料のアート雑誌"Arts Cure"に連載中のコラム「癒しの部屋」をほぼそのまま掲載します。このコラムは以前、霊能者が連載していたもので、私がバトンタッチで引き継ぐことになりました。雑誌は日英バイリンガルで、読者の半数以上は外国人です。

                連載コラム「癒しの部屋」

「お導き」 vol. 1
  by ブルーシャ西村

 宗教家達が太古の昔から神と呼んでいるものは、宇宙のもとで、巨大な光のエネルギーです。キリストや釈迦など人の形をしているわけではありません。形の無い白い光のエネルギー体です。人々が信仰しやすいように、分かりやすく具体的な像を奉ったりしてきただけです。霊界は霊格の発達によって7段階に分かれていると言われ、さらにその上の段階に非常に発達した霊格のキリストや釈迦がいて、それを超えて一番上には、ただのエネルギー体があるのです。だから、宗教の教祖を崇拝するのではなくて、それを超えて最上級の存在である宇宙を崇拝することが、本当は一番大事なことなのです。

 この宇宙のもと、白い光の巨大なエネルギー体に、私達は一人一人全員が直接つながっています。例えると、神=宇宙のもとがスーパーコンピューターで、私達はそれにつなげられた端末です。スーパーコンピューターは何でも知っています。これは古代から霊能者達がアカシックレコードと呼んでいたものです。過去から未来まであらゆる情報が保存されています。これは何を意味するかご存知ですか? 答えは、「分からないことや質問があれば、自分の端末からスーパーコンピューターに質問を送って、解答を送り返してもらえばいい」ということなのです。
 
 私は自然にこのやり方をマスターしていただけで、皆様も同じ人間、コツを掴めば誰にでもできることです。なぜ私が天然でマスターしてしまったか、それは生来霊感が強かったせいもありますが、芸術に長い間従事してきたことが原因です。芸術はスーパーコンピューターと端末の間の滑りを良くする方法で、宗教を超えているのです。

 私は幼少時からバレエを13年間学び、電子オルガンを14年間学んだ後DJやデュオ(歌手と私のキーボード)で活動を続け、絵画もスペインでダ・ヴィンチと同じ修行法をマスターし、経済学部を出て受賞後作家となって本を執筆、出版しています。舞踏、音楽、絵画、執筆の4つの分野で共通することは、「表現が上から頭上めがけて降ってくる」ということです。答えは、閃きのような形で1秒で全内容がドカンと降ってきます。テレパシーです。芸術だけでなく学問も大事なことで、どちらも端末の道具を磨くこと。芸術と学問のバランスが要です。
 

23.個展                                       (2003)

 個展はスペインで今まで2回(絵、銅版画、シルクスクリーン)やって、グループ展に写真を1回出品したけど、今回は初めての写真展。2003年1月17から29日。写真は、写真展をしなかったら、引き伸ばす機会がなかったわ。30X45cmに引き伸ばしてみると、自分で撮ったとはいえ、想像以上にいい出来の写真だったことに驚いた。
「おっ!誰が撮ったんだろう?」ってかんじ。
我ながら写真がどれもビシッとキマッテいる。結構こんな調子で、まだまだいい写真が眠っているのかも。

 見に来た人たちも、 
「写真もかなり勉強したの?」と聞く。
「いえ、独学でちょっとずつ。」と答えると、みんなびっくりしていた。手先が必要以上に器用だから、機械を扱うのに、コントロールが効くからではないかと思っている。

 この個展は、2年以上前から企画していたもので、市の公共のギャラリーで行われるもの。審査に通ったアーティストが開催できる。光栄だ。市からギャラもでる。ないよりいいよ、嬉しいねえ。市がインビテーションカードも作ってくれて、自動的に方々へ送られる。万一の事故のために、保険にも入っておいた。いい経験になった。何でも実際にやってみると、新たに何かを学べるものだ。

 写真の額は、夢で見たアイデアで、非常に独創的なもの。ダンボールで自分で作ったの!ゴミのダンボールを切って、片面の表面の紙をはがして、ボヨボヨの波打っている面を使って、5センチくらいの幅の広い額にした。それに水色とかブロンズ色のスプレーで色をつけたら、とってもおしゃれな額になったよ。リサイクルでとってもエコロジーだし、いい考えだよ。リサイクルは手間隙がかかるけど、エコロジカルだから環境にもやさしいし、好きだなあ。ダンボールは、結構使える素材です。
 ニューヨークでもちょっとずつ個展を出来る場所を探していきたい。
 

22.アメリカ政府のPRESS ID獲得までの道のり                  (2003)

NYに引っ越してから、いろんな手続きを経て、PRESS IDを作ってもらった。これは、ノンフィクション作家である私が、外国人ジャーナリストとしてのアメリカ政府のIDカードを取得するため。名前と写真入りの首からぶら下げるカード。これがあるととても取材しやすくなる。提示するとどこにでも無料で入れるし、なんと、警察が封鎖している場所にも入っていけるそうだ。聞いてびっくりした。

 担当のJさんに、
「あなたのセーターはどこの国のものですか?」と聞かれた。
「え?ノルウェイのハンドメイドですけど。」と答えると、
「そうでしょう?それはノルウェイの伝統的なセーターのジャケットです。民族衣装です。その編み込みの模様に特色があるのです。実は、私のルーツはノルウェイからの移民なのですよ。それをどこで買いましたか?」と聞いてきたのでびっくり。
「古着屋で。上質なものだったので買いました。もう2年以上着ていますが痛んでいません。とてもいい品物です。」と答えると嬉しそうに笑った。
これで私のことは、彼の記憶に永遠に刻まれて、忘れることはないだろう。

 私にとって、こういったことはよくあって、前にも友人が紹介してくれたJに初めて会いに行ったときにも、私は無意識で彼の母親の故郷であるハンガリーの伝統的な民族衣装の刺繍入りのブラウスを着ていた。彼にも、
「それをどこで買いましたか?私の母の国のものです。このへんでは珍しい」と言われた。

 これは例えると、アイヌの人に会いに行く時に、アイヌの民族衣装を着ていくような感じだろうね。そりゃア、相手は驚くだろうよ。私の霊感で知っていて、こういう重要なときには、その相手のルーツの着物をまとってしまうのである。霊感もこういうことには役に立つ。
 
 今まで、ジャーナリストになろうと目標にしてやってきたわけでは決して無くて、ただ、取材したいことを取材して記事にまとめて雑誌に書いたり、自分で書き溜めたりしていただけで、それの繰り返しで、それが生じて本を出版しはじめただけである。誰も何処にも記事に書いていないことで、面白いと感じること、人にも広く知らしめたいことを、それなら私が書かなければ誰が書くんだ?という気持ちで、書かざるをえなくなって書いてきただけなのだ。不特定多数の人々に物を書き、発表し始めて、知らないうちに10年以上経っている。

 もともと自分の霊感に考え方が追いつかなかったために、自分の考えをまとめる必要性から物を書き始めたのだが、それはなんと、小学校の1年生のとき、7歳からだったんだよ!!いつもいつも、ノートに自分の霊感で感じているが理解できないことを整理するために、イメージや感覚を文章化しなければならない苦しみに耐えて、書き綴っては、後で読み返したくないためにホッチキスでノートのページを袋状に留めて、ノートがいっぱいになったら捨てていたわ。

 霊感と感覚では、色んなことを直感的に
「これが正しい」
「世間ではこれが常識だけど、絶対にこれじゃなくてあれが正しいに決まっている!」
「先生や親はこう言うけど、こうじゃなくてああだ!」
なんて分かっているんだけど、子供だから知識や裏付けが無くて、どうしてそう感じるのか理由が分からなかった。でも、何で私は
「絶対こうだ!」って確信できるのだろう?理由が無いのに!!!っていつも感覚と理解のギャップが大きくあって苦しんでいた。なんでそう感じるのか、人に言葉で上手く説明できなくて黙っていることが多かった。でも、子供の頃の確信っていうのは、後になって考えると、やっぱり正しいんだよねえ。だから悶々と書きとめつづけていた。今から思うと、感性と霊感が人並以上に鋭すぎたのかもしれない。そのお陰で文章がスラスラと書けるようになって、上達したのだと思う。

 霊感で理解して知っていたけど、言葉で説明できなくて理由が分からなかったことの一つには、例えば、
「画家になりたいし絵の勉強をしたいけど、日本で油絵の勉強をすることは、スペインで空手や相撲を学ぶようなレベルである、だから日本では勉強したくない!」
ということが挙げられる。これは私の本能で知っていたことだけど、後になって本能に導かれてダ・ヴィンチと同じ修行方法の絵画学校を見つけて、スペインに渡ったことで理由がはっきりと分かった。

 時々、日本人の女の子たちで、「私も作家になりたかった」とか、「私も作家になりたい!どうやったらなれるの?」なんて私に聞いてくる人々がいるけれど、本当に物を書かざるをえなくなった人は、書くのをやめられないし、書いて吐き出さないと生きていけないし、どうやったら作家になれるかとか考える前に、もうなっていると思うよ。物を書く人は、そうせざるをえなくて、生まれながらにして物書きなんだよ。「作家になりたい」とか考えて物を書くのは気持ちが悪いですねえ。

21.カトリック教観から来る日本の宗教観との差異について。          (2003)

カトリック的キリスト教観から来る宗教観の差異について。

 私の本「マヨルカ島のゲイ友達」のあとがきから抜粋してみます。

 ここだけの秘密なんだけど、この本も実は霊感で書いたんだよねえ。上から降ってきた。

 本を買った古い友達が、「あれ、全部自分で書いたん?」なんて聞くんだよ。ゴーストがいるとでも思ったんかなぁ?ひどいねえ。そんなにアホに見えるんかなあ。ボーっとしてるからねえ。本の中身と本人とが結びつかないらしいねえ。当たり前じゃん、全部自分で書きましたよおおおおおおお!
痴色人(ちしきじん)っぽかったのかな、内容が。

 (p208 8行目から p209 22行目まで)
 ナチャは「一緒に住むにはインテリの家のほうがいいわよ。任せなさい、インテリを紹介してあげる」と言った。はっきり物を言うこの感覚は、スペインのきつい太陽の光と影のように明解だ。新しい発見だった。日本ではこのような発言は、インテリとインテリでないのを差別しているようで口にできない。口にしないように無意識の奥底に叩き込まれている。日本のあいまいな天気や、ぼんやりとした光と影のようだ。でも、よく考えてみると、インテリとインテリでないのとは、それぞれが単に一つの個性であってどちらが優れているというわけではなく、共に存在している、ただそれだけのことだ。深い意味はないのだ。

 ナチャはきっと、インテリもインテリでないのも差別していないから、口にできるのだと私は理解した。一般的に日本人がこのような発言をできないのは、インテリのほうが優れていると捉えたうえで「みんな平等でなければならない」という無意識から来るのではないか。インテリとはただの個性であって、それ以上でも以下でもない。

 同じでも平等でもないのが人間だ。いろいろな人がいるからこそ、世の中が成り立っているのだ。
 スペインは、誰もが個性を出したままで居てもいいところなのだろう。「出る杭は打たれる」という言葉は日本独特のものである。日本ではなにかしら、周りが個性を押さえつけてつぶしてしまう重石のような空気があることに、ここに来てから気がついた。「出る杭は出ていいし、へこんだ杭はへこんでいていい」というのがスペインだ。

 こういう風土のせいで、激しい争いも起これば、ダリやピカソ、ガウディーといった天才も出てくるのだろう。それぞれが何をどのようにやってすごすかは、限りなく本人に選択と裁量が委ねられているのである。厳しいが、本当の意味での自由だ。

 毎日何も考えないで、飲んで踊ってダベって一生の大部分を使い果たすスペイン人もとても多いけれど、中にはやりたいことをとことん突き詰めて極める人も出てくる。たとえば最近、ビビアンが「このところ気持ちが沈んでいてあまり出かけない」と言うので、「どうしたの?何かあったの?」と聞くと、「何もないんだけど、自分を騙していないかどうか考えていた。本当にやりたいことをやっているのか。一人で静かに、自分の奥底の声を聞いていた」と答えた。彼ほど好きなことを存分にしている人でさえ、こんなに突き詰めて考えている。

 もちろんスペイン人すべてがこんなに考えるわけではないが。まったく考えていない人もいる。この個性が思い切り育つ風土は、私にとって居心地がよかった。

 (p55 5行目から 12行目まで、注7より)
 (7)生き、人を生きるがままに放っておく・・・彼は彼自身の人生を生き、人の人生に口出ししない。"vive y deja vivir" というこのシンプルな表現は、スペイン独特のもので、教訓的に個人主義について表す。たとえばカトリックでも、親が子供の人生に口出ししたり、進んで欲しい方向に導こうとすることは、神様でも介入しないことなので罪とされている。常に個人と神様との対峙があり、人と自分を比べたり、人に口出ししてはいけない。日本にない、ヨーロッパの個人主義の価値観、考え方。

 ・・・・・・以上です。この2箇所とも、もろに日本にない、カトリックの宗教観から来た違いだと思います。日本人は人と自分を比べる習慣が無意識であるけど、「人と自分を比べる」ということは、なんとカトリック教では罪深いことなのです。驚きだねえ。なんでかっていうと、カトリック教の述べる悪魔の性質だからなんです。

「悪魔は常に、自分になくて他人が持っているものを探し、追い求める。そのために羨望や嫉妬が起こる。羨望や嫉妬があるということは、そこですでに、完全には自分のことを自分で受け容れていないということだ。その結果、コンプレックス、不安、疑い、激怒、恨み、妬みなどが自分の中に生じる。それらによって、周りを攻撃したり、よくない行動を起こしてしまう。なぜなら、問題は周りが持っていると錯覚してしまうからだ。」

・・・って感じですかね?これがさあ、悪魔の性質なんだけど、こんなん、日本人は全員悪魔になっちゃうよね?

20.再発見した日本の良さ                        (2003)

再発見した日本の良さ・・・よく聞かれるんだよね、同じ日本人の友達に。
私はスペインにずっと住んでいたので、スペインと比べて気が付いた点を書きます。

1.一般的に日本人は今の時点から先々のことまで考えてから行動する。

 これについては、果たしてこれがいい面と言えるか悪い面と言えるか分からないのですが。日本では普通に、先々のことまでシュミレーションしたりして、よく考えてから行動することに気付きました。

 スペインは、ラテン系というか、先のことなんて考えずに、今の時点のことだけを考えて行動する。「現在」が一番大切なのですね。今を生きるということを大事にしている。先のことは今は考えずに、実際にやってみて失敗してから初めて考える。やってみて失敗して、実際に失敗したことによって多くのことを学べるという考えです。まだ先のことを考えてエネルギーを消耗するのは無駄だと考えるらしいんですよね。

"Si dios me quiere, funcionaria."(もし神様が私を好いていたら上手くいくだろうよ)なんて言って、(変な直訳だけど)私から言わせれば、よく考えずに済ませる。これは、
「もし神様が私がこうしたほうがいいと欲しておられるのなら、これは上手くいくはずだよ」
なんていう意味だね。全て、神様や運命にゆだねちゃうんですねええ。自分の力で運命に逆らったりすることは出来ない、しても無駄に終わると考えている。これは、日本人の私は、びっくりしましたね。

 だからスペインは国全体でみた貯蓄率が非常に少ない。先のことについて備えない。日本だと、「将来」のほうが大切ですよね?

 「・・・こんなこと、日本では起こりえないなあ」と思うことはたくさんありますけど、前にも書いたけど、EUが統合されてから、ドイツ人が安くて貧しくて気候のいいスペインの不動産を買いまくっていて、不動産が高騰していることが挙げられます。

 スペインのほうが給料が少ないので、スペイン人の若い人たちが家を買えなくなっている。おまけに、ドイツ人は賢いから、ドイツ人経営でドイツ人専用の不動産屋が増えてきている。ドイツ人向けにドイツ人同士でスペインの家を売買しているんですよね。

 このまま放っておいたら、スペイン人はドイツ人の奴隷の様になってしまうのは目に見えている。スペイン人がよく考えずにドイツ人に家を売ってしまったからだよ。

 日本だと、こんなことにはならないでしょう。日本では外国人に売る前に良く考えて、売らないようにしていくんじゃないかなあ。外人には税金を高くして売ったりとかもするだろうね。

2.日本は厳重に国内を保護する政策を取っている。

 日本は不良債権も600兆円を越えていて、先進国とは思えないような異常な事態になっていて、国自体が破産しているも同然と世界中で思われていますよね?こんな状況なのに、どうして円が急激に下がったり、アルゼンチンやブラジルみたいになってしまわないで、現状が維持されているのか? 

 私は一日本人として外国に住んでいるから、日本の不良債権のことは気になって仕方が無い。本当に心配しています。自分の国だからね。

 どうして日本は現状が維持されているのだと思いますか?

 私なりに考えたり勉強したことを書きます。
 日本政府は、長い間、大量にアメリカドルを買いつづけていて、日本政府が持っているアメリカドルの額は、アメリカを除いて世界一の規模なのですよ。

 日本政府は賢いねえ。スペイン人はこんなこと、思いつきもしないだろうよ。

 日本はアメリカの人質を持っているようなもんなんだよ。日本が国として破産したら、日本政府の持っているアメリカドルが一度に放出されかねないでしょう?そんなことになったら、アメリカも巻き添えを食らって大恐慌になっちゃうでしょう?だから、アメリカはそんなことさせない。運命共同体だね。だから、円ドル相場も日米間で常に話し合いされて調節されている。アメリカは日本の政策や不良債権問題に口を出したりもする。アメリカにとっても、日本の不良債権問題は頭痛の種なのです。

 ・・・これも、気付いた日本のよさの一つですかね?

19.海外に住んでから見えてきた日本。              (2003)

 実際に外国に住んでみて発見したり学んだことはたくさんあります。
文化の違い、考え方の違い、教育方針の違い、プライオリティーの違い、などなど。
とはいっても、日本と同じく、多種多様な人々がいます。それはどこも同じじゃないかなあ?

 また、一度日本から離れることで、冷静に日本という国を見ることができるようになりました。
日本人は、一般的に、「人と自分を比べる」悪い癖があると気づきました。

 人と自分を比べると、どうなるか? 人にあって自分にないものを求めたり、自分に無いものを持つ人に対して嫉妬したり、羨ましいの裏返しで悪口を言って足を引っ張ったりする。これは、自分に誇りを持てず、自分で自分を受け容れていない証拠。そんなようでは、落ち着いて暮らせないですね。嫉妬することでエネルギーを無駄にすり減らす。自分で自分のことを受け入れると、周りのことなんて全く気にならなくなる。

 ヨーロッパの人たちは、もっと個人主義でマイペースです。自分は自分、人は人。
カトリック教の影響で、「人と自分を比べる」のではなく、「常に自分と神との対話をする」のですね。
例えば、親が子供の人生に口出ししたり、自分が思うような方向に子供の人生を導こうとするのは、神様でも介入しないことなので、罪だとされています。日本では、親が平気で子供の人生に口を出してるけどね。

 他には、「人間を幸福にしない日本というシステム」とか、「日本権力構造の謎」など、昔日本で読んでいた本の内容を実感しました。「民に知らしむべからず、寄らしむべし」というやり方が、何世紀にも渡ってしみついている日本。

 スペイン滞在中に、外務省の機密費問題が露わになったり、牛肉偽装問題がばれたり、不況がさらに深刻になってきています。不良債権がどんどん増えていって、今では国の借金が600兆円を超えている!!!!!日本は、こんな大金、どうやって返せるのでしょう?こんなのは、先進国では日本だけ。やばいっすねえ。

 おまけに、年金は破綻するといわれています。将来は、払った年金が返ってこないんだよおおお。

 日本には原子力発電所が、57基かそれ以上あるっていうのも、危ないと思っています。事故も起こるし、地震でも起きて壊れたら・・・と思うと、心配です。EUでは原子力発電所を徐々に減らしていく政策がとられています。茨城の原発事故は、EUのニュースでは、チェルノブイリの事故なみの大事故のように扱われていて、連日、大ニュースでした。

 そんなわけで、自分が将来住みやすい環境はどこだろうと、調査しながら、選ぶ実力をつけようとしています。

いやなら、引っ越せばいいんだから。
比較検討して、地球上の好きなところに住める時代です。
情報も多くなっているし、航空運賃も安いし。

 追伸ですが、スペインよりは、日本のほうが、一般的に教育レベルが高いと感じました。ここで言う教育レベルとは、知識の量のことです。日本は大学進学率が、半分近くになっているそうですが、スペインでは、ほとんどの人が大学に進みません

18.”放ったらかし”がいいね!

 私は、スペインに住んでから、それぞれが干渉しないで、好きなようにやればいいと思うようになりました。放っておけばいい。勉強したい人はすればいいし、したくない人はしないでいい。皆が賢かったら、社会が成り立たないではないですか?いろいろな人がいるからこそ、社会が成り立つのです。

 スペインは、まさに放ったらかし!周りが個人に干渉しないで放っておくと、馬鹿はどんどん馬鹿になっていくけれど、中には何かを極めて傑出した人がでてくる。個性が伸びるのですね。

 スペインからピカソ、ダリ、ミロ、ガウディなど、天才がたくさん出てくるのは、この「放ったらかし」の風土だからではないかと感じました。みんなが、飲んで、だべって、踊って、昼寝して、馬鹿ばっかりの風土だからこそ、天才がでるのだと思います。

17.スペインで実感したこと。

 確かに、スペイン人がドイツ人に制覇されてきているのは、のんびりしていてあまりものを考えていないからだと思います。ドイツ人のほうが全体的に賢いよ。
 
 でも、ドイツもスペインも、日本と違って、階級社会だから、貴族、上流階級で高学歴の人から労働者階級まで、それぞれの階級でかたまって、分かれて暮らしていますね。接点がない。日本は総中流階級でみんな同じだけど、ヨーロッパは、階級の差が激しくて、目につきます。5分話をしただけで、だいたいどんな出身の人か分かる。

 スペインは、クラシックなアートと語学の勉強をするという点では、安いし、内容も最高だったのでとても良かったのだけれども、後進国なので、ずっと一生骨を埋めるには、退屈です。バケーションでたまに行くには最高のところなんだけどね。食べ物も美味しいし、陽気だし。でも、人間、毎日飲んで、踊って、だべっているだけの生活を続けていたら、だんだん飽きてくるものだと分かりました。

 東京からスペインに行ったからだと思うけど、スペインにずーっといると、知的刺激が恋しくなります。一長一短ですね。例えば、誰も「ユーロはどうなるか」とか、「スペインの経済はどうなっていくのか」とか、考えている人がいない。スペインでは、私はスペイン人の友達とは、くだらない話ばっかりしています。

「これからEUがどうなっていくのか」とかの話をするのは、スペインに住むイギリス人やドイツ人の友人と、スペイン人でも3カ国に留学経験のある友人(1000年以上続く由緒正しい貴族)とだけ。彼は海外に住んでいたせいか、自分の国のことを客観的に見ることができる。こんな経済とかの話、普通のスペイン人にしたら、嫌がられちゃいますよ。

 最近、スペインの新聞が私にインタビューしてきて、丸々1ページも私の記事が載ったのだけれど、「スペインにずっと住みたいか?ここのことをどう思うか?」なんて聞かれて、
「いや、別に一生ずっと住むつもりはない。ここはバケーションにはいい所だけど、退屈」と答えたのに、見事に書き換えられていたよ!
「ここはとてもいい所なので気に入っているし、当分出て行くつもりはない」と捏造されていたわ。
 
 仲の良いイギリス人の友達は、スペインで近所に4年間住んでいたのだけれど、ロンドンに引っ越してしまいました。彼も同じことを言っていた。やっぱり、先進国から来る人は、スペインにずっといると退屈してしまうのでしょう。

 絵の修行も全て終わったし、スペイン語の資格も最上級のディプロマまで取ったので、もうスペインでやることがないナァ。吸収できることは、しつくしちゃったもん。しばらくNYに行ってみるのはいい考えだったかもね。

16.EU経済の行方は!?

 ヨーロッパは、EUとして統合されてから、フランスもドイツもスペインも、通貨の価値が半分くらいになっちゃってました。最近はユーロが持ち直してきているけれどね。私は日本人だから、向こうの通貨の価値が半分になったら、得したも同然なので、関係ないけど。日本から留学するっていう点では、ずいぶん助かった。

 また、通貨がユーロに切り替わる時にどさくさに紛れて、あらゆるものが切り上げで値上がりし、激しいインフレになっています。だから当分不況でょうね。例えば、スペインでは164ペセタが1ユーロになったのだけれど、今まで100ペセタだったパンが、どさくさに紛れて、1ユーロになっちゃってる。急に値上がりしすぎだよね?64パーセントの値上がりなんて、ひどいよねえ。こんな調子で、全ての物価が急激に上がってしまった。皆の給料は前と全く変わっていないのに。

 そのうえ、貧しい東欧諸国がEUに加盟することになっているので、ますますユーロの行方はどうなることやら、見えません。このあいだ、秋にドイツ方面で大きな洪水があったしね。

 通貨の価値が下がると、輸出産業が伸びて経済が活性化するという利点もありますが。

 あとね、EUとして統合されたから、中での行き来が自由になったために、お金を持っているドイツ人達が、気候が良くて物価が安くて貧しいスペインにたくさん来て、不動産を買いまくっています。ドイツ人に占領されてきているよ。私の住んでいるマヨルカ島なんて、住民の25%以上がドイツ人です。ドイツ人は、飛行機で2時間とかで行き来できるので、スペインに住みながら、給料の高いドイツで仕事をしている人が多いのです。

 若いスペイン人が家を買えない。お金につられて家をドイツ人に売ってしまうスペイン人も悪いけど、見ててかわいそうです。

 将来、スペイン人は、ヨーロッパ内のドイツ人などの奴隷か使用人のような立場になってしまうでしょう。これは私の推測です。

(2003年に記す)

15.どろぼうの国、スペイン                    (2003)

 スペインの治安は、悪いですよ。私は被害にあったことは無いけど。治安が悪い地区っていうのは必ずチェックして、絶対に入ってはいけません。私も入りません。

 向こうから話し掛けてくる人は、大抵は何かをたくらんでいるので、無視したり、言葉がわからない振りをして逃げるといいです。変な人は見て分かるので、私は今でも時々、言葉がわからない振りをします。(笑)

 また、昼間は大丈夫だけど、夜は注意が必要です。狙われる人は、スキがあるんじゃないかなあ?私は、夜は必ずタクシーを使っています。スペイン人の友人達でも、ナイフを突きつけられてお金を取られたり、お金が無いと答えたために銀行のキャッシュディスペンサーまで連れて行かれて、お金を引き出さされた人もいます。こういうことがあるのは夜だから、お金は夜に下ろさないようにすることです。

 レストランやバーでも、バスでも、常に自分の荷物やポケットには注意して、手元に置いておかないと、なくなっちゃいます。また、自動車を停車するときに、車内にかばんなど荷物を残しておくと、必ずといっていいほど、車のガラスが壊されて、中にあるもの全部が盗まれます。車についているカーステレオまで持っていかれてしまいます。だからスペイン人は皆、車から離れるときは、車内のかばんや荷物を全てトランクに入れるか、手にもって出て、カーステレオも取り外してトランクに入れて、かぎをかけて出ます。どろぼうがいっぱいいるんだねえ。

 でも、昼間は全然大丈夫ですよ!ご安心を。安全に楽しむには、昼間に行動することをおすすめします。

 私は、いつも荷物に注意を配るくせがついてしまいました。

14. Mira, que esta pasando !                      (2003)

? Sabes, que me esta pasando aqui ?
・・・ここんとこ数日、びっくりするようなことが続いてて、キツネにつままれたみたいで、あっけにとられています。 まあ、前置きが長いが、聞いておくれよ。一連の出来事が関連しているから。

 こちらに戻ってきてから、どうもスペイン人の友達には会うのが気が進まないので、同じく外人であるドイツ人やイギリス人の友人達に会っていました。何でかっていうと、「ニューヨークに引っ越す」とかスペイン人に言うと、とても悲しそうな顔をして不機嫌になるので、難しいから。

「スペインよりニューヨークの方がいいんだね、ニューヨークの方を選ぶんだな」なんて感じるらしいんだよ。そんなに大げさに考えることないのにね。後進国のスペイン人にとって、ニューヨークとは、先進国の大都会で、はるか雲の上の存在なのです。

 そういうわけで、気が進まないので、スペイン人の友達には今回NYに行く前には会わないことにして、1月の個展のときに帰ってきたときに会えばいいやと考えた。

 んで、気を使うのがいやだから同じく先進国のドイツ人達に会ってたのね。そして、偶然かどうか、家の水道管が壊れて水が漏れるので、修理に来てもらうまでの3日間ほど、気兼ねの要らないドイツ人の友達Aの家のシャワーを借りに通うはめになったの。

 家の大家さんは85歳以上のお年寄りだから分からないだろうと遠慮して、水道管の修理のことを上の階の人に聞いたのね。そしたら、1年間、床の工事をしていて騒音の迷惑をかけたから、おわびに修理屋を頼んでくれたのだ。ついでにもう一箇所、直してもらっちゃった。そういえば、私は騒音の文句を、彼らに一言も言わずにニコニコしていたっけ。神経が図太いから、騒音くらいへとも思わないからさ。彼は「こんなひどい工事だったのに、あなたはサンタ様(聖女)のような人だねえ」とひどく感心していた。ほんとに、文句を言うほどのことに思っていなかったし、騒音なんて気にしていなかっただけだよ。私は修理代をださなくてよかったし、超ラッキー。

 そして、Aの家にシャワーに通っているうちに、結構、いろいろなことを話し込んで、夜、ビールを飲みにいったりしてた。NYに引っ越すことになったこと、ビザも取れたことなどを話すうちに、Aも、私と同じような気持ちで、
「え〜、これからNYで何が起こるんだろう?」とわくわくしてきたらしい。

 ちょうど、Aの友人の、NY出身でロンドンなどに住んでいた歌手がパルマ・デ・マヨルカにバケーションで来ることになったから、彼女を紹介してくれる、という。

 それであるパーティーに行き、彼女に会った。偶然、彼女は私の横の席だった。みんなが言うには、彼女はメジャーな人らしいが、私は知らなかった。元Boney Mというグループの某メンバー。.あとでCDを友達に借りたら、誰でも知っている曲がいっぱい。そういえば彼女、ティナ・ターナーがどうとか、マイケル・ジャクソンがああだとか言ってたな。彼らは友達なのだろうけど、道理でそのはずね。

 そうとも知らずに、隣の彼女と色々しゃべってた私。
「hammond organを弾きますが、NYでちゃんとしたjazz pianoのレッスンを受ける予定です。もっと練習して、上手くなりたい」なんて言ったら、
彼女はとてもとても感激して、彼女の友人のNYのjazz musician達を紹介してくれることになった。その彼らの名前を聞いてびっくり、そんなん、ごっつ大御所やんけ〜!びっくりしたよ〜。私に、よほど音楽の熱意があったんだろうね?

 彼女は、「近いうち、一緒に演奏しましょうよ、私は歌うからさ」なんて言うんでまたびっくり。頑張って練習しないと!そして、「NYへ行く前にも会いましょう。連絡下さいね。末永い友達になりましょう」なんて言うから驚いたね。私はたいして自己紹介もしてないし、作品も見せていないのに。彼女も勘で決め付けるというか、すごい人だなあ。それこそ霊能者だよ。一撃だったね。作品も見ずに「こいつは素晴らしいアーティストだ」って、どうやって分かるんだろう?匂い?それとも面白そうなオーラが漂っているのかな?

 なんか、つじつまが合っている。なんでorganがやりたくなってきたのか、今ごろになって理由が分かってきた。いつも、本能と霊感で行動しているので、理由は後にならないと分からないことが多いのだ。絵描きで物書きでも、音楽やってもいいんだよね。何でも好きなものをやればいいんだよ。なんでマヨルカに住まなければならなかったか、これにも理由があったのだろうという気がする。 

(2003年1月に記す)

13.深海鮫エキス

 プロフィールで書いた、趣味の健康グッズのなかの一つに、深海鮫エキスというものがある。深海鮫の肝臓の油だそう。太古の昔から、イギリスのフィッシャーマン達の間では効能が知られていて、航海中に深海鮫が捕れるとその肝臓を食べたらしい。酸素も少ない、光の届かないような海底に棲む鮫であることを考えると、なんとなく生命力が強靭そうだが、実は暗闇でイジイジしているやつだったりして。とにかく飲むと免疫力が高まって、身体の自然治癒力が高まるそうなのだ。なんと、末期癌が治った例も多いとか。その話を聞いて、資料をたくさん読んだら、自分も飲んでみたくなって、持っていたりするんだよねえええええ。

 確かに効く。ような気がする。熱が出たり、風邪をひいても、よほどひどくないかぎりは、これを飲んで休んでいる。そうするとはやく快方に向かうし、薬物と違って副作用が無いので安心。聞いた話によると、薬は必ず何らかの副作用があるものなんだとか。できるだけ薬は飲まないようにしている。
 塗っても効くし。傷だけでなく、内臓の悪いところのあたりに、皮膚の上から擦り込むと吸収されていって効く。

 いろんな肝があるけれど、この深海鮫が最強だそうだ。
 色々なものが売っているけれど、1ツブずつカプセルになっているので、安いものはサラダ油かオリーブ油なんかが混ぜられていることも多いそうなので、要注意。信頼できるところで買わなければいけないね。 

12.ナツメヤシと乾燥イチジク

 スペインで覚えた新しい食べ物の習慣はたくさんあるけれど、ヤミツキになったものの一つに、DATIL(ダティル:ナツメヤシ)がある。これは、日本では食べたことがなかった。中近東由来の食べ物で、実は日本ではソースの原料に使われている。生のものと乾燥のものがある。楕円形で、親指より少し小さいくらいの大きさで、黒っぽい褐色で、中に長細い種が入っている。干し柿のような感じのものかな。味は、例えると、黒砂糖と同じ系統のような感じ。結構、カロリーが高そうだが、甘くて美味しい。自然の果物なので、身体にもいいよ。

 実は、モロッコなど、イスラム教の国々では、ナツメヤシは「賢者の食べ物」とか、「聖人の食べ物」と呼ばれているそうで、頭にいいらしく、第六感や霊的能力を高めるために食べるのだそう。水とナツメヤシだけを長期間食べつづける人もいるらしい。その際も、ナツメヤシは数粒だけでいいそうだ。味が気に入ったので、私はいつもナツメヤシのストックを家においている。毎日ちょっとずつ食べ続けている。

 ところで、50年ほど前に亡くなった、20世紀アメリカ最大の霊能者エドガー・ケイシーも、「ナツメヤシと乾燥イチジクは一緒に食べると良い。この組み合わせは、霊的能力を高める効果がある」なんて言っていたそうだ。

そんなに霊的能力を高めてどうするんだろうね?あんまり幽霊ばっかり見えるようになっても困るよね?不便じゃないかなあ。

 面白いことに、スペインでは、習慣的に、乾燥イチジク(higo seco)もよく食べる。ナツメヤシと乾燥イチジクは、とてもありふれた食べ物で、日本でいえば、煎餅かまんじゅうみたいなものだろう。

 ケイシーは、「1日2粒の生アーモンドを毎日食べる者は、ガンにかからない」とも言っていた。

 なんと、スペインでは、アーモンドもよく食べる。ケーキにアーモンドがたくさん入ったものもある。「タルタ・デ・サンティアゴ」(サンティアゴのアーモンドケーキ、美味しくて大好き!やみつきです)、「ガトー・アルメンドラ」、「へラード・デ・アルメンドラ」(アーモンドアイス)などなど。料理に砕いて入れることも多い。

 スペインって、健康にいいかも!しばらく1ヶ月でも住めば、皆、健康になるかもよ

11.本番の味                    (2002)

 近所のスーパーの地下に、ある日、よく見ると、お惣菜店に中国本番の味と書いてある張り紙あった。それもマジックで手書きの。きたないヨボヨボの字で。な・な・何?これは。「中国本場の味」の間違いでは? 本番って何? はっ!として、プ・プ・プと吹き出してしまった私は、ピンときた。絶対に中国人が作っている店に違いない!きっと美味しいんだろうな、中国人が作っているなら、買ってみようかな、と思った。

 そう気になって、厨房の中から売り場をじっと見ている男の人を見ると、髪の毛がボサボサだった。「売れてるかな〜???」と、気になってチラチラと売り場を見ている様子だった。ますます、きっと中国人に違いない。中国人は、なんで髪の毛がボサノバな人が多いんだろう?前に中国に旅行に行ったときに、髪の毛がボサノバな男の人があまりに多いことに気がついたのよ。寝て、起き上がって、そのまま髪に寝癖がついた状態で道を歩いている人が多かった。上海とその周辺で。

 原材料をチェックしてみると、添加物が入っていないではないか! ソルビン酸とか体に悪いものが入っていないので安心。多分、まじめに作っているようだ。

 閉店間際で、お惣菜が半額になっていたから、その本番の味を何パックか買って帰ってみた。なんと、そこでお惣菜を買い物したのは初めてだったのよ。

 家で食べてみたら、ホントーに美味しかった!!!やっぱ、中国人が作ったお惣菜だったんだね。シュウマイも餃子も、ものすごく美味しかった。えらい本格的な代物だったわ。

 買ってみるきっかけが、本番の味と間違えて書いてあったために「中国人」だと気づいたことだったなんて、店の人も想像つかないだろうな。それ以来、ちょくちょく、そこでお惣菜を買うようになった。閉店前に半額でだけど。

 ちなみに、その翌日から張り紙はきれいな印刷のものに替わっていて、「中国本場の味」に直されていたわ。

10.NY、ハーレムの開発について。

 先日、ニューヨークに行ったとき、とんでもないことを聞いた。
「今でも、アメリカは黒人とヒスパニックに対する差別がひどいんだ。昔よりはましになったとはいえ。彼らは貧乏だからね。結局、アメリカの世間は、お金がある人に有利なように動いているんだ。貧乏な人達は健康にも脅かされるんだ。黒人とヒスパニックのことなんて、どうでもいいと思われているんだよ。」

-----例えばどんなこと?

「例えば、最近の話だけど、ハーレムの土地開発が進んでいるだろう?スラムがなくなって、きれいな店が増えて、随分いい町になってきた。そのお金はどうして、どこから出てきたのか? 

 実はね、マンハッタンから毎日排出される大量のゴミの処理について問題になっていた。マンハッタンのどこかにゴミ処理場を作らなければ処理しきれない。まさか焼却炉は自分の家の近くに作ってほしくないだろう?誰でも。それはマンハッタンの権力者にとっても同じこと。

 大型焼却炉をどこに作るか、ということになって、貧民地区のハーレムに白羽の矢が立った。権力者の連中は、" ハーレムに大型焼却炉を誘致してくれたら、多額のお金を払いますよ "と言ったんだよ。その結果、ハーレムの連中はその条件を飲んで、大型焼却炉がハーレムに作られた。結局はお金の力でね。世の中は常に、お金持ちは自分の都合の良いように動き、お金のないものは言いなりになっていく。

 大型焼却炉の煙で、ハーレムは空気が悪くなるよ。ダイオキシンも出るだろうし。肺病も増えるだろうよ。」

-----そうだったんですか?日本にもそういうことは起きますよ。原子力発電所を作ってくれる代わりに地方自治に予算を払うとか。

「他にもね、そういった例はあるよ。一昔前に、マンハッタンの中心地にある、もと病院だったところを、黒人とヒスパニックのための安いマンションに変えられたんだよ。

 その病院は、大型の陸橋と交差点の真上に建っていて、四六時中、交通量が激しいところだ。その病院には、病院関係者や医療系学生が住んでいたんだけど、その大勢が原因不明の肺病にかかり、中には肺ガンになってしまった人もいた。やがて調査が行われたんだろうね、全面的に病院が閉鎖され、そこに住んでいた関係者や学生は全員追い出された。そのあと、黒人やヒスパニック系のための格安の住宅に変えられた。

 そしてやっぱり、そこに住んでいる人達は大勢が肺病を患うようになった。下を通っている陸橋の交差点から、大量の排気ガスが、上の住宅に上っていくんだろうね。その悪い空気は、身体に良くないんだろう。僕と一緒に働いていた、そこに住んでいた友人も、2年前に肺ガンで亡くなったよ。

 お金がないばっかりに、健康に悪い環境で生活を強いられている人がいっぱいいるんだよ。
いつだって、お金がある人達はいい環境に住んでいる。

 黒人やヒスパニックなんてどうだっていいと思われているんだよ。悲しいけど。それが現実。」

-----その住宅はまだ使われているの? なんでそんなところに住むの?

「まだ使われているよ。何で住むかって? 格安だからさ。毎日、大勢の人が生活のために働いて、戦って、それでも貧しくて、悪い環境での生活を強いられている。
ハーレムの焼却炉のことも、同じさ。」

9.ヘロイン中毒でも肯定文で治る!?                 (2002)

 前に、こんなに落ち込んでいる方がいました。けっこう、世の中には、悪いほう、悪い方へと物事を考えていってしまう方が多いのかも。
「一人暮らしが、もうつらくなってきてしまい、かなり弱気です。強く生きる事ができないで
います。どう考えるのがいいのか、どうしたいのかもわからないでいて、どうしようもないです。つきあっている人はいますが、5年目を向かえ、結婚する気もなく、ただだらだらと、いつまでも学生気分です。」

 元気出して下さい。何事も気の持ちようです。

 全てのことには陰陽の二面性があるので、何でもいい面、ポジティブな面だけを見るようにすればいいのではないですか?
 
 何か問題があると、つらいと考えて落ち込むことも出来るけど、私は「これは一つの学校で、学んで成長できるいい機会だ」と陰陽を逆転させて、ポジティブに考えるようにしています。
 一人暮らしにしかない、いい面もたくさんあるだろうし、それを見つけて、チャンスを生かせば楽しくなってくるのではないでしょうか?

 例えば、時間があるので、読書、思考、勉強も出来るし、音楽も聴ける、など。
 毎日の生活が楽しくなってくると、自然に人生もいい方向に回っていくのでは?
 どう考えるのがいいか、どうしたらいいのか分からない時は、何も考えないでいいんじゃないですか?木みたいにじっとしておけば?
 いつまでも学生気分というのも、別に悪いことではないですよ。気が若くていいじゃないですか?

 日本を出て気づいたことは、日本人は真面目だということです。
 スペイン人だったら、そんなに考えない! それでも彼らは生きている! 

 こちらはドラッグが多く、15年間以上のヘロイン中毒から立ち直った友人から聞きましたが、精神科の指導では、「・・・でない」「・・・できない」といった否定文を徹底的に使わないように、全て肯定文(私はという主語をいれて)に変えて使うようにしたそうです。それほど、否定文というのは、知らないうちに無意識下に悪い作用を及ぼすそうです。
 
 「分からない」ではなくて、「私は、そのうち分かるようになる」に、
 「強く生きることが出来ない」ではなくて、「私は、明日から強く生きるようになる」に変えて、試してみては?

 なんせ、ヘロイン中毒が治った人がやった治療の一つなので、まんざら、まやかしではないと思っていますが。

8.like と love?                       (2002)

 NYの友達の、eat and shit(食べてすぐう0こに行くから) が随分年下の私に、教え諭すかのように「愛」について説明してくれました。アメリカ人です。
 いいこと言っていました。

「君はまだ僕より若いし、まだ本当の愛なんて分かっていないだろうなあ? likeとloveは全然違うことだ。like は簡単なことで、emotionalな情熱で、誰でもできること。loveは、それを長い年月をかけて、夫婦で生活をともにして、だんだんと育んでいくもののことだよ。年月によって、loveは育ってくるんだよ。僕は結婚16年目で、ほんとに、ますます妻のことを愛しているし、結婚当初とは気持ちの深みが違う。こういうことを分かってきたので、僕はこれからもずっとこの結婚を続けていくよ。君もね、いつか夫婦で一緒に長く生活していくうちに、きっと理解できるようになるよ」
とのことです。
 
 いい奴ですね。奥さん幸せだろうなあ。

7.ゲイのカップルから学んだこと                           (2002)

 これはきっと、みなさんにも参考になると思います。

 スペインの友達で、もう20年以上も続いているゲイのカップルがいます。彼らは結婚する必要も無いけど、ただ、純粋に好きで、一緒にいたいから一緒にいるわけですよね?
 そこで、
「長続きする秘訣は何ですか?」と尋ねたことがあります。答えは、

「常に本当のことを話すこと。もしこれを相手に言ったら気を悪くするだろうな、キズつけるだろうなと思ったことでも、全て話さなければならない。そうでなければ、なかなか本当の愛というものは築けない」でした。

「なぜ、男女のカップルでさえ、数年で別れてしまうのでしょうか?」と聞いたところ、

「忍耐力が無いんだろうね。最初、好きで一緒になったなら、気持ちの底には、ほんの少しでも愛があるはず。そのうえにだんだん、憎しみや羨望などごちゃごちゃしたものが積み上げられていき、フタをしてしまった状態になっているんだ。その汚いフタを取り除けば、また再び愛が姿を現すのに、自分の中を見ようとしない。人のせいにしてはいけない、問題はいつも自分の中にあるのだ。それに気づかないと、同じことを何度も繰り返す。」
とのことです。
 
私は、彼らと話しをしていて、感動することが多いです。普通と違うということから、よく考えなければならなかった機会が多く、鍛えられたのでしょう。

 そして書かずにはいられなくなって、2001年12月、本を出版しました。

6.誰にでも備わっている力。                       (2002)

 「誰にでも備わっている力、自分に絶対の信頼をおけばそうなる!!!!!」

 本当にそうですよ。私自身、20歳頃まではこの勘に半信半疑で、「私はおかしいのかも・・・」なんて思っていて、ビジョンが見えても、見ないように、気にしないようにしていました。だんだんと、自分自身のことを受け入れて生きていけるようになり、それとともに勘が強まりました。これは個性なんだからおかしくてもいい、と。自分のことを受け入れると、発達するのではないでしょうか。

 ポイントは、「人に迷惑をかけない程度にやりたいと思ったことはやる、行きたいと思ったところには行く」です。

 そう進むうちに、そこに出会うべき人達がいると思います。私は渡西前に、マズローの5大欲求よりも激しい力で
「なんとしてでも行かなければ!行くしかない!」と、
もよおして行きましたが、それもそのはず、こちらでいくつか運命的な出会いがありました。
恋愛ではなくて友達ですが。NYでもそうでした。私の本のあとがきに、そのへんのいきさつも書きました。

5.サンタ・カタリーナ                        (2002)

 スペインの映画監督が「霊的な人々の半分ドキュメンタリー映画」を構想中で、私にも出てほしい、インタビューさせてほしいと言っています。出てもいいけど、私に降りかかったことは全ては話せないと答えました。秘密なこともあるからね。こちらでは「魔法使い」と呼ばれています。けっこう気に入ってます。
 前に白昼夢について、突っ込まれた質問に、こんなのがありました。
 
「それって、例えばただ道を歩いているときとか、食事をしているときとか、いきなりおこるんですか???」

 それは滅多にないですが、時々あります。ほとんどは、家で一人でいて、くつろいでいる時とか。真っ白の無の境地に至らないと、何も入ってきません。

 道を歩いているとき、何度かありますね。

 一つ、スペインで歩いていて、ある広場の前をとおりがかった時、すごくたくさんの人達(?単なるビジョン?)が苦しんでいて、ブドウの房のようにいっぱい顔があった。その真中に黒っぽいひからびた顔の教会のシスターがいて、私を呼んでいた。ぞっとした。

 あとで周りのスペイン人に、「あそこは昔なにがあったのか?」と聞くと、
なんとズバリ「魔女狩りの火あぶりの処刑地」だったそう。私は何も知らなかったのに。さむーい。

 その後、あのひからびたシスターは約500年前にここに実在したサンタ・カタリーナというシスターで、約100年前にヴァチカンのローマ法王に「聖女」として認定されて、祀られていることが発覚。生前に多くの人を助けたからだそう。そのため彼女の墓を掘り返したら、きれいなミイラになっていたので、キリストの超状現象だとされて、そのミイラはガラスケースに入れられて教会に祀られています。

 もちろん、見に行きました。そして後で分かったことですが、彼女が祭られている日は、毎年11月25日。私は日本で渡西5年前から、スペインに呼ばれているかのようなメッセージ(?)が入ってきて、いつ行きなさいと、年月日まできました。それは96年11月25日出発と。その前ではダメだ、12月でもだめだと。半信半疑でズバリその日に出発。それはサンタ・カタリーナの日。彼女が呼んでいたのでした。続きは、長くなるので、秘密。またの機会に。こんなことはよくあることです。頭おかしいのかもね。

 親友と食事中にも、なったことがあります。彼女の未来のご主人が見えました。2歳年上、銀行勤め、高身長、面長・・・。しかし、私は「自分がおかしいのかも」と思い直して、彼女にも悪影響を与えてはイカンと思って、言いませんでした。その3年後に彼女はその人と出会い、結婚しましたですね。

 結婚式の時に、彼女にそのことを全て話しました。

4.白昼夢                          (2002)

2.で書いた、私の主人を子供の頃に夢で見ていたことについて。

 私の例がみなさまの参考になればと思い、頑張って説明してみます。

 正しい説明は、「白昼夢」みたいな感じです。私はこれで主人を見ました。それも5年間のあいだ!!!2歳から7歳くらいまでの間です。私は0歳の赤ちゃん時から記憶があります。だからこの夢のこともはっきりと覚えているのでしょう。ほとんどの人は、赤ちゃん時のことを忘れているだけで、きっと私と同じような夢は見ているのかもしれないですよ。

 眠っている時ではなく、起きている時、目も開いているが瞑想状態のような感じになっている時に将来の情報がドドドッと自分に入ってきます。よく、誰でも一瞬ポカンとして真っ白な状態の時があるでしょう?あれが数分とか数時間とか、長くなった状態の時です。無の境地でしょうか?それも、言葉で入ってくるのではなくて、映像も含めて全ての内容が、1秒で「ドンッ」と入ってきて、あとで自分なりに解読します。それは今も変わらず。

 自分に頼れば頼るほど、自分の勘に絶対の信頼をおけばおくほど、年々、強まります。これは野性の本能なのだと思います。

 この白昼夢?と、自分のハートで判断することで、みんなきっと運命的な結婚相手に出会えるのではないかと想像しています。

3.自分の勘を信頼すると・・・?                     (2002)

 「人に聞かずに、自分のハートに聞け!」

これは、恋愛、結婚だけでなく、他のことにも拡大して当てはめることができ、使えますよ。

 私は、単身で、治安の良くないがさつなスペインへ来て生活しなければならなかったので、現地で誰にも頼ることが出来ず、全てのことを自分で判断しなければならない連続でした。そのお陰で、勘が鍛えられました。後ろから、かっぱらいがつけてきても感じましたよ、3回とも。無事でした。そういう生活のなかで実感して学んだのですが、自分のハート(胸の奥)でイエスかノーか感じるとおりに判断して行動するのが一番信用がおけます。また、落ち着いていればいるほど、何事も上手くまわっていきます。これは日本にいたときは鍛えられなかったことです。

 実は、スペインで手相占い師を3年以上やっていたのですが、2年後とかに「当たりました」と連絡がよくあるし、外れたと文句を言われたことは一度もありません。もともと直感が強いのでしょう。手相を観ていて学んだことは、将来の運命はあっても、する選択によって運命も変わっていき、線も消えたり増えたり、変わっていくことです。だから、もし神様とか決められた運命とかがあるとしても、最後には自分の意志で道を選べるということだと思っています。

 自分の勘に一番の信頼をおくようにしていれば、鍛えられます。私の場合は、20歳以降、勘が毎年強くなってきています。

2.自分のハートに聞け!!!!!                           (2002)

 恋愛も結婚も、様々な形があり、人の数と同様、みんな違うものだと思います。本人同士が良
かったらそれでいいのではないでしょうか。自分のハートに聞いてみて、ハートが感じるとおりに行
動するのが一番いいと思います。私はいつもそうして生きています。だから伝統や文化に従わず、
自分の生き方は自分で発明して決めてきたし、周りの人に理解してもらえませんが、構いません。
人生一度です。

 私は日本に主人を置いて、スペイン在住で、NYに引越し中です。別居結婚です。宇宙飛行士の
向井千秋さんと似た状況かもしれません。私の留学と活動のためにこうなってしまいました。家内と
いうより、家外ですかね?今のところ問題はありません。将来的には同居します。

 「なぜ結婚したの?する必要ないんじゃないの?」
なんて、いつも聞かれます。答えるのが難しいですが、
「自分の本能で、ハートが感じたから」
ですね。出会ったときから、揺ぎ無い確信でした。ずっと単身で、スペイン、NYに住んできて、いま
だかつて今の主人ほど自分に合う男性に会わなかったですし。この人となら一生一緒に過ごせる
と感じました。

 一緒に過ごす時間の多さよりも、相性のほうがずっと大事です。逆に、相性が合わない人とは、い
くら時間を費やして理解しようと務めても、無駄に終わると思います。よく、恋愛や結婚が上手くいく
ように頑張っているという人がいますが、私は、それは頑張ってするものじゃないと考えています。
頑張っているうちは、どこかに無理があるのです。自然体で合う人が一番じゃないかと思います。

 また、実は幼い頃に、5年間のあいだ、ある男の子の続きものの物語を夢で見ていて、実はその
男の子に出会い、それが今の主人です。夢を見ていたときは主人も幼い子供だったのに、その夢
の内容は、彼の中高時代から30歳くらいまでの青年期です。顔、体格、肌の色、年齢、制服の
色、引っ越し先、趣味など、ことごとく一致していました。

 私の例は特殊かもしれませんが、人間には謎がたくさんあるので、自分の本能というものは何で
も知っているのではないかと思います。皆さんも、きっと子供の頃の記憶を忘れ去っているだけで、
実は未来のご主人を夢で見ているのではないでしょうか?だからこそ、私は言いたい!

「人に聞くより、自分のハートに聞け!」

1.日本の底なし不景気から抜けるための提案 T    (2002.5 記す)

 2002年2月半ばからニューヨークに3ヶ月間滞在した。4回目の滞在。今回はスペインからの引っ越
しを考慮に入れて、いろいろな面を比較、検討して、じっくり観察してみた。知識人が多く、私の大
好きなジャズミュージシャンも多いので、勉強になることばかりで、住んで人と接しているだけで
様々な事を学び吸収できる。

 最も驚いたのは、ニューヨークの人達は、初対面の私に、どんどんチャンスを与えてくれること。
例えば、自己紹介で「写真家で、写真とインタビューの本を出した」といって本を見せると、その場
にいたジャズピアニストが、「写真撮れるの?すごくいい写真じゃない?じゃあ、制作中の僕のアル
バムのジャケット写真をぜひ君に頼むよ」と言った。本当にびっくりした。

「私もジャズピアノを習いたいから、教えてもらえる?写真撮影とピアノレッスンを交換しようよ!」
と答えると、意気投合して彼も大賛成!
撮影も上手くいき、いい写真がたくさん撮れて、彼も満足してくれた。そしてその後、
”She is a good artist ! genious !”
とか言って、まわりの人達にもどんどん紹介していってくれた。そのまわりの、新たに知り合った初
対面の人達も同様で、
「君はアーティストだから、君にぜひ紹介したい人がいる」
と言って、そこからまたどんどん人を紹介してくれたりチャンスを与えてくれるのだ。友達の輪、また
その友達の輪、といった感じ。

 「彼女は、僕が見つけた素晴らしい才能を持ったアーティストなんだ」と大勢が宣伝してくれて、とう
とう滞在2ヶ月目に、私の噂を聞いたテレビのドキュメンタリー番組を作っているM氏から電話があ
り、私を訪ねてきた。
「あなたのインタビュー番組を作りたい」
と言う。これにもびっくりした。ゆっくり話をして私がやっていること、やろうとしていることを聞いてい
ただいて、
「まだNYに本格的に引っ越ししていないから、NYに拠点を置いて、活動が軌道に乗ってからインタビューしてください」、と答えた。

 さらにそのNが、彼の取引先などの人達を大勢紹介して下さり、ギャラリーや美術館にも連れて
行ってくださった。私の将来の活動に結びつきそうな人達を次々に紹介してくれる。なんで初対面
の私をここまで信用して、チャンスを与えてくれるのか、本当に面食らってしまった。

 アメリカが、経済、技術革新などで強い理由が分かった気がした。出来ると分かればチャンスを
与え、優れた人材を育む風土があるのだ。それを実感した。

 初対面でこんなことは、日本ではありえない。普通は、仕事のチャンスが回ってくるまで、徐々に
人と知り合っていって信用を得るまで時間がかかり、そのコネを失わないように顔色を伺い、長
年、弟子やアシスタントとして下積みをして、待たなければならない。それでそのまま年をとっていっ
てしまった人々は多いだろう。

 特に、自分の仕事を脅かすような優秀な若者にはチャンスや情報を与えず、芽を摘んでいくやり
方をしている人も多い。日本は、「若い芽を摘む」という言葉がある通り、そういう風潮、因習があ
る。下手に、出来る若者にチャンスを与えて凄まじい成果をあげたりすると、自分が無能なことが
ばれてしまって用無しになることを恐れているのだ。自分が長年かかってようやく手に入れた、ちっ
ぽけな利権を失うリスクを回避をしているのだ。

 例えば、日本の大学の研究者も、長年、教授の下でアシスタントに徹して過ごさなければならな い、自分の研究はなかなかさせてもらえないと聞く。あるノーベル賞を受賞した科学者は、
「アメリカに行かずに日本で研究していたらノーベル賞は無理だった」
という。また、フロッピーディスクを発明した日本人は、日本ではどこも見向きもしてもらえなかった
ので、アメリカに持っていってIBMから製品化した。今ではフロッピーディスクは、世界中で使われて
いるものになった。似た話はたくさんある。

 こんなことでは、情報化社会の今、ますます日本の優秀な若者は、機会を求めて海外に行ってし
まうだろうし、優れた頭脳の流出が進んでしまうだろう。それを防ぐためにも、人材を一目で見抜く
力を養うことも大切だし、それ以前に、若い芽を摘まずに、優秀な若者に、もっと進んでチャンスを
与えるように因習を変えていったほうがいいと思う。そう願いたい。そうすれば、やがてそれが経済
循環に結びつき、長い目で見たら景気が上がっていくだろう。

 でも、どうやって人材を一目で見抜く目を養ったらいいのだろうか?また、どうやったら因習を変られるのだろうか?これは根が深くて、変えていくのは難しいかも。なんだか不毛だな。

 もちろんアメリカにも悪い面があるし、日本にもいい面があるのだが、この点に関してだけは、日本が改めるべきだと思う。 
 



戻る